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映画『わたしは光をにぎっている』

先日、『わたしは光をにぎっている』という映画を観にいった。

『わたしは光をにぎっている』を知ったのは、ジブリのラジオ(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ)でだった。

ジブリのラジオの素敵なところは、知名度に関係なく面白くて・素敵な作品を紹介してくれる部分だと思う。

ちなみに、『わたしは光をにぎっている』を紹介しているラジオの回では中川龍太郎監督ご本人が登場する。

気になった才能を自分のもとに、直接呼んでラジオを完成させてしまう。ジブリ・鈴木敏夫プロデューサーの権力のデカさに笑えてっしまう。

流石の一言だ(笑)。

話を『わたしは光をにぎっている』に戻します。

ジブリのラジオを聴いた僕は『是非、映画を観たいと!』すぐに思った。

そう思えるほど面白いラジオだったし、中川監督がとても面白い人だと感じたからだ。

この人はいったいどんな映画を撮るのだろう? 素朴にそんな疑問が浮かんだ。

そして、鈴木敏夫さんが目を付けた。才能とはどれほどのものなのか興味がわいた。

早速、『わたしは光をにぎっている』と打ち込みネットで調べた。

そこであることに驚く……。

大手の映画館では上映されていなかったのだ⁉

これは厳しいか?

諦めモードで検索を続けると。

小さな映画館の名前が目に入った。

『伊勢進富座本館』……。

なんと、一館だけ県内に上映している映画館を発見!

その映画館は個人で営業している映画館で、シアターはとても小さくて……小学校の体育館のような作りでした。

待合室がまたすごくいい雰囲気で学校の近くにある公民館みたいな感じで壁にかかっているボードには手書きで感想なんか書かれたりしてました。

こんなに素敵な映画館が近くにあったなんて驚きお隠せませんでした。

話…脱線しすぎですね。

映画の感想にいきましょう……!

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ーあらすじー

亡き両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子の入院を機に東京へ出てくることになった澪。都会の空気に馴染めないでいたが「目の前のできることから、ひとつずつ」という久仁子の言葉をきっかけに、居候先の銭湯を手伝うようになる。昔ながらの商店街の人たちとの交流も生まれ、都会の暮らしの中に喜びを見出し始めたある日、その場所が区画整理によりもうすぐなくなることを聞かされる。その事実に戸惑いながらも澪は、「しゃんと終わらせる」決意をするー。

ジブリのラジオで中川監督が言ったのが、今回の映画は『飛べない時代の魔女の宅急便』である。

田舎に暮らす少女が上京し、自分の能力の低さに打ちのめされながらも自分なりの生きる道を見つけ出していく。

一人の人間の成長をとても丁寧ね描いた作品だと感じました。

『わたしは光をにぎっている』を観て感じたことは大きく二つです。

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一つ目が、『言葉のすばらしさ』です。

『わたしは光をにぎっている』は一つの詩を大きな柱として作られた作品です。

その詩とは、山村暮鳥『梢の巣にて』所収された作品です。

『自分は光をにぎつてゐる』 自分は光をにぎつてゐる
いまもいまとてにぎつてゐる
而もをりをりは考へる
此の掌(てのひら)をあけてみたら
からつぽではあるまいか
からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風(あらし)の中で
摑んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあつても
おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる

正直、これまで僕は詩というものがいまいち掴めずにいました。

けれど、この映画を観ることで『詩ってこんなにも素敵な物なのだ⁉』と感動してしまいました。

自分でもあきれるほど単純ですね。

あ、ちなみに映画を観終わったその日に『自分は光をにぎつてゐる』の詩を暗記しました。

あまり記憶力に自信がない僕が覚えたいと思うほど感動したということです。

『わたしは光をにぎっている』は映画としてはセリフが少ない作品になっています。

そのセリフの少なさが『言葉』力を強めているのだと感じました。

映画内でポイントとなるシーンで上記の詩が少しずる読み上げられていく。

自分の中に、言葉がしみ込んでくる感覚に襲われました。

不意に涙がこぼれたりもしました……。

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二つ目が『映像美』です。

美しい言葉やストーリーに具体性・リアリティーを持たせるための映像が本当に美しいモノばかりで驚きました。

中川監督は空間をとらえる感覚がとてつもなく鋭いのだと感じました。

多分、空気を感じ取っているのだと思います。

ワンシーンごとの美しさも素晴らしいのですが、つなぎ方がまた見事だと感じました。

ワンシーンごとのカットの切り替えのタイミングやつなぎ方が絶妙で、途切れ途切れになってしまうのではないかと思うのですが……。

そこに詩を挟むことで自然な流れを演出しているんですよね。

静かに流れる川を見ているような感覚になるんです。

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『わたしは光をにぎっている』観て僕が強く感じたのが『言葉の力』と『映像美』でした。

特に詩のすばらしさに気づくことができたの、僕にとってとても大きな出来事でした。

実は中川監督は詩人として詩を書かれて方でもあるのです。

詩人が映像を撮る技術を併せ持つとこういった映画を撮るのだと驚きました。

本当に美しかった。詩の世界に中に入ってしまうような感覚でした。

今回はストーリーについてあまり触れませんでしたが、ストーリーは監督本人が言ったように「飛べない時代の魔女の宅急便」といった内容になっています。

つまり、ジブリ作品のような観終わった後に生きる力が湧いてくる作品ということです。

今少し生きることが辛い、疲れていると感じる人にお勧めしたい作品でした。

『わたしは光をにぎっている』興味がわいた方は是非劇場へ足を運ぶことをおススメします。

是非、皆さんにも観ていただきたい作品です。

それでは今日はここまで、ありがとうございました。

※『言葉』をもっと大切しよう……未完。

読んでいただいてありがとうございます。面白い作品を作ってお返ししていきたいと考えています。それまで応援していただけると嬉しいです。