感覚的な栄養は死守したい
こんにちは、あるいはこんばんは。
noteの管理センター的なところから、毎月更新しませんか??という通知をいただいて「そういえばすっかり書いていなかったな」と思い立ったので久々になんか書きたいのですが、現時点では、あんまり何を書くか決まっていません笑
というのも、4月から鍼灸の夜間専門学校に入学して、新たな青春を取り戻そうと必死に生きていたら時間があっという間に過ぎ、noteを書くというところまでいっていなかったのが正直なところです。
つまり、何が言いたいかというと「時間がない」ということを言い訳したかっただけです笑。
そんな、環境の変化によわい単細胞生物アメーバのような私ですが、学校に入学し、勉強、仕事、フィジークの大会も在学中は毎年出たいなと思っております。
やりたいことは意外と多いかもしれません。
なぜかって、多細胞生物なんだから身体中の細胞を総動員して生きたいだけです。
人に生まれた以上、自分の脳みそを使って自分のエネルギーを注げることに対して能動的プロセスを踏んで生きていくことが、大変だけど、大切だし、それが楽しいと思うです。
自分は、勉強は得意ではありませんし、元々の体格もよくありませんし、身体も心も緊張しいなので、自分の身体づくりや、勉強に結構つまずきます。
だけど、これなら自分でもエネルギーを注げるな、と思えたので全額Betです。
脳みその機能が停止したら「脳死」といわれ、それが「死」なのかどうかは様々な意見があると思います。
脳みその働きを保つ、向上するためには「刺激」が必要ですよね。(後燃料も)
刺激というのは、活動のことです。
運動はもちろん、会話、読書、人と会ったり、いろんな場所に行く、などの人としてのあらゆる活動や何かしらのストレスが脳への刺激となります。
こういった感覚的なインプットは脳にとっては必須の「栄養」とも言えるかもしれません。
「ブランシェ・モニエの変貌」というのはご存知でしょうか?
この写真をみてみてください。
この写真は同じ人です。25年後くらいとは言われていますが、それにしてもこの変貌は凄まじいものです。
これ、何があってこうなったと思いますか?
「監禁」です。
母親と兄によって25年、ベッドに鎖をつけられていました。
理由は、ブランシェ・モニエが結婚すると言った相手を母親が気に食わなかったから。
食べ物と水はあたえられてたそうです。
つまり、「物質的な栄養」があっても「感覚的な栄養」がこのような悲惨なほどになくなると、人は人として生きることはままならない。
人にとって脳への刺激がいかに必要かということを示唆していると考えられるかもしれません。
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