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「意識」は「無意識」によって生まれ、意思決定は錯覚であり幻想である、と分かる本を読んで

最近写真を撮ることにハマってるのは前回でも書いたが、じゃあカメラのメカニズムって具体的にどういうものか?(表面上は理解していても具体的な物理現象が分からなかった)という疑問にぶつかったので、とりあえずYouTubeで検索してみようと思い検索してそれらしい動画を探していると、だんだん科学者の公開講座動画や、大学の講義動画がおすすめにいっぱい出てくるようになってきた。その中でこれは面白そうと思ったのが、受動意識仮説の講義を収めた動画だった。


意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説


なるほど!と思う部分が多くまあまあ内容が衝撃的だったので、動画を観終わって速攻Amazonで同内容の本をワンクリック。

脳はなぜ「心」を作ったのか ─「私」の謎を解く受動意識仮説
https://www.amazon.co.jp/dp/4480427767/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_W05778VVG9R3M5X4XK51

本を読む前は、無意識の処理を受動的に注意を向けるのが意識という、つまり時間軸でみて無意識→意識のプロセスになっているのが信じがたかったが、読み終わったら、確かになるほど、そういえばそう考えれば腑に落ちる場面があるなと思った。

音楽をやる人なら分かると思うが、ビブラートをかけるとき、気がついたらビブラートがかかっているあの状態がまさにそうではないかと思った。無意識が先行して指の筋肉に指令を出して動かし、その後に「ビブラートをかけよう」という意識が表れると考えたら納得がいった。(意識→指の筋肉へ指令という考えだと実際にビブラートがかかるまでディレイが生じてしまう)

写真を撮るときも、「この構図にしよう」とか「シャッターボタンを押そう」とかもすべて無意識からの指令なので、じゃあ無意識がやってることだから逆にリラックスしてクリエイティブな作業ができるよね、と思うことができると、以前とはまた違った視点で作品を作ることができるのかもしれない。

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