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“人の幸せ”とは「生活実感のなかから」#自分ごと化対談(小説家 平野啓一郎氏)≪Chapter7≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【『生活実感から、市民社会をどう作るのか』】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

平野啓一郎氏が考える“ひとの幸せ”とは

<加藤>
最後に、幸せとは何かというのを聞いています。

幸せとは何かということを言い出すと、本当に今までの何倍か時間がかかるんでしょうけども、今の延長線上でいうと、どうでしょうか。

<平野>
やっぱり自分の生活実感の中から、思い描いた理想像と現実が一定程度合致していれば、幸せだと感じると思います。ちょっと抽象的な言い方ですが、著しく遠いとなると、それはやっぱり幸せとは感じられないと思うんです。

実際、多くの人が大富豪になりたいと思っているとは思えないんですよね。だから、それほど財布を気にせずに好きなものを買うことが出来て、たまにちょっと美味しいものを食べて。

日常生活で毎日豪華なコース料理とか会席料理を食べたいという人も居ないですし、コロナに良いことは何もないですけど、会食が減ってホッとしているっていう人は結構いるんですよね。

<加藤>
いやあ、本当にね、大企業の社長とかそうみたいですからね。

<平野>
毎日立派な食事を食べるというのも、全然嬉しいことじゃないし、普段はもう粗食で、たまに自分が食べたいときだけちょっと贅沢できるというくらいのレベルのなかで生活できれば、経済的には少なくとも幸福ですよね。あとは気の合う人とか、話し相手が何人かいて、自分の仕事の中でそれなりにやりたいことをやっているとか、いくつかの要因が重なれば、わりと幸福を感じられるんじゃないかと思います。

<加藤>
こんなに豊かになる前の人間の歴史っていうのは、その時代の方が圧倒的に長いわけですよね。だけどその時代の人がみんな不幸だったかというと、そういうわけではない筈でしょうしね。

ただ、僕は1つ心配なのは、自分がある程度思い描いている理想像に、現実がそこそこ近いところというお話の、思い描くことの中身がね、なかなかない。思い描きにくい人が増えているということが問題なのかなという気がするんですよね。

<平野>
そうですね。そこはやっぱり、世代間ギャップも相当あると思いますよね。僕の世代がこういう生活状況が幸福なんじゃないかと思うことと、若い子たちが考えることには相当ギャップがあります。日本はこの30年ぐらいの経済状態の中で、その状況に過剰適応しようとしているところがあるので、その延長上で未来を考えていることに憂鬱になっているんだと思います。

だから、やっぱりそこはちょっと変わっていかないといけないと思うんですけどね。

<加藤>
それでは時間になりました。ありがとうございました。

色んな、刺激をいただいた。

今日は本当にありがとうございました。

<平野>
ありがとうございました。

<加藤>
とても楽しい対談でした。

<平野>
楽しかったです。

21世紀の人間の頭と体

<加藤>
今日のひと言は、とっても難しかったですが、21世紀の人間の頭と体、体と頭かなあと思います。

最初の個人とパブリックなこと、とか、あるいはAIとのやりとり、その必要性、グローバル化。やっぱり情報量とその中での具体的な行動とか、自分が処理できる情報、それをどうするか。

やっぱり、体というのは生き物なんですね。頭というのは、ある意味では無限に考えられるけれども、しかし、頭だけで考えても体がついていかないところがあるわけですね。

最後の教育もそうだと思うんですけども、やっぱり教育というのは頭の中に入れる。しかし、入れたものと体がやっぱりバラバラなんじゃないかとか、そういう意味で、体と頭がどんどんどんどん離れていってるんじゃないか。

それはAIでも全部を繋がらせることは出来ないし、体というのが非常にますます大事になってくるのかなあと、そんなことを考えました。

難しい答えでしたが、いかがでしょうか。

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