ひきこもりの概要
高校生の頃。私は「ひきこもり」生活を余儀なくされた。
自分の将来を悲観していた。
自分があまりにも頼りないと思っていた。
このまま大学に行って大丈夫なのか?という思いがあった。
私に必要なのは勉強することより、それ以外のものだと思っていた。
またアイデンティティーの問題があって、人がいる場所での自分の立ち位置がないことへの動揺があった。
苦しくなっていった私は同級生たちから距離を取り始めた。
次第に無力感で学校生活はどうでも良くなっていき、身形にも無頓着になっていった。
無精髭を生やし、ボサボサの髪の毛で誰とも話をしない。
「あいつヤバイな・・」
そのような声も聞こえていた。
しかし、そんなこともどうでも良かった。
試験だけは受けに来いと担任に言われていたので、授業は休んでもテストだけは受けに行った。
しかし生きていく自信が無かったことや、価値の感じられない自分に不安を感じていたのでテストを受けて中途半端に点数をとったところでどうもならないと感じ無気力になっていた。
結局テストをする意味すらもわからなくなっていたので、白紙で出した教科もあった。
学ランのホックを外して歩いていると生徒指導の先生が声をかけてきた。
「ホック付けろよ!」
何の気なしに言った言葉だとは思うが、何がホックだ・・。付けたところで一体何になるんだ・・と思い私はキレた。
「ホック!ホック!うるせーな!!てめぇ!しばくぞ!!!」
生徒指導の先生の驚いた顔が忘れられない。先生には悪いが、きっと私は校則や身形よりも救いを求めていたのだと思う。
そして、ひきこもる・・・。
我が家は皆仕事をしていたので家にいたのは私1人だけだった。
今日も登校時間は過ぎており、家から出る前から遅刻は確定していた。
制服を着替えて一息吐いたところで油断した。
全身の力が抜けて私はその場でしゃがみ込んだ。
そこから動けなくなり、そのときから私のひきこもり生活が始まった。
ひきこもりの気分
医師にこのように言われたことがある。
医師「ひきこもりは自分の意思でなったんじゃろ?」
この言葉に私は憤慨した。
しかし、自分の意思とは関係なくひきこもったと言う発想だと、コントロールできなかったという劣等感が生まれてしまう。自分で選びとってひきこもったという解釈なら、劣等感はそれほど湧いてこないという意味があったらしい。
つまり解釈の問題で、過去は変えられるという話だった。
理屈ではわかるのだけど、やはり納得はいかなかった。
昔、故・石原慎太郎さんが、「ひきこもる方がまとも・・」的な発言をしていたことを聞いたことがあるのですが、私の場合はそんな良いもんではなく、学校に適応できずにひきこもっただけだった。
私のように学校に行かずに外出もせずに家にずっといる生活を送っている人が世の中にいると思っていなかった。当時は「ひきこもり」という言葉が無かったのです。
学校に行かなくなったことの開放感があって、最初の1ヶ月ほどは安堵した。
その頃、よくジブリ作品のビデオなどを見返していた記憶だけがある。
しかし1ヶ月も過ぎる頃になると、この生活のヤバさを感じるようになってくる。
完全に世の中から置き去りにされているし、おそらく単位も足りないので留年するはずで、もう一度復帰して2年生を行う勇気もない。危機感がありながら打開策が全くない状態。
この頃は記憶があまりない。辛くて記憶を抹殺したとかではなく、思い出せるエピソードがほとんど無いので、記憶が無いだけです。
そして家にいながら私はフードを頭からすっぽりと被った状態で生活をしていた。家族は何か言ってくるわけでもないのだが、フードを被って自分を守っていたのだと思う。
そして当然のように私は留年した。
昼夜逆転
当時私の住んでいる地域では「新日本プロレス」が木曜の深夜に行われていた。
毎週唯一の楽しみがこの「新日」だったのですが、昨日観たはずの「新日」がもう今日の夜に放送される。
終わったと思ったら、またすぐに「新日」が今夜ある。
あまりの時間経過の早さに私は発狂しそうになって、深夜に自転車に乗って飛び出した。
情緒がぐちゃぐちゃになっていたので、定期的に部屋で暴れることになる。お陰で部屋の中が荒れに荒れていた。
ひきこもり生活の定番で、私もご多分に漏れず昼夜逆転生活を送っていた。
皆が日常生活を送っている日中に起きていると不安になる。
寝静まっている時間帯にモソモソと起き始め、静かに過ごす。
深夜の家族が寝静まっている時間が最も落ち着くのだが、突然怖くなってくる。
死のうと思い部屋から飛び出し、結局死ねないので母を夜中に起こして不安を吐露していた。
生きる気力
生きる気力が湧いてこないので、どうにかしようとする気力もない。
そして唯一話ができたのが母だが、自分の気持ちを伝えようとしても私の言っている意味がわからないという。
当時18歳だった私は非力だったが、今の私がもし18歳に戻っていたら何をしていたかなと思う。
ネットから見られる動画などはヤバイとは思う。
今から25年前は今ほど娯楽は無かった。私はヘビーなゲーマーでも無かったし、買い物にも怖くて行けなかったので、家にテレビとDVD、そしてゲームが少々ぐらいしか無かった。
ネットがあると生活を正すのは難しくなってくる。
となるとひとまず朝になったら体内時計を正すために庭に出て日光は浴びるとは思う。
そして家族に助けを求めるとは思うが、仕事や学校に行く恐怖心は簡単には克服はできないと思う。
案としては認知行動療法的に今日は玄関から近所の公園まで歩こう(夜中)。
そして歩いたら自分を褒めるという風に、少しずつ自分を褒めながら行動範囲を広げていく方法をとっているかもしれない。
症状について
ストレスが原因で家にいる間に様々な症状が現れた。
しかしこの症状にも意味があるという。
医師「症状というのは君に何かを教えてくれてるんだよ。振り向いて欲しいから症状という形で現れているんだよね」
自分を無視したから、突然体が動かなくなったのかもしれない。
無視しない状態とは、どういうことだろう?
自分なりに考えてみると、思考で感情を抑えつけるところが私はあったので、「快」「不快」を含めた感情を認めるということだと思う。
そして、もっと自分を大切にするなら「快」をたくさん経験して、「不快」を遠避ける生活を送ったら私は喜ぶのではないかと思う。
「ひきこもり」から社会復帰をしてだいぶ経つのだが、今でもたまに職場で息が苦しくなったりすることはある。そんな時は大抵私は無理をしている。
深呼吸をするのも良いのだが、根本的に改善するなら無理をしていない自分を受け入れ、そのままでも良いと思いながら仕事をすることだと思う。
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