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社会を「ツルツル」と「ザラザラ」で見てみよう-脱線どちて雑談

アニメ番組『一休さん』に登場する、“どちて(どうして)?”が口癖のキャラクター「どちて坊や」。その「どちて坊や」の問いかけのように、世の中の出来事に対する”素朴な疑問”から話がはずむ、ゆかいな雑談です。

何が出てくるかわからないガチャガチャみたいなトーク「脱線!どちて雑談」。
脱線こそ雑談の醍醐味。脱線からうまれる初耳の話を、お楽しみください!

社会のことがよくわかる見方=「ツルツル」と「ザラザラ」

□谷野
加藤さんは『ツルツル世界とザラザラ世界』という本を書かれていますけど、この本の背景にはどんな想いがあるのでしょうか。

まだ知らない方もたくさんいらっしゃると思うので、概略をふまえて教えていただけますか。

■加藤
これまで自分が溜めてきた問題意識に対して、科学者が「どう見ているか」ということ、それから現場でやっている人が「どういうことに苦労しているか、どう見ているか」ということを自分なりに聞き、整理してきました。

あの本を作るうえで、自分の頭を整理するプロセスが面白かったです。

まず、今我々が住んでいるところは「ツルツル」だという前提です。
経済が中心にあり、経済成長すればみんなが持っているお金が増えて、所得水準が上がり「みんなが幸せになる」という前提ですね。

では、「ツルツル」というのは何を意味するのかというと、いわゆる「自由化」ですよね。

いろんなものが自由化をして、余計なルールとか慣習を捨てていけば、効率よく物が作れる、効率よくサービスが提供できる。

そうすると、物は安く手に入るし、生産性が上がってみんなの所得が増えて、経済成長が増える。

経済が成長して物も安く買えればみんながハッピーになる、というのがツルツル世界だっていうことですよね。

それは、ある程度までは正しい。

そうやってツルツルにして経済成長して、自分の所得も増える。

だけども、会社に「こいつは効率が良い、仕事ができる」「こいつは効率が悪い」という人は必ずいるわけですよね。

そうすると給料に差が出るとか出世にも差が出てくるとか。ツルツルの中で格差ができたり、それがさらに分断になったりとかします。

ツルツルとは建前はいいけれども、すごいストレスを抱えて生きている人がいっぱいいるわけで、「本当にツルツルはいいんですか?」と。

それに比べると、昔は今よりはそういう意味で「ザラザラ」だった。

「ザラザラ」というのは効率が悪いし、田舎に行ったら昔の習慣とか人付き合いとかで面倒くさいことはあるけども、やっぱり助かる事もある。

人間関係、コミュニケーションというかそういう事をもうちょっと見直してもいいんじゃないでしょうか。

「ツルツルな牛乳」と「ザラザラ牛乳」、どちらが良い?

例えば、卵でも牛乳でも効率化すると「ツルツルの卵」や「ツルツルの牛乳」ができます。

一方で、牛をみんな、畑とか山に放して草を食べさせたりして、時間をかけて作る「ザラザラな卵」と「ザラザラな牛乳」もある。

牛乳をツルツルで作ると1本200円、ザラザラで作ると500円、すごく高くなるわけです。

だけども、本当にね200円の方が必ず良いのかというとどうでしょうか。

そういうものばかりを何十年も食べていて本当に体にいいですか、とか。
あるいは、今風に言えばSDGs的に環境にも悪いのではないかとか色々ありますよね。

だから、あんまりにもツルツルで効率、効率、効率…って言っても人間自体がね、疲れてきている。
経済成長で儲ける人もいれば、すごく圧迫される人も多いわけだから。

ちょっと半分ザラザラの世界へ戻したらどうですか、というのがツルツル世界とザラザラ世界の二制度ってことです。

身体性の欠如は「触る」感覚の欠如

□谷野
本のタイトルを決める時、最初はメインタイトルが「世界二制度」で、サブタイトルが「ツルツル世界とザラザラ世界」でした。

実際に読んでみて、逆じゃないかと思ったのです。本に出てくる「身体性」の話を、加藤さんはすごく重要視されていると感じました。

最初に加藤さんにお会いした際、「自分ごと化会議」のネーミングやロゴマークを作る時ですが、オリエンシートに「身体性」って書かれていました。

「身体性」という言葉をオリエンシートで見たのは初めてだったので、「加藤さん」=「身体性の人」という印象でした。

加藤さんの中には「身体性」というテーマが根本にあると思ったんです。

ツルツルとザラザラって、つまり「身体性」ですよね。

■加藤
そうです、そうです。

□谷野
今、身体性の中で、いちばん足りないと思うのが「触る」感覚です。

■加藤
あーなるほど。

□谷野
今って、土を触るとかないでしょ。道路はアスファルトで舗装されていて、家やオフィスはコンクリートだったりフローリング。もし何かを手で触ったら“除菌”でする時代です。

スマホやテレビで目や耳は使いますが、肌を使う(本物に直に触れる)機会が減っていると思うんです。

肌=皮膚感覚ですね。

触って情報を得ることがすごく衰えたなって。身体ってほとんどが肌、つまり皮膚で覆われているじゃないですか。

僕の勝手な解釈ですけど、「身体性の欠如」とは、主に「皮膚感覚の欠如」だと思うんです。だから皮膚感覚を表す「ツルツル」「ザラザラ」という言葉が、「身体性」を大事にしている加藤さんの中からふっと出てきたのかなと。

