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老害と呼ばれる現象は、当人の問題か、組織の問題か。その一考察。

こんにちは。RELATIONS代表の長谷川です。

まず、私は大前提として、人は本来いくつになっても挑戦できるし、成長できると思っています。しかし、よく「老害」という言葉を聞きます。
50代・60代以降の方たちがイニシアティブを発揮しにくく、「老害」という扱いをされる場面も多いなと感じます。

その要因は何なのでしょう?私なりの視点で考察してみたいと思います。

例えば、出世競争における影響を考えてみたいと思います。
健全な組織は、目的と事業がつながり、ゴールに対して相互連携しながら、より良いパフォーマンスを追求していくことができます。しかし、出世をしていくことを組織自体が重んじていくと「競争」や「勝ち負け」という概念がより強く立ち上がります。すると、組織のパーパスなどの本来の目的が見失われ、自分たちの出世を後押しするために社内政治や足の引っ張りあいが起こります。要らぬ争いが生じ、前向きな挑戦をするという思考に至らなくなってしまうケースはよくあります。
仮に入社から30年間もこのような環境にいると、挑戦せずに社内政治に長けた偏った視点に陥っていきます。

ここまで読んで、皆さんの頭の中で具体的に思い浮かんだチームや社員がいるかもしれません。
しかし、こういった状況が生み出されるのは、その人たちの特性ではなく、むしろ環境が生み出す構造的な要因だと、私は考えます。

出世を前提とした風土、縦割りの組織構造、不透明な評価基準、役職=偉いといったエリート意識など、組織の目的以前の余計な前提が存在しているように感じます。
これには日本という独自の島国文化、和を大事にすることからその外を閉鎖的に扱う傾向、学生時代の学歴、偏差値主義、競争原理での教育が土台になっているように感じます。

そのような組織の環境下で、はたして柔軟で優秀な人が生まれるのでしょうか。組織にとっても当人にとっても、本来持つ可能性が発揮されなくなるのではないかと思います。そんな構造を見る度に少し悲しい気持ちになります。



では、一方で、下記のような組織だとどうでしょうか。
出世という概念や組織の”べき論”だけに囚われず、自身の可能性や想いを尊重した上で、組織と自身の目指す姿が共鳴する環境を選択し、常に挑戦を繰り返していく。そのような人生を歩んだ場合、若いうちから多くの経験を積むことで豊富な智慧を得て、幅広い人脈が自然と形成されていくと思います。
そういった人たちであれば、社内外に活躍の場が数多くあるでしょう。


政治や出世ではなく、組織の目的と事業をつなげ、そこへの挑戦を増やし、様々な経験を得ていくこと。このループが回れば、50歳、60歳と歳を取るにつれて、人脈や経験値が豊かになっていきます。個人の力でそういったことを実現されている方もいますが、組織構造や文化が大きく影響を与えているように私からは見えます。

もちろん、一筋縄ではいかないですが、”一人ひとりが本来持つ可能性を発揮できるようにしていこう!”という方向に、徐々に社会全体が移行しているように私は感じています。経営者としては個人の想いや成長をもっと尊重し、個人の成長が組織の成長にも繋がるという意識こそが大事だと思います。

一人でも多くの輝くおじさん・おばさんたちが生まれていく社会になるといいなと思っています。そういう組織を増やしていくために私も挑戦を続けていきたいと思います。

では、こんなところで。今日もええ一日にしていきましょう。


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