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25歳を終える前に、外出自粛の今だからこそ、もう一度自己分析してみた④

これまでの記事は↑こちらお読みください。
しかし、超大作になってきました。そうそう、私書くことは躊躇いなく、いくらでも書けるので、めっちゃ書けます(笑)



番外編)わたしと書くこと

小学生の頃に作文をめちゃくちゃ書かされたからか、文章を書くことはずっと好きです。小説家になりたかったくらい好きです(笑)

中学の時は、夏休みの宿題に自叙伝を書く宿題があって、原稿用紙25枚から50枚っていう指定でした。先生が「50枚越えないでね」と名指しで私のこというもんだから、まじか。と思って、50枚ぴったりかいて、感想13枚つけたり。これが期待に対するプラスワンってやつです。うん。
卒論は6万字かな、かなり書いた方だと思います。中身は置いといて。なので、まず量はクリアするんですよね。

自分の成長の裏には振り返りがあったとかなんとか最初に言ったと思うのですが、正しくは、振り返りノートがあったんですね。
中学の時は部活ノート、高校の時は白書(お仕事日記)、大学のときはアルバイトにて生徒指導の記録。全部ノート。もはや書くことよりもノートが好きなのかもしれない。たしかに、めちゃくちゃノートを取ってある。

こうやって書くことで、自分の考えを整理したり、意外と新しいアイデアが浮かんできたりする。この文章書きながら、さっきまとめていたこととは違うことが思いついていたりする。

○書くこと、表現すること
この1年間、できる限り多くの文献に触れてはきたものの、「本の中に自分の能力を読む」という言葉の通り、自分の理解の甘さや知識の浅さを痛感することが多くありました。昨年の自分の年報の原稿には「今更ながら読書の楽しさを味わえるようになった」と書いていますが、実際の学びはそのような楽しいものではなく、暗く長いトンネルのようなものであると感じています。
私にとって、読むこともさることながら、書くことの難しさを感じた1年だったように思います。小学1.2年生の時の担任の先生が何かあるごとに作文を書かせる先生であったことからか、昔から文章を書くことは好きで、得意だと思っていました。しかし、実際にレジュメに要点をまとめてみたり、志望理由として自分の考えていることを文章に起こそうとしたりすると、なかなかペンが進まない自分がそこにいました(今もここにいます)。これから志望理由は仕上げにかかり、いよいよ卒業論文の執筆が始まります。教員になれば、生徒を相手に何かを伝える日々を送ることになります。これらのことから、相手に伝わる文章を書く力・表現力は今後の自分に必要不可欠な力であることが分かります。
読むことと書くことは表裏一体であると私は捉えています。多くの文献を読むことで、著者の論の進め方や言葉遣いを学ぶことができます。多くの文章を書き記すことで自分の考えが深まります。学生生活も残り1年、大いに時間が取れるこの間に、できるだけ多くの文献を読み、できるだけ多く文章として表現し、自分の言葉を磨いていく所存です。

これは大学3年の時のゼミの年報の文章。おっしゃる通りなので。なんて雑な(笑)

