宍戸俊悟

合同会社中国山地総合研究所代表・​​島根大学客員研究員。中山間地域生まれ&育ち。大学・…

宍戸俊悟

合同会社中国山地総合研究所代表・​​島根大学客員研究員。中山間地域生まれ&育ち。大学・大学院で中山間地域でを研究し現在、中山間地域の奥出雲町で暮らしている中山間地域オタク。築100年超の古民家に居住。中山間地域の未来をつくりたい。#歴史・文化 #たたら製鉄 #GIS #農業経済学

マガジン

  • 中山間地域のミライ

    人口減少が進み厳しい状況に置かれているとされる中山間地域について、中山間地域の一住民の立場から未来を考えます。

最近の記事

宇宙に生命が誕生して人間の文化が発達するまでをまとめてみました

 ここ10年くらい、人類史や文化進化に関する本をよく読んでいます。それは単純に面白いからでもあるのですが、人間の歴史を通観して把握することで自分の行動に自分で納得感を持ちたいからでもあります。この記事では、これまでに読んだいろいろな本に基づき、宇宙から人間の文化までを大雑把にまとめてみました。もちろん、それぞれの本にはもっといろいろ書いてあるのですが、短縮化するために多くの情報を削減しましたので、誤解を招く部分があるかもしれません。宇宙から始まめないと納得感が持てないなんて、

    • 中山間地域にこのまま暮らしていて良いの?~撤退以外の選択肢はないのか~

       筆者は、中山間地域生まれ中山間地域育ちで、現在、中山間地域で子育てしながら暮らしています。また、みんなでつくる中国山地という活動に関わらせていただいており、時々、みんなでつくる中国山地のnoteに、中国山地の歴史についての記事を書かせていただいています。自分のnoteでは、これから時々、中山間地域の未来について書いていきたいと思います。 なぜ中山間地域の未来について書くのか?  中山間地域の未来について書こうと決めたのは、特に近年、中山間地域に対する厳しい論調を見かける

      • 中山間地域って、そもそもなんですか?

         「中山間地域」という言葉は「中山間地域等直接支払制度」や「中山間地域研究センター」などの政策や研究機関の用語として使われていますので、聞いたことがあるかもしれません。しかし、「中山間地域」と聞いて「山っぽい場所」というイメージはあるとしても、具体的にどの範囲を指すのかわからないという方は意外に多いかもしれません。そこで今回は「中山間地域」って、そもそも何?ということについて書いてみたいと思います。 「中山間地域」は中間農業地域と山間農業地域を合わせた地域 そもそも「中山間

        • 中国山地で和牛が盛んに飼育されていたことの意味

          中国山地と和牛。かつて和牛は、中国山地に暮らすの農家の多くで飼育され、人々の暮らしにおいて欠かせない存在だったのは間違いありません。   奥出雲のような放牧に適した山間部では、和牛が多数飼育され、農家の経験に基づいて盛んに和牛の改良がおこなわれて、優良な牛を生み出してきましたし、それを象徴するかのように、たぶん奥出雲で最も交通量が多い交差点には、牛の銅像が置かれています。   一方で、重要な役割を果たしていた割には、史料的な制約や、特に横田町誌を編纂した時代は、牛を飼う慣行が

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        • 中山間地域のミライ
          2本

        記事

          文化と遺伝子の共進化

          個人的に、今、関心を持っている分野の一つが、文化と遺伝子の共進化です。 通常、生物がそれまで生きてきた環境と異なる環境に進出するときは、遺伝子の変化によって、新しい環境に適応する必要があります。このために、もともと同じ種の生物でも、異なる環境に適応したことによって別種になってしまうことも多いです。しかも、遺伝子の変化は時間がかかるので、異なる環境への進出には時間がかかります。   一方で、人間は、たった1種で温かいところから寒いところまで幅広い環境に進出しています。これを可能

          文化と遺伝子の共進化

          4Kモニターを買うまでの軌跡

          31.5型の4kモニターを買いました。 わりと長い期間、買うかどうか迷っていたのですが、買う決心がついたので買いました。 なぜ、買う決心がついたのか?ここに書いておきたいと思います。 ●4Kが欲しかったポイント ①既存モニターが壊れたので新しいのが買いたい。 ②どうせならもっと解像度の高いモニターがほしい。 ③4Kくらいの解像度があれば作業領域がふえて、作業がしやすそう ④4Kモニターだいぶ安くなってきたしね! ⑤撮った写真をもっと解像度高く見たい。(4Kでも

          4Kモニターを買うまでの軌跡

          島根と古代の朝鮮半島、そして製鉄

          日本書紀には『素戔鳴尊、帥其子五十猛神、降到於新羅国、居曾尸茂梨之處。乃興言曰「此地、吾不欲居。」遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲国簸川上所在、鳥上之峯。』(スサノオノミコトとその子イソタケルは、新羅の国のソシモリに降り立ったが、「ここに私はいたくない」と言ったので、埴舟を作り、東に渡り、出雲の国にある斐伊川の上流、(現在の奥出雲町にある)鳥上の峰に至った)と、古代朝鮮半島とのつながりを思わせる記述がありますが、島根県内こうした記述に関連すると思われる史跡が、各所にあります。

