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世界一「考えさせる」問題のつもり

 かつて、『世界一「考えさせられる」入試問題』という
本を面白く読んだ。英国オックスブリッジが行う入試だ。

 「火星人に人間をどう説明しますか?」
 「あなたはクールですか」

 などなど、いくらでも答えがありそうだが、教官を唸らせる答を書くのは至難であろう。

 インターナショナルスクールで日本語を教えていたが、中学2年の日本語ネイティブの国語の授業でエッセイを課す中で、こうした問題を一年間出し続けた。

 例えば

 「ジョン・ケージへの挑戦状」
 「世の中のものはすべて測れるのか」
 「すべてのことばは翻訳できるのか」
 「自分がロボットでないことを証明してください」
 「イグ・ノーベル賞の価値はどこに」
 「名前は誰のものか」
 「睡眠を文系的に考える」
 「トロッコ問題とAI設計」
 
 正解のない問いだらけだ。日本人はこういう問いかけには慣れていない。

 AIの発達が顕著な昨今、上記の問題も「科学技術の発達」という視点でクリアしようとする生徒が実に多い。しかし、ここでの問いかけは結論を求めるものではないと思う。ああでもない、こうでもないと考える、思考のプロセスにこそ醍醐味があるのだ。

 「ロボットではないことの証明」は、実はとっても難しい。なぜなら、人もロボットもともにお互いに相手のようになろうとしていて、その境界はますます狭くなっているからだ。人は自らの機能を維持・拡張しようとしている(人工臓器など)し、サイボーグは会話によって人に癒しを与えることができる。
 
 ジョン・ケージの「四分三十三秒」の評価を問うものだ。典型的には、①音のない曲など音楽ではないと切り捨てる。②革新的な試みであり、この曲の持っている「新しい概念」にこそ価値がある。

 実は、YouTubeでも「演奏」を見ることができるのだが、そのコメントが実に面白い。

 ・サビの部分が凄すぎて鳥肌がたちました!
 ・今度の定演で演奏することになってたので助かりました!

さらに次のコメントはどう考えればいいのか。
 ・唯一初心者でも頑張れば弾ける曲

 いや、そんなに簡単ではない。実は難しいよ。とも言いたくなる。

 これらの問題のカギは人を笑わせるユーモアのセンスじゃないかと思う。人は意表を突かれた時、「クスッ」と笑い、その後から感動の気持ちが湧いてくる。こういう答えが教官をきっと唸らせるのだと思う。

 


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