今の日本に必要な下山の哲学 #自分ごと化対談(プロ登山家 竹内洋岳氏)≪Chapter5≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【政治とリアリティ「下山の哲学」に学ぶいま、日本に必要なこと】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
登山における絶対条件 竹内洋岳の「型」
<加藤>
竹内さんに伺いたいことがあります。山から降りてくる時にキャンプにいっぱい物を置いてあるので、他人の荷物まで持っていく。何で他人の荷物まで持って降りなきゃいけないのか、それですごく腹が立ったと…。
<竹内>
なんだか、いつも、ずっといつも怒っているみたい。(笑)
<加藤>
色んな局面の事を見ると、竹内さんのなかにこれは絶対にやらないといけない、守らないといけない「原理原則」みたいなものがあるのかなあと。それはどういうものか伺いたい。
<竹内>
「型」みたいなことですかね。著書に出てくる和田浩子さんのような。私にとっての登山の絶対条件がありまして、それが絶対の型かもしれません。
それは、「自己完結」です。自分で登って、自分で降りてくる。これは、私の登山においては絶対の条件、型ですね。
だからこそ、ガッシャブルムの事故に遭った際には、みんなに担ぎ降ろされて、自分が生きているのか、死んでいるのかわからない状態であり、自分で降りてきていない。これはどうしても、私にとってはあってはならない、赦されないことでした。
本来は、自分で降りてこない者は死んでないといけない。自分で降りてきてもいないのに、死んでもいないというのは、今までの自分の登山のなかにおいては、あってはならないし、これから登山を続けていくためにもあってはならない。
それゆえに、私は、翌年同じ山に、あれは登り直しに行ったのではなく、「下り直し」に行った。まさに、この本に書いたそのもの。「自分で登って、自分で下山をしてくる」というのが、私の登山には絶対に必要なことですね。
<加藤>
それは、山に登り始めた頃からそうだったんですか。だんだん、そういう型というのが、出来て来たんですか?
<竹内>
山登りを始めた時は、そこまでのこと思い及ばなかったですね。やはり、登ってしまうと、下りのことは、どちらかというとなにか消化をしていくような存在だったような気がするんです。
それが登山を続けていくことで、次はどこに行こうかと、「次」を自分の中で思い描くようになった時に、「下山しないと次に登って行けない」ということに気がついた。
必ずしも成功する山登りばかりではなく失敗することもいっぱいあるんですけども、登るという行為は途中で断念することが出来る。さっきのチョ・オユーのように引き返すことができる。だけど、下山は絶対に途中で断念することが出来ない。
必ず、下山していかないと、次の山登りが出来ない。次の山に登っていけない。それに気がついたときには、登山を続けていく。一回ならいいんですけど、続けていくんだと自分で決めたときには、下っていくことの大切さに気がつかされたんですね。
<加藤>
それが、プロ登山家ですね。
<竹内>
私のプロ登山家というのは、「辞めないという覚悟」をそこに込めているんです。もし一回登るだけなら、登頂して下りで死んでしまっても、登頂という記録は間違いない。だけど、続けていくんだと自分に決めた時、14座登るということは、最低でも14回続けないといけない。
続けて行くんだと自分で覚悟した時には、登らなければいけないではなく、下らなければいけない、ということに気がつかされたんですね。
<加藤>
その原理みたいなものが、今の世の中にはないと思う。竹内さんみたいに自分に厳しく課すことを、誰もが必ずしも求める必要ないけれど、政治の世界を見るとそういうものがあまりにもない感じがします。
そういった原理、ここは守るんだという「型」を身につけるにはどうすればいいのかなあ。命が係るようなことでなくても、一人のサラリーマンができることでもいいんですけど、全体的になんとなく緩んでいるというんですかね。
<竹内>
加藤さんが構想日本で取り組まれている、事業仕分けや自分ごと化会議というのは、もしかすると、「下山をしていく」という感覚に近いんじゃないですかね。
そろそろ「下山」のしかたを考えるとき ピークを過ぎても登り続けようとする日本
<加藤>
そこはそう思うんですね。ここ20年くらいは差し置いても、日本というのはとってもいい国で、経済成長しました。平和で安全で豊かで快適で、ただそれは、経済、お金というものに依存してきた部分が大きい。
いま国家として1千兆円以上の借金があることを含めて、とってもラクな社会をつくってきて、幸せなことだったと思う。しかし、それではもたなくなってきているわけですよね。成長はあんまりしない、借金はものすごく増える。
例えば道路、鉄道、橋も、古くなってくるとメンテナンスをしないといけないが、そのお金すら賄えるかどうか。それから、高齢化が進み、社会保障費がどんどん増えています。いままでは大きくする方に、広げる方にばかり来ていたんですね。
だけど本当はもうピークは過ぎているわけですから、どうやって下山をするか。そんなに成長もしないし、そんなに人間も増えないし。だけどもそれはどこかに終りがあるというのではなくて、人間がそこそこ、みんな幸せに暮らしていくにはどうするかという、次のスタートですよね。
次のスタートのための下山というのがすごく大事なことなんですよね。社会保障にしても、よく右肩上がりと言いますけど、登りを前提にした仕組みなんです。実はピークは下がってきていて、早く下山の体制にしないといけないけども、それがなかなかできていない。
だけれども現実にはもう下山していて、次のなだらかなところを穏やかに歩いていきたいという段階。下山をうまくやらないと、それができなくなるんですよね。
<竹内>
ピークというのは1つではないですからね。
<加藤>
そうなんですよ。色んなピークがあるわけですからね。
<竹内>
14座も14のピークを登って下って登って下ってしてきましたが、「ピークを過ぎた」ということは決して後ろめたい言葉ではないはずなんですよね。ピークを越えて、下山して、次のピークに向かっていくという行為が、下山ですよね。
<加藤>
大平正芳さんが総理大臣になる直前に、スピーチをしているんです。我々は春、夏を経て、豊かになって美味しいもの食べている。けれども、いつまでもこれが続くはずがない。
一度立ち止まって、今からしみじみした秋の味わいを、そういうことを出来るようにしないといけないということを話しているんです。
40年くらい前の話で、すでに次のピークを考えましょうと言っている。けれども、まだ下山していないんですよね。それを総理になる人が話しているんですからね。私はこれがすごく大事なことだと思うんですね。
<竹内>
まさに上り詰めていこうかという時に、そういうことを仰っているんですね。
<加藤>
そうなんですよ。なかなか今は、そういう政治家がいないですけどね。
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