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【HiAさんの日記】 習慣化された「呪い」 (5月26日)

こんにちは、HiAです。
今週も金曜日になりました。みなさん、一週間お疲れ様でした。

さて、今日の話題は「習慣化された『呪い』」です。

「呪い」と聞くと、みなさんは何を連想しますか?
「呪縛」、「人を呪わば穴2つ」 
パッと思いついたものを、挙げてみました。

1. 呪いとは

呪いとは、「精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする行為」のようです。今回の話題は、自分が自分に対してかけている呪いなので、「呪縛」と読み換えてご覧ください。

2. 私にかかっている呪い

本題に移ります。私にかかっている「呪い」は主に2つです。
①私と関わると、その相手は不幸になる。
②完璧でない私には、存在価値がない。生きる資格も、幸せになる資格もない。

実際に言葉にしてみるとかなり強烈ですよね。
文字起こしをしていて、すごく辛い気持ちになりました。

3. 呪いの正体とは

この「呪い」のように自分を縛りつける「思い込み」、
最近とあることが原因になっていることに気づきました。

『愛着障害』

簡単に言うと、甘え方がわからず、何事も1人で抱え込む人のこと。
幼少期の発達段階にて、両親や周囲から適切な愛情表現を受けることができ
なかった人に多くみられるそう。

「うそだ!そんなはずない!」
 私は、そう思っていました。

4. 私と両親の関係

それもそのはず。
私の両親は、私がやりたいことを全力で応援してくれる両親でした。
ピアノをやりたいとお願いすれば、ピアノの習い事を通わせてくれ、
持久走のタイムを伸ばしたいとお願いすれば、一緒に走る練習をしてくれる、
そんな大人。

そんな両親の中育ってきたからこそ、
「愛着障害」とは無縁だと思っていたわけです。
…しかし、本音は別のところにありました。

5. 隠された本音

この本音を考えるために、今から1つ、エピソードをお話しします。
当時小学生。やりたいことを増やしていく中で、友達と遊ぶ時間が減っていった時のことでした。

いつもどおりの水泳の時間。私は、友達から遊びの誘いを受けていました。

「HiAくんのお家に遊びにいきたい!」
その友達は、幼稚園からの付き合いでかなりの頻度で遊ぶような仲。
その日は、正直友達と遊びたかった。そう思っていたのです。

早速、母にお願いしてみることにしました。
「今日は、習い事休みたい!」
「あなたがやりたいって言ったんでしょ?しっかり続けなきゃいけませんよ」
「いつも頑張って行ってるんだし、今日ぐらい休んでもいいでしょ!」
「いくら月謝かかっていると思っているの?それが無駄にならないように、しっかり頑張ってね。」

当時の私にとってはは、「友達と遊ぶこと」と「習い事」は同じくらい大事なものだったわけですが、この日は、どうしても仲のよい友達と遊びたかった。一緒の話題で、楽しい時間を過ごしたかった。

6. 本音を隠すことで生まれた呪い

このような日々を繰り返していく中で、次第に優先順位が「友情>習い事」が「習い事>友情」となっていきました。当然、一緒に遊ばなくなっていくことで、その友達との会話も少なくなり、気づいた時には一人ぼっちになっていました。

思い返すと、上のエピソードに似た話はいくつかありました。
一日の勉強量は一定(小学生の休日:5時間、中学生の休日:8時間)、終わらないと遊ぶことは許されない。→ 交友関係の矮小。

テレビやゲームをするときは、親の許可が必要。
→ 自己決定するための自信の低下。

交友関係を始めるためには、親の許可が必要。→ 交友関係の矮小。

これらを積み重ね、やがて、健全な交友関係を築けなくなり、それでも社会の中で生き残るために、表面的な人間関係を築く癖を持つようになっていきます。(←この結果、今どうなっているかは、別の記事にてお話しします。)

こうして、「自分には普通の人間関係を作ることができない」という、
 1つ目の「呪い」が完成することになりました。

7. 期待から生まれる呪い

一方で、親からの一言は当時の私にとって、とても強い印象を残すものばっかりでした。

「決めたことは、最後までやり切ること」「お兄さんなんだから、しっかりね」
「なんでもできるようにならないとダメよ」「泣いちゃダメよ」
「男なんだから、シャキッとして、ほら、愚痴なんて言っちゃダメよ」

いつしか、親からの言葉を強く受け止め、
「強くなきゃいけない」「完璧でなければ生きている価値がない」
「完璧じゃない私と関わると、みんな不幸になるんだ」と歪んだ思い込みをするようになったんだと思います。

その結果、自分に厳しく、自分への理想は常に高いものを設定し、
それが達成されない限り、人と心から交流することを堅く禁じることように誓いました。

これが、私にかかっている2つ目の「呪い」の正体でした。

8. 親の想いと人格形成

もちろん、親としては「元気に育ってほしい」、「前向きに未来を考えられる人になってほしい」と思って、激励をしていたんだと思います。

私自身、しっかりそれを理解していました。
だからこそ、それに本気で応えようとしました。

そして、気づいたら自分の本音が聞こえなくなっていました。

正直、こう書いてみると
幼少期の私は「被害者ヅラ」してたのかなと思う部分が多々あります。
確かに、自分自身で変えられなかった部分だらけだったのかもしれません。

しかし、その親に反抗することなく、良くも悪くも「素直」に従ってしまった。
(「従う」「反抗する」の2つの選択肢があることに気づけていなかったことも原因ではありますね。)
これが、ある意味、私という人間なのかもしれません。

9. 遅れてやってきた過去への反抗と自己矛盾

素直さは、時に「優柔不断」で面白さに欠ける人間を生み出します。
私自身、きっとそんな面白さに欠けた人間なのかなと、
客観的には思えてしまいます。

実際、自分が本当に何をしたいのか
わからなくなることが多々あります。
そんな中でも、最近は「やってみたいこと」を少し見えるように
なってきたようにも思えます。

けれど、そのやりたいことを想うたびに思うんです。
「こんなことしてていいのかな。」「もっと、やるべきことを頑張らないと。」

面白いことをしたい。いろんな人と笑いながら楽しみたい私と、
「呪い」に縛られ、「過去の正しさ」に溺れる私。
まさに、自己矛盾と葛藤の日々を過ごしているところです。

10. 最後に

この歪んだ思い込みに振り回され、26年間。
この思い込みは、私にダメージを与えるだけではなく、
私に関わる周囲の人への大きな迷惑になっていたのだと思います。
(←「呪い」の影響については、別の記事で書くこととします。)

私は、これらの固定概念を変えながら、周囲と笑い合える関係を目指し、
これからも想いを書き記すことにしていきます。
長文になりましたが、ご拝読ありがとうございました。

それでは、みなさんによい一日を。

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