相手のために書くっていう視点もあるけど、自分のために書くっていう視点もあるよね。っていうのが今の私に言える唯一のことかなと。



15)向上心がない者は馬鹿だ

こちら、私が大学生の時のレポート。「魅力ある教師とは」というものです。ここに私がしたかったことが全部まとまっているかなと。

■はじめに
 「向上心のない者は馬鹿だ。」
 かの有名な夏目漱石作の『こころ』にこのような一節がある。私が考えている魅力ある教師も一言でまとめると、「向上心」がある教師である。私は「向上心」は人の成長に必要不可欠であると考えている。人間はマズローの欲求段階説にもあるように、なにかを達成したい、なにかを解決したい、何かを手に入れたいと思うものである。このマイナスからプラスに転じようとする心の動きがまさしく向上心ではないだろうか。人間の行動のきっかけになっているのが「向上心」なのではあるまいか。
以下、魅力ある教師と「向上心」について論じていくこととする。
■教師が向上心を持つこと
 教師の仕事は授業、生徒指導、校務分掌と大別できるが、中でも授業が最も重要であろう。
 私は魅力ある教師は、授業で生徒を惹きつけると考えている。授業では、生徒に必要な力を身に付けさせなければならない。しかし、ただ知識を教授するような授業では、生徒は社会科を嫌いになってしまいかねない。従って、教員は、どのように授業を行ったら生徒は興味を示してくれるか、より生徒のためになるかということを考えて授業を行うべきである。
 また、1日の大半を過ごす学校生活のうち、その大半が授業である。ゆえに、生徒と密接な信頼関係が築かれるのも授業であると私は考えている。例えば板書が汚い、誤字がある、説明がよく分からない、そんな教師に生徒は信頼を寄せるだろうか。また、授業中の発言や机間巡回、ノートやプリントのチェックなど様々な要素から教師は生徒とコミュニケーションをとることができる。「この先生は私のことを見てくれている」と思わせることが信頼関係づくりの第一歩だろう。従って、ただ淡々と自分がやりたいように授業を行うのではなく、生徒を意識した授業を行わなければならないのである。
 以上の点から、魅力ある教師になるためにはより良い授業を展開する必要がある。そのためには専門知識の増強はもちろんのこと、入念な教材研究や生徒の性格や既有知識の理解、板書や発問などの授業技術の向上、一回一回の授業の反省とそれを次に生かす行動力が必要である。これらを支えるのがまさしく、授業をうまくやりたい!生徒に何かを伝えたい!という「向上心」であると私は考えている。
■生徒に向上心を分けること、育てること
 私が考える教育の最終目標は、学校での様々な活動を通じて生徒に自立(自律)してもらうことである。義務教育は中学校で修了する。その過程の中で公立中学校であれば、次の進路選択を迫られることになる。中学生は非常に多感な時期であるが、その分大きく成長できる時期でもある。従って、中学生の成長にもまた、「向上心」が必要なはずなのである。この「向上心」を与えることができるのは、紛れもなく教師であると私は考える。まず、教師が向上心を持っていなければならないだろう。生徒と共に考え、生徒と共に乗り越えようとすることで、生徒は教師の向上心を感じ取ってくれるはずだ。
「子どもは耳で聞くものよりも目で見るものの方をよく理解する」(ジョン・ロック、2011、p.69)という言葉がある。社会科でいうと『社会契約論』で有名なイギリスの哲学者ジョン・ロックが、『子どもの教育』(1963年)の中で述べている言葉である。当時のイギリス社会で子どもたちは、形式的な知識や道徳目標を詰め込まれていた。そんな大人中心の教育を批判したロックは、子どもが興味を抱き、事柄の価値を知るようになるには直接見るようにするのがいいと助言した。このことからも、教師が「向上心」を持つことで、何も言わずともそこから子どもは何かを感じるのではないか。教師の「向上心」を感じ取ってくれるのではないかと考える。だから、教師の率先垂範が重要なのではないか。
人は、いつかは自律しなければならない。それと同時に社会の中で共存して生きていかなければならない。そのために、教師は生徒に向上心を与え、育むことが求められているように感じる。
■おわりに
 以上から、私は魅力ある教師には「向上心」が必要であると結論付ける。学校で成長するのは決して生徒だけではない。生徒とともに成長するのが教師である。とくに現代社会では、情報化が進み、国際化が進み、少子高齢化・核家族化が進み、絶えず変化している。そのような環境の中でこれから生きていくためには、学び続けなければならないだろう。子どもが学ぶのはもちろんのこと、教師も社会に合わせて、子どもに合わせて、常に学び続けなければならない。それを支える「向上心」は、教師・生徒双方に必要な要素だと言えるだろう。
今私が感じているこの「向上心」を大切に教師としての能力・資質を磨き、教壇に立った暁には生徒にこの「向上心」を分けてあげられるようになりたい。
■引用・参考文献
浅木尚実『絵本から学ぶ子どもの文化』(同文書院、2015)
苫野一徳『教育の力』(講談社、2014)
夏目漱石『こころ』(新潮社、2004)
林純次『残念な教員 学校教育の失敗学』(光文社、2015)
ジョン・ロック(北本正章訳)『子どもの教育』(新曜社、2011)

要は、魅力ある教師は子どもの向上心を育む。魅力ある教師は、向上心を持っているということです。そういう人に私はなりたいと思っていたんだな。



16)向上心をもった、切磋琢磨できる仲間が必要

自分が頑張れるときって絶対近くに頑張っている誰かがいるんです。自分が自分のためだけに頑張れないことがわかっているから、そういう環境に身を置きたいと思うのでしょう。

だから、今は楽しい。みんな同じベクトルで仕事できているように思うから。



17)向上心がなくなった自分は許せない

常に、向上していたいと思っている。なので、最近TVでバラエティ観るのがしんどいww生産性がなくてww

時間やお金を浪費するのがつらい。するんだけどね。でも、あとで後悔する。

どんな自分でも受け入れないとね。



引用多め回でした。
あと1回で終わる予定です。だいぶまとまってきたな。てか、また朝やん。おはよう!



つづく