記憶を耕す 「ここにいない人たち」
「記憶をよく耕すこと。」
敬愛する詩人・長田弘さんのことば。
ずっと気になっていることばだけど、よくわからない。
記憶は過去のことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもの。これを季節のなかで手をかけて育てていくことが大切なのだ。
そして、その庭で育っていくものが「人生」だ、と長田さん。
これまで引越しを繰り返したこともあり、持ち物は実に少ない。
だから、モノではなく、記憶しか残っていないというのは本当だなあと思う。
卒業とともに買わされていた小・中学校の卒業アルバム。思い出を忘れないでね、という配慮かも知れないけど、思い出というのは他人から押し付けけられるものじゃない。
アルバムから呼び起こされる記憶は、楽しいものではなく、ほとんど思い出したくないことばかり。
それでも、捨てられずに残っているものもある。小学生の時に習っていた書道で、東京大神宮のかき初めコンテストで入賞した作品。香港に短期間暮らした時に買った2階建てバスのミニカーとバス停のフィギュア。
それらを手に取れば、その時の空気感がふっと蘇る。大切な記憶として残り続けている。香港のグッズを見れば、人々の優しさや大切な友人のことを思い出す。
では「記憶を耕す」とは、どういうことなのだろう。
記憶は草木のように育つのか。そして花を咲かせるのだろうか。
よい記憶は私たちに豊かな時間というものをもたらしてくれる。そして、それは「いまここにいない人たち」によって与えられたもの。
記憶に肥料を与えることはできないけど、日々、心を傾けることはできる。そうすることで、よき記憶を残してくれた人々から大きな力をもらえているのだ。
「記憶」とは私の脳の中に残されたものではなかった。「いまここにいない人たち」が用意してくれたもの。その庭で私は育まれてきたのだ。
だから、私も未来の子どもたち、海外の友人など、「いまここにいない人たち」に向けて楽しいこと、喜んでもらえるようなことを沢山してあげよう。
きっと、よい記憶となっていくに違いない。
「親しいもの」
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