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人材教育の罠

こんにちは、Hi_Kickです。

見て覚えろが通じない時代、良くも悪くも会社の教育環境が整ってきた。
私が新卒の頃に「OJT」が流行り始め、今ではリアルタイムFB等々、”成長環境”を会社が演出することで人材確保している時代かなと思います。

一方で学ぶ、教える側は何か変わったか?というと、、
今も昔も”意欲があるか”で決まってしまう世界だなと感じるところ

本日は、持論たっぷりの人材教育について語りたいと思います。

”人材教育”に対する疲弊感

大前提として、最近の若手は優秀な人が多いと感じます。
人口が減る中でも会社は一定数の若手の採用が必要なのは変わらない。
結果、若手全体のレベルが上がらざるを得ない状況のかなと思います。

その上で、
人事教育では一世代前のカリキュラム(又はそれの進化系)で動いている。
要は、「若手はみんなアフォだから懇切丁寧に教育しようね」と

教育する側もされる側も何故こんなことやるんだ、と感じる物もしばしば

例を出すと、
某所ではOJTとして3ヵ月の新卒配属がある状況で、人事に対して毎週のレポート提出を義務付けていたり。丁寧なケアだか、人事の保身だか分からないが、現場では都度FBしていることでしょう。
(ちなみにそのレポートは人事が閲覧するだけでFBは特になし)

教育すること自体が目的になってしまい、現場でパフォーマンスを上げることに重きが置かれていない。
人事が独立専門職として良くも悪くも確立してきたのかなと思いつつ、もっと本質を見ていかないと現場に疲弊と乖離を及ぼしていくなと感じます。

学ぶ側の問題点

とは言え、学ぶ側にもやはり問題はある。
優秀さ故に、変に手ぐせの付いた効率化が挙げられる。

ひと昔前なら言っても直らない→ガミガミでワンセットだったが、今の若手は理解力が良くすぐ直す、でも思考していないから似たような間違いを繰り返す。みたいな

要は、学びが一種の作業になってしまっている。

視野が狭くなり、「この企画書のP.10のメッセージ文をXXになおす」レベルに目を向けられ「この企画書の目的真意に立ち返ると他に修正することで、品質が上がる部分はないか」といった広い視野で考えることをしなくなっている。

働き方改革や何やで時代が変わった部分はあるが、教育には時間が必要、特に思考する時間。

人事を含む周りの人間は、若手が変な形でピッチを上げないようセーブしてあげる必要があると思います。

教える側の問題点

学ぶ側とも通ずるところがあるが、教える側も教育を科学的に行おうとするあまりに視野が狭くなっている部分があると思っています。

何を、どれくらいの達成度で教育したか?
仕事を定量化することが求められ、教育もその煽りを受けています。
定量化できるものは最終成果物だけ、プロセスは評価できないのです。

結果、「XXの作業を一人で出来るようにした」がGoodで、「何事にも柔軟に対応できる思考力を付けた」はBadになってしまう。(後者は定量化できない)

場当たり的な教育で、根本的な課題に向き合えない状況になっている。

何か同じような指摘をすることが増えていませんか?
企画書で数字に「,」がない事に指摘して、修正。別の資料で数字に単位「(百万円)」がなくて指摘し、修正。また別の資料で数字が羅列されていて重要な数字をハイライトするように指摘し、修正。みたいな

これって「数字は正しく、見やすく整頓された上で、どんなメッセージを補完する情報なのか意識しなくてはならない」という学びを与えなくてはならない。

けど、
そんなに教育に費やす時間がない、教育制度として求められていない、自身も作業脳になっていて、そんな観点がないe.t.c.

意識/無意識、人によって事情は異なると思うが、教える側もサルの蚤取りみたいになってしまっているところは反省すべき点だと思います。

私の場合・・・

これが正解とは言えないのだが、私のやり方を最後に紹介します。

その前に少しまとめると、
【学ぶ側】
・時代の流れや賢さから、変な効率化思考が横行している
 ⇒結果、あまり考えずに作業ベースになってしまっている

【教える側】
・教育(仕事)の定量化の流れ、日々の業務過多
 ⇒都度、蚤取りの様なミスを取り除くだけの教育になっている

私のやり方はというと、
徹底的に課題ドリブン、本人が課題を感じていないものは教育しない

コンサルタントということも後押ししているのですが、課題がないところに改善、改革はありません。クライアントに課題を認識させる、というのも重要な仕事なのですが、非常に労の掛かる作業になります。

具体的に言うと、
一回目の指摘は丁寧めに行う。指摘の理由、本来的な目的、不足する観点、対応としてトライすべきアクション等々。二回目、似たような間違いをしたら無視、そっと修正してお終い。資料を修正されたことに気付いてあれこれ聞いてきたらもう一度教える、聞かれなかったら無視。

補足的に解説すると、
無知は上司の責任なので、一回目はちゃんと教えます。課題認識がなく同じ間違いをした人は何度言っても改善するはずがないので放置します。課題認識(上では資料が修正されたのに気付く)を持てたタイミングで教育を再開。

極論、無知覚な人であれば「優しくて面倒見が良い上司だなぁ」と思われるでしょうが、教えても学ばない人よりプロジェクト(≒仕事)を優先しているだけです。

色んな人の知恵や手癖をサイボーグかの如くツギハギしても、将来的にまともなパフォーマンスを発揮できるわけがない。若いうちから自分と向き合って自問自答しながら自己学習をしていく。周りは不足する部分を補完する関係が正しいと信じております。

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