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「君の唄が聴こえる#3」

「暗い部屋」


その時初めて、私は彼の名前を知った。

「・・・」

私が声を忘れた理由はそれだけではなかった。

目の前に、超絶ウルトラスーパーハイレベルなイケメンが立っていたからだ。


イケメンていうのは声もイケメンなのだなぁ。

目の前の幻を見上げたまま、私の頭にそんな声が浮かんだ。

モデル?
俳優?
このキラキラは何だ?


嘘でもなんでもなく、その人は光っていた。

まるであの有名な妖精がまき散らした粉を身に纏っているような。


気づくと足下でタンゴがいつになくうるさいくらいにないている。


あれ、タンゴ、逃げないんだ。


この顔面は彼と甲乙つけがたいレベルの高さだ。
いや甲乙つけなくてもいいんだけど。


タンゴはこの人に会ったことあるのかな。


2次元?
肌の質感に現実味がないんですけど。

イケメンてこんなにどこにでもいるもんなのか?


こんなにキレイな顔に生まれて、今までどんな人生を歩んできたんだろう。


この目に吸い込まれてもいい・・


”うっとり”という形容詞がぴったりあてはまるような表情をしていたと、私は自覚していた。


その人は私に話しかけることを諦め、足下のタンゴに手を伸ばした。

長い腕
大きな手
長い指が、タンゴの身体を優しく抱いた。


タンゴが彼と初対面ではないことは確かだ。


「・・はどこ行った?」

恐らく彼の居所を尋ねているその人に、タンゴは喉を鳴らす。

「あいつ、自分で呼び出しといて」

「まぁ、いっか」
久々に会えたし。


その一言で、ようやく我に返った。


「・・あ、あの・・」

タンゴ越しにこちらを見下ろすその人を見上げ、私は再び我を忘れそうになる。

こちらに視線を流すその表情が、まるで映画のワンシーンのようだったから。

「いいよ、また来るから」

タンゴに言っているのか、私に言ったのか分からないまま、結局その人がなぜここに来たのかも聞けなかった。


ドアの向こうへ消えるその最後の瞬間まで、その人は「イケメン」だった。



昼間、男の人が来たけど。

リビングでるんばと戯れている彼にそう言うと、「うん」とだけ答えた。


「何か用があったみたいだったけど、聞いておけなくてごめん」

「いいよ、また来るだろうから」


あの人、誰だったの?

あなたの名前、知らなかったよね、私。

私の名前も知らないよね、あなた。


名前も知らない人のーー男の人の家に住んでる私って、どうなんだろう。

そのことについて、あなたはどう思ってるの?


何を聞いても全部答えてくれそうだけど、どうしてだか言葉にならない。

彼に何かを聞いてしまえば、これまでのすべてがまるごと全部変ってしまうような気がした。


彼が何を考えているのか、私にはただのひとつも分からない。

なのに、なぜ私は安心しているのだろう。

何かひとつくらいお互いに知り合ったっていいと思うけれど、それもどうでもよくなってしまう。


「あのさ、いつも買い出し行ってくれてるでしょ、たまには私も手伝おうかなって」

そんなこと言おうと思ってなかったのに、そんな提案が口をついて出た。

「・・?」

ソファに寝そべったまま顔だけこちらへ向ける、このかわいい顔。

「め、迷惑じゃなければ」

この家の冷蔵庫の中身はいつも、ちょうどいい材料が揃っている。
いつ買い物に行っているのか分からないけれど、洗剤もトイレットペーパーもいつも程よく補充されているのだ。

「いつも、私、使わせてもらってるだけだし・・」


ここへ来た翌日、私に「家賃」と「生活費」の提示をしたけれど、

「いいよ、そういうの」

とあっさり拒否された。


リビングのドアに貼り付いたままぽそぽそしゃべる私に、彼は胸元のるんばを撫でつけながらこう言った。

「一緒に行きたいってこと?」

そして、そのクリッとかわいらしい目だけで微笑んだ。

「い、いい?いいい一緒に行きたいとか行きたいとかそそそういうことじゃなくてっ・・」

「いいよ、明日一緒にお買い物行こう」

「いいいいいやそそそべべべつにそそういうことを言ってるんじゃ・・」


その後は彼のペースで、なぜか”二人でお買い物に行くプラン”が立てられた。

朝8時に朝ご飯
お互いの洗濯をして、ふたりで掃除をして、
朝11時に家を出る

近くのスーパーに歩いて行く。
どういうわけか、明日の夜ご飯も一緒に作ることになった。


その日の夜は、初めて部屋の鍵をかけた。

この家に住み始めてから、私はいつの間にか一人になることを忘れていたのだ。


ずっと一人だったのに。
ひとりぼっちの感覚を忘れそうになって、背筋が寒くなったのだ。


彼が勝手に入ってこないように。

ベッドの中で耳を塞いだ。


なぜ私はここにいるのだろう。



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