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【エッセイ】空のとびかた

鳥は自由でいいなぁって、子供の頃、何度も思ったものです。
自由に空を飛ぶことができて……と。

けれど、大きくなってから、渡り鳥のV字になって飛ぶドキュメンタリーをみたり、湖の鳥が、水面下で必死になって足をバタバタさせながら泳いでいる様子をみつけてしまった時、初めて、鳥は鳥で大変なんだと実感しました。

ひとには翼なんてありません。空を飛ぶことなんてできません。だけどひとは、考えて考えて、飛行機をつくりました。船をつくりました。人として生まれつき備わっている、考えるという自由を駆使しながら、辿り着くことができました。

自由っていうものは、案外、見えないところにあるのかもしれません。隣の芝生は青いっていう言葉もありますが、そのような状況の時は、おそらく、
向かい際が眩しすぎて、あたりが見えなくなってしまっているのだろうと思います。

せっかく生まれてきたのだから、ないものねだりはしないで、あるものねだりをしたいって思います。私の中にある、まだ私が見えていないあるものをみつける日常。それは、通い慣れた道にある、常緑樹の葉と葉の間からこぼれてくる光のような、小さいけれど、たしかなひとつの希望です。

今日の空を背負い、風を背負い、あたりの風景を背負い。あしたも生きていきます。私の中のまだ見つけられない、あるものを見つける旅。ひとは、大自然の恵みから生まれてきた生き物だと思っている私は真顔で思います。ひとの遺伝子の中には、心の中には、空があると。

静かな場所で目を閉じて両手を広げ、まっすぐ立っているだけで、空を飛ぶことができるんです。あしたの鳥にはなれないけれど。

慌ただしい毎日。時代の流れと共に、だんだん感じなくなって失われていくものがあるのだと思うこの頃。私には、言葉を愛する自由がありました。だから、この空の中をずっと飛び続ける自由を失いたくないです。

生まれた瞬間からずっと、すぐそばでいてくれた言葉。その母なる言葉で、私は心の中の空を飛んでいきたいです。

高いも低いも争わない、ただただ平坦な、だけど何よりも眩しい青いの空の中で、日常という奇跡に思いを馳せ続けることのできる、自由な言葉の鳥になりたいと思うのです。





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