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もしも「どこでもドア」の扉が、簡易トイレの扉だったら…。

ぼくの運転する車の前に、車線変更して入ってきた車がいた。

荷台には、比較的古いだろうと予測出来る簡易トイレを積んでいた。

瞬間的にぼくは思ってしまったのだ。

「もしも、この簡易トイレの扉がどこでもドアだったら」と。

なんでそんなことを想像してしまったのかは分からないが、「どこでもドア」が浮んだのだ。

簡易トイレの扉の向こう側は、現実的にどんな状態になっているのだろうか!?
簡易トイレの扉の向こう側は、どんな世界に繋がっているのだろうか!?

普通に考えれば、ドアの向こう側が便器がただあるだけだ。しかもきっと和式の便器が。どんな世界なんて知ったことではないはずである。

ドラえもんの「どこでもドア」を開ける時は、テレビや漫画を観ている側のぼくたちにとっては、ドキドキ・ワクワクといった期待感満載の状態だった。

そんな行きたいところに自由に行けてしまう「どこでもドア」が、なんとワタシが運転する車の前を走っているではありませんか。

高速道路を移動する「走るどこでもドア」

ドラえもんの「どこでもドア」を開けた時のような期待感と同じようしシチュエーションは望まないが、そんなに欠け離れてもいないような気がした。

なぜなら、簡易トイレというものは野外で用を足すための特別な個室空間であり、自宅のトイレとは大いに異なる異空間であるからだ。

自宅の家の中で用を足している時に鍵をかけ忘れてしまっても、見られるのはほとんどの場合が家族である。

しかし、野外に設置された簡易トイレの鍵をもしもかけ忘れたのならば、事は大ごとになってしまう可能性がある。

公然わいせつ罪ならぬ、公然はいせつ罪に囚われる可能性があるのだ。(想像の罪です)

しかも清潔感が足りていない環境であり、なおかつ糞尿が下部タンクに溜まるようになっている。

そんなコトを想像したら、まず扉を開けるコトを誰彼も躊躇するに決まって来る。

でもって、「この簡易トイレの扉を開けると何処へでも行けるようになっておりますよ」と言われたって、とにかく信じ難いから素直に開けられない。

だけれども、それでも、今の世の中に大切なのものがあるはずだ、、、(こりゃ無理な展開ですな)

ほんの少しの興味を感じて、好奇心が湧いたのならば。

どんな感情を持ち合わせていても、すてきな感覚を持っていても、どんな状況下でも興味をもったら、その扉の取っ手を握って開けてみることが大切なのではないだろうか。

そこには自分を応援して満足させてくれることを期待して待っていてくれる、魂が存在しているから。

ぼくの「どこでもドア」は常に前をゆく。


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