          島根と古代の朝鮮半島、そして製鉄

          奈良時代の仁多郡役所

          奈良時代に編纂された出雲風土記によると、当時の仁多郡(現在の奥出雲町)の長官である大領は蝮部臣が務めていたと記載されています。当時の仁多郡の郡役所は、現在の郡(こおり)地区にあったと考えられています。今は特に町の中心というわけでもなく、かつてここに郡の中心があったとは、一見して想像しにくいのですが、この周囲には、郡役所と関連すると考えられている様々な遺跡や地名が存在しています。 まず、「郡(こおり)」という地名自体がそうですね。1300年以上前の奈良時代に郡役所があった痕跡

          奈良時代の仁多郡役所

          年鑑「みんなでつくる中国山地」発刊へ

          このたび、年鑑「みんなでつくる中国山地」を発刊することになりました。 中国山地は「過疎」発祥の地です。昭和30年代に始まった中国山地の人口減少は、昭和38年(1963)の豪雪以降の度重なる災害をきっかけにいっそう促進され、昭和42年(1967)には、初めて国の文書に「過疎」と言う言葉が記載されるようになりました。 中国山地に住み、中国山地について深く学んでいくと、たたら製鉄がこの土地に与えた影響の大きさに気付きます。 中国山地からなぜ急速に人がいなくなったのかという問い

          年鑑「みんなでつくる中国山地」発刊へ

          岡山県笠岡諸島の大飛島へ

          大飛島南部の洲港へ 笠岡市指定史跡 大飛島洲の南遺跡 大飛島のゲストハウス Ile d'or Cafe&Guesthouse 海辺でクラゲ発見!

          岡山県笠岡諸島の大飛島へ

          岡山県笠岡諸島の六島へ

          岡山県にある笠岡諸島の六島に行ってきました。 六島の湛江港 航海安全を祈る金比羅さん 六島湛江集落のメインストリート。六島には自動車がない。 宿泊させていただいた「島小屋」 六島の展望台(丘の上) くちなしが植栽されている通りをとおって隣の前浦集落へ 大鳥神社 旧六島小学校 前浦集落 前浦にはビールの醸造所があった。 フナムシ発見! 夕暮れ さよなら六島!

          岡山県笠岡諸島の六島へ

          曖昧さの学び

          対象を区別して考えるというのは、人が日常的にしている行為の一つです。人間は対象を区別して、その差異を見つけることによって、対象の特徴を認識するので、人間の認知行為は、区別する行為なくしては成り立たないのではないかと思っています。 ところが、現実の世界を見ると、ある対象が綺麗に全く異論なく区別できることはあまり多くありません。連続的なグラデーションの中の1点に線が引かれ、両者の境界線に注目すると、その違いは曖昧ということも少なくありません。動物と植物の間、生物と無生物の間、

          曖昧さの学び

          宗像大社をめぐる~中津宮・沖津宮遥拝所編~

          神湊港からフェリーに乗り、宗像大島に向かいます。 いざ、本土を離れて島へ。 途中、地島を右手に見ることができます。 大島到着。ここでレンタサイクル(500円/日)を借ります。 素敵な島の景観 まず訪れた場所は沖津宮遥拝所。条件がよければここから沖ノ島を眺めることができます。 天気はいいですが風は強く、波は高いです。 ざぱーん! そして、遠くの方にかすかに沖ノ島が見えます。 今日は視界が良好なので見ることができました。 最後に中津宮に参拝 そして島を離れる

          宗像大社をめぐる~中津宮・沖津宮遥拝所編~

          宗像大社をめぐる~辺津宮編~

          北部九州の特徴的な神社の一つに宗像大社があります。この神社は、沖ノ島の沖津宮、宗像大島の中津宮、本土の辺津宮の3つで構成されていて、これを結ぶ経路が、古代において大和朝廷が朝鮮半島と交流するのに用いた主力航路の一つであり、この航路を移動する航海術に長けていたのが、海人族、いわゆる宗像一族とされているようです。 宗像大社辺津宮正面 独特な手水鉢 宗像大社辺津宮 こちらが新宝館 沖ノ島出土品を中心に展示されており、展示品のほとんどが国宝指定で見ごたえあります。 辺津宮の

          宗像大社をめぐる~辺津宮編~

          15km離れた船通山の山頂

          15km離れた船通山の山頂

          延命の水の知られざる守り神

          三段式スイッチバックで有名な、奥出雲町にあるJR出雲坂根駅 ここのもう一つの見どころが、こんこんと湧き出る「延命水」 島根の名水百選にも選定されています。 この延命水の説明板には、「この水は、冬暖かく夏に冷たい湧水です。鉄道開通までは、この延命水付近は清水堀と呼ばれた湿田でありました。古老の伝えによれば、昔、狐や狸が多く、しかも寿命100年をこえたと思われる古狸が好み飲用したことから、里人も長寿の霊水と称して飲用をはじめ、そのうち延命の水と名付けられたと伝えられています。

          延命の水の知られざる守り神