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長編小説「きみがくれた」下ー⑧

「音源」


 ゆるやかな風がそよぐ桜の森公園は夕闇に包まれて、門の内側は人影もまばらだった。
 桜の葉音が耳を心地よくくすぐっていく。

 少し前まで薄ピンク色に染まっていたこの場所は今ではその面影もない。

 黒いベンチに腰を下ろし、霧島はナップザックを膝に乗せた。
 
 取り出したのはマリコから受け取ったあの透明な袋だった。


 その僅かに残る青色に目を落としたまま、霧島は苦しそうに顔を歪めた。

「――うぅ‥――」


“霧島”

“僕これに付けるよ”


「ううぅっ―――‥‥」


“見て”

“ほら、すごいきれいだよ”


「‥ぅうぅ‥‥―――」


“あの大惨事の中にあって”

“必死に守った”


 袋ごと握りしめたその上に、涙の粒が続けて落ちた。

「うぅっ―――‥‥ぅぅっ‥‥・・・」

 霧島は両手を抱きしめるように体をかがめ、声を押さえて泣いた。

 
 震える肩のその先に、まだ丸い月が金色に輝いていた。


 袋の端を掴む指先は小さく震えている。
 霧島はゆっくりとその両端を開いた。

 その袋の中はアパートの階段の錆びに似た、けれどそれよりもすすけた異様な臭いがした。

 霧島は黒く焦げたその塊に手の平を添えた。

 銀色だったその小さな塊を指に乗せると、涙はさらに溢れ落ちた。


“ぼくとお揃いだよ”


「ううぅ‥‥―――うぅっ‥‥――――」


“すごいね霧島”

“きれいだね”


「―――っ‥く―――うぅっ‥‥―――――」


 その黒い塊にはいつかマーヤが教えてくれた“イヤホン”が繋がっていた。
 細いコードは黒く変色し、けれどその片方の先端だけが唯一その形を留めていた。

 霧島は手探りでその先端を探し、テープレコーダーの角を指でなぞった。

カチッ‥

 小さな機械音がして、霧島の指がびくりと動いた。

ジッ‥ジー‥―――――‥‥ザザッ‥―――

ガガガ‥ジャザザザ‥‥ジジッ―――‥‥

ギギッ・・

ジジッ

 中で何かがこすれるような雑音が混ざる。

キュルキュルキュルキュル‥‥

 何かが動いている音がする。

 
 イヤホンの先端をつまむ指先が小さく震えている。

ジジ‥――ジジッ―――‥‥


 霧島はそれを恐る恐る耳に近付けた。

ジ‥‥―――

ジジジ‥‥

 昔マーヤがそうしていたように、霧島はその先に耳を澄ました。


 息を潜め、集中する。

ガッ…ガガッ…――ガッ…

 探るようにもう片方の指を動かして、その耳にあてた指の震えが大きくなった。

「ぅうううっっ―――‥‥‥っ―――」

 突然、その瞳から大粒の涙が溢れ出した。

「ううぁぁ‥‥っ――――あぁっ‥‥――――」

ジ――――‥‥ジジ‥‥―――

「あぁっ‥‥―――――うあぁ‥‥――――っ‥・・・」

“これはね、僕の宝物”

「ううあああ―――――‥‥あああ――――っ‥・・・・」


“あの子がどうしても守りたかった”


「ああぁ―――‥‥あぁぁ――――――‥‥・・・・・」


 テープレコーダーの鈍い音は、霧島の泣き声にかき消された。


“霧島にはナイショなんだけど”

 あの日、マーヤはそう自慢げに笑みを浮かべた。


「わぁぁぁぁ――――っ‥‥‥――――!」
「あああっ‥‥―――‥‥‥あああ―――――っ‥‥‥・・・!」


“どうかあなたが持っていてあげて”


「うぁぁぁぁ・・‥‥‥―――‥‥っっ――――!!」

“掘り起こされたラジオらしきものに差し込まれていたイヤホンが役に立った”


“あの子が最後までそのイヤホンを耳に当てていたからだって”


 霧島は震える体を丸めたまま泣き続けた。

 その耳を握りしめる手が哀しみを必死に押さえつけていた。
 

ジ―――‥‥ジジッ―――――‥

 霧島は聴こえてくる微かな音にしがみついていた。

”よほど大切なものだったと”


「‥っうっく・・・・・――――‥‥‥」

「ぁああああ・・・・・・・―――――‥‥・・・・・」


 静けさが漂う夜の公園で、霧島は呻くように泣き続けた。

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