そんな想像が働いて、『ツルツル世界とザラザラ世界』というメインタイトルの方が加藤さんの本質を表しているなと思って、「逆にしたらどうですか」とご提案をしました。

■加藤
まさにそうですよね。要するに、あの本で言いたいのは二制度に力点があるわけではなくて、もうちょっと「ザラザラを見直そう」というのが言いたいことですね。

ただ、世の中の人はなかなか聞いてくれないから、「ツルツルも否定しないけど、ザラザラを見直そう。その2つを一緒にしたらどう?」という提案になっています。

世界の制度も「2つ」あって良い

□谷野
2つの世界で思い出すのが「パラレルワールド」です。村上春樹の小説にもありますね。作家が使う手法です。

共存する2つの世界を現実に作ろうという点が面白かったです。普通はどちらかを作ろうとしますよね。特に政治家は、1つの理想的な世界をめざします。

■加藤
大体はそうなりますね。

□谷野
香港の一国二制度はありましたが、世界二制度は興味深いです。
小説の中だけにあった世界のあり方を社会としてどう実現していくかは、ワクワクします。

■加藤
あの本を読んだ人で意外に多かったのは「二制度」って言わなくても「みんな自分の中にもツルツルとザラザラの両方を持っているし、社会も両方あるじゃないか」という感想です。

だけども、そこで問題は、その感想がインテリの中で成功した人に多かったということですね。

□谷野
「ツルツル世界の成功者」ですね。

■加藤
その人達はツルツルに疲れたらザラザラの生活ができます。どっかに別荘を持って、そこでちょっと畑で野菜を作って…とか。あるいは、もうちょっとパブリックのために、とかね。

でも本人が「ザラザラ」で生きづらくてストレス感じて、ツルツル世界で「お前は効率が悪いよな」「もう来なくていいよ」みたいに言われている、そういう人は両方を持てない。

だから、あの本が言いたいのは、そういう人が多いなら制度を2つ作ったらどうかと。

「ザラザラ世界の人」はこちらでもっとのんびり、ゆっくり生きられるように、仕組みを作らないといけない。それが二制度っていうことです。

エコとかいう言葉が最近多いけども、大体それは余裕のある人が言っているのです。

□谷野
そうですね。スローとかロハスとかグランピングとか言っているのは、お金にゆとりのあるツルツル人ですね。都市の人間が、田舎(自然)を求めている動きです。喪失した「身体性」を回復させようとするムーブメントです。

ところで、ザラザラ世界を叶えてみたいという読者の方は多いですか。

■加藤
その部分に共感してくれる人はそれなりに多いですね。ただ、それ以上に本気で考えている人はいないかもしれないですね。

□谷野
いま読まれている人はどちらかというとインテリ層ツルツル人ですね。ザラザラ人の方の感想ってありますか。

■加藤
ザラザラ系の人で読んでくれた人は好感を持って読んでくれていますね。

良いこと書いて、その通りだと。だけど「本当に困っている人」は読んでないですからね。

□谷野
ザラザラ人は忙しくて読む暇がないですね。それに、ザラザラ人は身体の人だから、そもそも言葉をたしなまないので本なんて読みませんね。

話に困ったら「終焉」

■加藤
つい最近、ある親しい経済学者がグローバリゼーションについての小論を送ってくれました。具体的な問題点は書いてあるけれども、「なぜグローバル化をもっと進めないといけないのか」っていうことは書いていませんでした。

おそらく、それを聞いてみたら「その方が成長するから」「幸せになる確率が上がるから」みたいな、そういうような答え出てくると思いますね。

だけれども、それに対して「本当ですか?」「現実は結構違うんじゃないですか?」というレベルの議論があまりなく、今、ようやく起こり始めています。

そうすると今度は一気に、「資本主義の終焉」みたいなセリフが出てきました。それも、「あれ、じゃ終わった後どうするの?」というのがないですけどね(笑)

□谷野
勝手に終わられてもね(笑)

■加藤
終わってどうなるのかな~っていうね(笑)

□谷野
確かに、本屋に行くと政治・経済・社会の書棚には、資本主義の終焉とか、それっぽいタイトルがいっぱいありますね。「民主主義が死んだ」みたいな。

本当の民主主義を経験したこともないのに、もう終わったのかと(笑)。本屋に行く度に思いますよ。

本を書いている本人だけが騒いでいる気がします。言論人のマッチポンプですよ(笑)

自分に都合が悪くなると、すぐ「終焉」とか「危機」とか言い出しますからね。

だから、タイトルを鵜呑みにすると騙されます。

資本主義の終焉というような話を終焉してほしいですよ(笑)

■加藤
それでね、なんか景気が良くなってきたら終焉と言ったことも忘れるのかもですね。

□谷野
真面目なツルツル人は「資本主義の終焉について、せっかく真剣に考えたのに、あれは何だったんだ!」って怒って、その不満をまた本にしたり、読んだりするでしょうね。今度は『資本主義の終焉のウソ』とか。

こういう行動パターンは、頭の中だけで生きているツルツル人の特徴ですね。

だから、ツルツル人にモノを売るのは簡単なんです。頭の中を不安にさせればいいんですから。不安を解消するものに飛びつきます。

□□どちて雑談のアーカイブ□□
本投稿は、構想日本のYouTube企画「脱線!どちて雑談」(4話)の内容を元に、note記事用に加筆修正したものです。ぜひ、YouTubeもご覧ください。

過去のどちて雑談の動画はこちら
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk396uM9C-x2CaPBM8FeOLZdF
 

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