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【旅エッセイ】長崎一人旅vol.4

観光模様を呈した坂を上り、大浦天主堂へ向かう。突如として現れた白い天主堂。異質さと美しさを備え、誇り高く聳え立っている。

大浦天主堂。正式名称、日本二十六聖殉教堂。大航海時代、サンフランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教。しかしながら、キリスト教は禁教、弾圧を受けることとなる。しかし、潜伏しながら信仰を続けるものたちによって、その信仰が絶えることはなかった。日本二十六聖人殉教とは1596年に起こったサンフェリペ号事件によって翌年1597年に信徒ら24人が長崎で十字架にかけられた大規模な殉教のことを言う。この大浦天主堂は彼らに捧げられた教会である。
そしてもう一つ大浦天主堂において重要な史実は信徒発見の運命の日である。大浦天主堂献堂から1ヶ月経った日、建築に携わったプティジャン神父の元へ男女子供を合わせた12〜15名の一団が天主堂の門におり、そのうちの一人の婦人が「私共は、全部あなた様と同じ心でございます。浦上では全部同じ心を持っております」と告白する。当時は禁教下でありこれは後に宗教史上の奇跡と呼ばれた。

堂内に入ると、思わずその美しさに息をのんだ。左右の窓には赤、青、黄、緑のステンドグラスが施され、中央祭壇には十字架上のキリスト像が、その奥にもステンドグラスがあり、色彩豊かな光の前にキリストが荘厳に佇んでいた。僕はそれに圧倒されて、何も考えることができなかった。感覚的に、「キリストだ」という感情よりも先に「神様だ」と思った。信仰の原始的なものに美しきものを崇めるという感情があると直感的に思った。
信仰の自由というものは心の自由であり、本当の意味での自由の時代は今僕らの中にあるのだろうか。信仰も価値観も選択も多様化して複雑化している。それらがぶつかり争いが絶えない。「私が信じているものを尊重して」を互いに擦り合わせて、寄り添わなければならない。そのためにも事実や歴史に向き合う必要がある。

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