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名刺を捨ててだいぶたつ

 名刺には人様の名前が印字してある。その名前を見て、顔を思い出す。
顔が思い出せない人も結構いる。

 名刺って何のためにあるんだろう。

 昔、研究者であった時代、国内外のシンポジウムに参加すると、まず名刺交換をする。自分もたくさん名刺を用意しておく。自分の名刺が減った分、他人の名刺が増える。

 ある時、中国人研究者からもらった名刺を見て、驚いた。普通、日本人だと肩書は一つであるが、その中国人の名刺には肩書が8つ近くあり、オモテに書ききれずにウラにも印刷されていた。肩書が指名を圧倒していた。
 
 日本人が一つの組織に帰属するかたちでアイデンティティーを形成しているのに対して、中国人は自分を中心にして他人や組織との関係性を拡大しているのだろう。

 その後、仕事を変えるたび、名刺は少しずつ増えたりしたが、非常勤の仕事になってから、名刺は誰も作ってくれなくなった。仕方なく自分で作ったりもした。

 自分が名刺を配らない生活になって、大量に眠っている他人の名刺が意味のないものに見えてきた。たぶん、この先、連絡を取ることもないだろう。
その人を捨てる訳ではないが、名刺は捨てることにした。

 残してある名刺。それは、また会ってみたいと思える人の名刺だ。長野の森の中にある小さな美術館で暖かく迎えてくれた女性館長さんから頂いた名刺。

 研究者時代に知り合って、歳代わりの挨拶(クリスマスとか、旧正月とか)に必ずメールをくれる人。彼はすでにシンガポールに移住しているが、昔の名刺は残してある。

 「いつか使う」という考えには近年批判が多い。いま使っていなければ今後も使わない、というのは真理に近いかもしれない。でも直接その人と会い、その人から手渡しされたものは再会のための大切な縁(よすが)なのではないか。

 転職、引越し人生にあって、捨てないで残っているものたちに幸あれ!

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