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初市の宝船 解体作業見学 (2/2)

 2021年9月18日(土)、松本市立博物館本館1Fで展示されていた「初市の宝船」の解体作業を見学しました。

 この解体作業は、宝船及びそれに乗る七福神人形の修復と、令和5年度(2023年度)に移転オープンする新博物館への移設に向けて行われたもので、当初は一般市民を対象とした見学会が企画されていましたが、コロナ禍のため、博物館の関係者と本町五丁目の皆さんのみが参加するかたちとなりました。

 今回はその後編、解体作業の様子を中心とした記事です。
 前編はこちら。

解体作業

 いよいよ解体作業の見学会です。

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 会場の博物館1Fに入ると、すでに足場が組まれ、七福神人形や帆などは外された状態でした。七福神人形はレプリカ製作のため、埼玉の岩槻に出しているそうです。

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 学芸員の原澤さんよる宝船についての概要説明を受けた後、作業開始となりました。
 解体作業は、市内の山田工務店が担当され、代表の山田芳孝さんによる技術的な説明が適宜入りました。(以下、技術的な内容は山田さんのお話を参考にしています。)

 まずは舳先の龍頭が外され、順番に船体、台座の解体へと入っていきます。

名称未設定

2021年9月撮影 徐々に解体されていく宝船

誰がどのように作ったのか?

 宝船も人形も、使用された年代はかなり分かっているのですが、どこの職人がいつ作ったものかは明確には分かっていません。
 ですので、今回の作業で年号や署名が入ったものが出てくることを少し期待していました。職人さんの手によって手際よく解体が進みますが、そういった記録は一向に出てきません。
「職人は、あまりそういう事を書かないから...」とは山田さん談。

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2021年9月撮影 取外された舳先の龍頭

 船体まできれいにバラされ、最後に舳先の龍頭をばらすことになりました。
 頭は中央に合わせ目があり、左右別々に彫られた可能性があるとのこと。
 よく見ると本当に細かい彫りがしてあります。角には一部赤い塗料が残っていました。元々右の角がありませんが、これも修復対象になると思います。

 また、本来彫刻には目の詰まった重い木材(ケヤキやエノキ等)を使用するそうですが、舳先に取付けるという特性を考慮したせいか、軽い木材が使用されているようです。(船体はマツだそうです。)

 具体的に何が使われたかは今後調べられますが、彫刻に向かない軽い材料で龍頭を製作した、職人の技量の高さがうかがえます。

 それでは、本見学会のオーラス。龍頭を割る様子をご覧ください。

 結局、龍頭の中にも署名等は見つかりませんでした。

 宝船の状態から、職人の目で見ても明治中頃の製作だろうということしかいえなそうです。
 少し残念ですが、今後の修復作業で分かることもあるかもしれません。(例えば和釘であれば、特徴から使用年代が分かるとのこと。)

松本のにぎわい

 見学会終了後に、山田さんに質問をしてみました。

 「この宝船を今作るとすると、幾らぐらいかかるでしょう?」

 「う~ん」としばらく考えた後、「1500万~2000万円はするだろうねぇ。」「この帆だけでも300万円くらいはするんじゃないか」とのお答え。

 ちょっと下世話なお金の話ですが、個人的には重要だと思います。当時それだけの資金力が本町五丁目にはあったということです。

 しかも、初市の練り物はこの宝船だけではありません。

 本町一丁目は神輿、本町二丁目は拝殿(移動式の小祠)、本町三丁目はおかめの幣(ぬさ)、本町四丁目は獅子舞と、初市で中心となる各町会で何がしかの縁起物を製作していました。
 しかもそれだけに留まらず、遠く東京(江戸)や名古屋からも幟などが奉納されています。どれだけ賑やかな祭りだったのでしょう。

技術の継承

 今回の解体作業には、工務店の職人さんに混じって、市内にある松本技術専門校の生徒さんが2名参加されていました。

 山田さん曰く、「校長に頼んで、来てもらった。」そうで、こうした文化財の取扱いや技術の継承のために、若い人を連れてきたそうです。
 後継者不足や技術の継承に課題を感じておられるとのことで、若い人たちにとっても良い経験になったのではないでしょうか。


 解体された宝船は、これから1年余りをかけて、専門の職人さんによる修復を受け、木曽で漆 が塗られた後、令和5年度(2023年度)にオープンする新博物館で常設展示される予定です。その際は、七福神人形はレプリカになるそうです。

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