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遺言

私は怪談が大好きなので、当然稲川淳二さんのお話も季節に関わらず繰り返し聞いています。最近はメディアでも見かけなくなった稲川さんですが、夏になると風物詩のようにどこからともなく現れる。ついにYouTubeチャンネルを開設されたようです。

遺言という言葉に稲川さんの並々ならぬ決意を感じます。おそらくすべてを後世に遺そうという気持ちなのだと思います。上の動画、序章では稲川さんの『怪談』のルーツが語られます。

怪談を聞いたり、話したりするのが好きな人が、この日本には随分多い気がします。これってとても有り難いことだなあと個人的には考えています。日本人の想像力の豊かさ・感性の鋭さを示しているんだと思います。

怪談はホラーとは一線を画します。日本人の感性がことばに宿って、人間のこころの闇・自然との関係を映し出す、一種の文化伝達媒体なんですね。幽霊がいる・いないとか、そういう議論とはまったく無関係に、怪談は人間のあり方・感じかたを映す鏡として、また臨場感・情緒溢れる語りを通した『場』の創造をする装置として、成立している。一種の芸術であり、形のない文化財です。

もし子供の頃などに、説明のつかない奇妙な体験をしたり、身近な人から聞いたりすると、怪談はまた違った趣を持ちます。私も二、三そういう体験談がありますが、そのような人にとって怪談はこの世界のある一側面を切り取った現実であり、暗闇のなかで妖しい光を放つ珠のような魅力を持ちます。

柳田国男も幼少期に不思議な体験をしており、それが大きな原動力となって民俗学の研究に傾いていったようです。以下の文章はそのなかでも特に印象深いエピソード(ある神秘な暗示より)。

この祠の中がどうなつてゐるのか、いたづらだつた十四歳の私は一度石の扉をあけたいと思つてゐた。たしか春の日だつたと思ふ。人に見つかれば叱られるので、誰もゐない時恐る恐るそれをあけてみた。そしたら一握りくらゐの大きさの、じつに綺麗な蠟石の珠が一つをさまつてゐた。その珠をことんとはめ込むやうに石が彫つてあつた。……その美しい珠をそうつと覗いたとき、フーッと興奮してしまつて、何ともいへない妙な氣持になつて、どうしてさうしたのか今でもわからないが、私はしやがんだまゝよく晴れた靑い空を見上げたのだつた。するとお星樣が見えるのだ。今も鮮やかに覺えてゐるが、じつに澄み切つた靑い空で、そこにたしかに數十の星を見たのである。晝間見えないはずだがと思つて、子供心にいろいろ考へてゐた。そのころ少しばかり私が天文のことを知つてゐたので、今ごろ見えるとしたら自分らの知つてゐる星ぢやないんだから、別にさがしまはる必要はないといふ心持を取り戻した。
 今考へ直してみても、あれはたしかに異常心理だつたと思ふ。だれもゐない所で、御幣か鏡が入つてゐるんだらうと思つてあけたところ、そんなきれいな珠があつたので、非常に強く感動したものらしい。もしもだれかそこにもう一人、人がゐたら背中をどやされて眼をさまされたやうな、そんなぼんやりした氣分になつてゐるその時に、突然高い空で鵯がピーッと鳴いて通つた。さうしたらその拍子に身がギュッと引きしまつて、初めて人心地がついたのだつた。あの時に鵯が鳴かなかつたら、私はあのまゝ氣が變になつてゐたんぢやないかと思ふのである。

このような体験は、ある一定の条件を満たしたときの人間の心理的状態として説明がつくのかもしれません。しかし、それが科学的に解明可能かどうかとは独立して、特殊な経験をしたことがその人の関心を引き起こし、同種の体験談を探求するひとつの文化的媒介装置となることそれ自体が大切です。

科学的な世界観がこれほど浸透している時代は過去になかったでしょう。(科学自体新しいのですが。)そのなかで人間というのはどれほど変わったのか。わたしたちは世界を説明し、理解したいという根元的な欲求をもちながら、同時に、いつまでも解明されない謎が最後の砦としてあってほしいと(ひそかに)望む矛盾した生き物です。理解不能で説明不可能だが、それを実際に自分は体験したのだ、もしくはそのような世界があるのかもしれない、そういう思いを胸に秘めていることによって、もしかしたら、人は科学的説明という暴力から自分自身を守っているのかもしれません。

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