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ひきこもり時代の心象風景。

基本的にひきこもり時代は暇なのです。

当時はスマホなどはなく、ネットは姉が持っているパソコンのみしか見るこことができません。

調子に乗ってネットからエロサイトに侵入していると、アフリカのシオラレオネという国のサーバーにいつの間にか飛ばされており、結果的に3万円取られてしまう羽目になりました。

お金は取られ、姉にエロサイトをみていたことがバレるわで、私は完全にビビってしまいました。

しかし、それが結果的に良かったと思います。

スマホをいじっている時の体感時間は半端なく早いのです。

私がひきこもり時代にスマホを持っていたら、ネット依存になっていたと思います。だから今の人たちは大変だと思います。

勘の良い人はネットで発信活動を行ってお小遣いを稼ぐことができると思うのですが、それは一部の人だと思います。

大部分のひきこもり難民たちは現代社会で苦戦を強いられていると思うのです。

携帯電話を持っていない。そしてネットにビビっている。そうなると圧倒的に時間ができるのです。

そんな暇な状態だったからか、私の頭の中に常に一定のイメージがありました。

イメージは頻繁に私の中に現れる映像です。意図的にその画像を想起させているわけではなく、不意にフッと頭の中を過ぎる映像なのです。

今回はそれを紹介しようと思います。

トロッコに乗っている私

これは世界観を現したイメージです。

線路を走るトロッコがあって、そのトロッコ上に十字架があって磔られているのです・・・何が?私がです。

十字架に縛られた私は逃げることができずに、線路の上を縛られたまま走らされる羽目になっているわけです。

その状態で石が飛んできて、槍で突かれるわけです。
苦しみながらも十字架から逃れることはできません。
要するにこれは拷問です。

それがことあるごとに私の頭の中に浮かんでくるのです。

特に絶望的な気分になった時にこのイメージが湧いていました。

この世界は逃げ道のない拷問のようなものだと思っていました。

逃げ道がなく、ひたすら傷付けられるという世界観です。だから、ご先祖さんに感謝というものができませんでした。

ご先祖さんが脈々と続いているから今の絶望があると思っていました。

また知り合いに子供が産まれた時になぜ「おめでとう・・」なのかも理解できませんでした。

絶望的な世界に不本意ながらも産み出されているので、子供が哀れに思えていました。

「おめでとう・・」ではなく「ご愁傷様・・」なのです。

未熟な男女が自分たちの都合で子作りしやがって・・・あっ、これ以上言うのはやめましょう・・。

ひきこもり当時はそう思っていましたが、甥っ子ができて一緒に写真を撮る機会がありました。

甥っ子を自分の膝に乗せて、頭頂部の匂いを嗅いだ時に私の中に父性の様な愛おしい感情が湧き上がってきました。

経験がないからわかりませんが、人間には子供を愛おしむ様な特殊な感情があるのでしょう。

腹部をナイフで刺される

腹部をナイフで刺されるイメージも頭から離れませんでした。

ナイフは人から傷付けられることを現していました。

あくまでイメージなのですが、現実と混同しているので、刺される感覚が怖くて人に近づくことができませんでした。

特に心が疲弊している時に、意識がコントロールできなくなってくるので、ナイフで腹部を刺されるイメージを振り払うことができなくなってしまうのです。

そのイメージで多くの人が乗っている電車に乗れなくなったことがありました。

ブラックホールに吸い込まれる

月のような巨大な球体に、多くの人たちが横並びに手をつなぎ合ってグルっと取り囲んでいるイメージもありました。

月のような惑星は赤茶色で、人々は皆空中に浮いていました。

その人々の遥か上空に真っ黒いブラックホールが浮かび上がっているのです。

ブラックホールは人々を吸い込んでいきます。

繋いだ手を離した人から吸い込まれていきました。

手を離すとは、人付き合いを切って孤立することを意味します。

そのイメージが私の中にあったので、手を離してはいけないと思っていました。

これが最も私の中に浮かび上がっていたイメージでした。

人生の進捗状況のイメージ

氷壁の奈落の底に一人の男の子が横たわっていました。

ひきこもり時代の何も希望が見えない時期に、頻繁にこの奈落の底で倒れている男の子のイメージが頭を過っていました。

ひきこもり時代は希死念慮が強かったので、常に死ぬことばかり考えていました。

それが少しずつ意識が「生きる」に向いていくと、フリースペースのスタッフさん達から得られる情報を積極的に活用して、運転免許を取りに行ったり、ヘルパー講習を受けたり、ボランティアに取り組む様にもなっていきました。

このように現実が少しずつ動き始めると、奈落の底で横たわっていた男の子は立ち上がって、吹雪の中を氷壁にしがみ付いて登り始めたのです。

この頃に自分の人生とこの男の子のイメージがリンクしていることに気付きました。

パートの仕事を始める頃には、奈落の底につながる穴ぽこからは脱出し、暗い森の中を歩くようになっていました。

イメージは何年にもわたって続いていたのですが、最終的に森から脱出すると明るい花畑に行き着き、そこでイメージが自然消滅していったのです。



このように世界観や現状を夢のようにイメージで現す経験は、誰しもあるものかもしれません。

ひきこもり状態から立ち直るまでの十年近い期間は私にとって夢(どっちかというと悪夢)のような期間だったということかもしれません。

だから頻繁にこのような言葉ではないイメージが想起されていたのでしょうか。

社会に出て忙しい日々を送っていると、刺激を受けるばかりで想起させるような時間はめっきりと少なくなってしまいます。

心象風景は創造の源になりそうです。
創造の源は手放しましたが、明らかに私は今の方が幸せな生活がおくれています。

だから、きっとこれで良かったのでしょう。よくわからんけど・・。

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