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己を映しだす本棚 #小説10選

 棚がスライドできる本棚を買ったのは、前の家に住み始めたばかりの頃だった。後ろの本が取り出しやすくなり、これで私もスタイリッシュな読書ライフを送れる……と思いきや、棚に本が入り切らず、あふれた分をキャスターレールの上に積んだ結果、可動しない不動の本棚と化した。

 数年後、また引っ越す機会が訪れたため、今度は本棚を買い足し、平積みをせず、しっかり棚が動くようにするぞ。そう決意した。いったん本は、新居の押入れに退避させ、落ち着いたら本棚を買い足すか……こうして、新居に移ってからもうすぐ1年になる。もはや「新」居ではない。さすがにまずいと思い、本を押入れからすべて出し、もとの本棚に戻した。溢れた分は、また積んだ。結果、引っ越す前と全く変わらぬ光景となった。

 しかし、本棚を買い足さなかったことで、得られた気づきもあった。それは、並べ方のルールを決めていないのにも関わらず、前面の棚に入れた本の顔ぶれが、変わらないことだった。直感で入れていったのに何故だろうと思ったが、直感だからこそ、「これは前面の棚に入れたい(目に触れる場所に置いておきたい)」という本心が、如実に表れたらしかった。どれも、背表紙のタイトルをみただけで体温が少し上がるような、そこに在るだけで心が落ち着くような、繰り返し読んでいる本だった。


 よく「名刺代わりの小説10選」タグを見かけては、自分も選んでみたいなあと思いつつ、選べずにいたので、「名刺代わりの小説10選」改め「本棚の前面に入れた小説10選(2023年時点)」をまとめてみることにした。以下、順不同・ネタバレなしです。

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①星の王子さま サンテグジュペリ 池澤夏樹訳

 読むタイミングによって感じ方や印象に残るキャラクターが全く異なる。そのとき自分が何に悩んでいるか、何に関心があるかで、解釈の奥行きや幅も変わってくる。言い方を変えれば、いつ読んでも、読み手に何かしらのヒントを残してくれる。こんなに読み手へ寄り添ってくれる、寛容な物語があるのかと驚くばかり。常に近くへ置いておき、定期的に読み返したくなる、生涯の伴走者的物語。

〈余談〉
今年の3月に閉園した、箱根の「星の王子さまミュージアム」にて撮った1枚。
ボアがゾウを消化しているところ。


② TUGUMI  吉本ばなな

 文体が一貫して、陽光を反射する水面みたいにきらきらと瑞々しく、読むだけで心が潤う。登場人物たちがまぶしく、彼らをみていると、自然のリズムに身を委ねて生きたいと、そう思ってしまう。陽を浴びてあたたまる、風に合わせてなびく、波の満ち引きと共に呼吸をする。そうしているうちに、人間の本質的な部分をかぎとれるようになっていくのだろう。あぶなげで儚く、心豊かで破天荒な少女・つぐみに、ふと会いたくなる瞬間がある。「何かを得る時は、何かを失うように決まってるだろ」というつぐみの言葉を、いまだに何度も咀嚼している。


③壁 安部公房

 「目覚めたら自分の名前が分かんなくて、とりあえず会社に行ってみたら自分の名刺が、自分自身として、自分のデスクにいて、あれ、じゃあ自分は一体……」と超展開からはじまる、最高文学。とにかく個人的に刺さりすぎて、初読時はくらくらした。当時はちょうど、自分でもどうにかこねくりまわして、いわゆる不条理小説を書こう書こうと模索していたのだけど、本作を読んだら必要性を感じなくなった。私が書く必要なんぞ、私が生まれる前からなかったんだ。大好きです。


④対岸の彼女 角田光代

 恋愛感情ではないけれど、友情とも簡単にはくくれない、切実に求めてしまう親密な相手がいる。そこには2人の、2人にしかわからない世界がある。過去の時間軸で進む少女たち、進行形で描かれる大人の女性たち。自分を見つめながら、相手を見つめながら、そして相手からみた自分を見つめながら、近くなりすぎたり離れたり、「2人」の関係性は変化していく。読了後、改めてタイトルを読み、しみじみと感じ入ってしまった。圧巻です。


⑤ありふれた風景画 あさのあつこ

 登場人物が生きている、現実で息をしているんだと、そんな感覚をリアルに味わったのは本作が初めての経験だった。読了後、ひとり散歩をしていたとき、ふと「登場人物の2人が幸せだといいなあ」と、ものすごく自然に思えた。あまりに自然に湧き上がってきた思いだったので、我ながらびっくりした記憶がある。それに、リズムがよく洗練された文体にも、心を奪われた。登場人物に会うためにも、文体のお手本としても、何度も開きたくなる1冊。


⑥ 君は永遠にそいつらより若い 津村記久子

 文体がユニークで、主人公の語りをどんどん読みたく、聞きたくなる。彼女がラジオをやっていたら間違いなくリスナーになっている。物語は大学生の日常……と思いきや、読み進めるうちに、はらはらする場面や登場人物の背景、主人公を突き動かしている情動が明らかになっていく。「どうなるんだろう」と釘付けになってページをめくっていた。また、はっと目の覚めるような言葉が、随所に散りばめられている。中でも「魂と肉体の組み合わせは無数にあり、その相性がよくないことに悩むことのなにを責められるというんだろう。両者の間の軋みを感じ取ることができるのは当事者だけなのだ」という主人公の言葉に、救われた。


⑦仮面の告白 三島由紀夫

 高校生のとき、三島由紀夫の文体になじめず挫折したけど、数年後、大学生になってこの1冊を読んで驚いた。文体が肌に合い、すっと入ってきた。文体の相性というのは、タイミングもすごく大事なんだな、と実感。生涯をかけて楽しむもの、という文学の醍醐味を、身を持って学ぶことができたという意味でも、思い入れのある本作。特に印象に残っているのが、主人公が近江への気持ちを自覚する、雪景色の場面。冬が来るたびに思い出す。その場にいたかのように、映像が焼き付いて離れない。


⑧恋恋蓮歩の演習 森博嗣

 中学〜高校にかけて読み耽っていた森博嗣ミステリーのうちの1作。ドラマにもなった犀川&萌絵シリーズの、その次のシリーズに主要人物として登場する保呂草潤平が非常に好みでどっぷりハマった。私がめちゃくちゃ勝手に作り上げたイメージは「頭が切れ、冷静沈着だが、得体が知れず、みんなの前では本性を隠し、常に飄々と振る舞っている、オダギリジョー」という感じ。読み返すたびにビジュアル・オダギリジョーで再生されるので、だいぶ心臓やられる。オダギリジョーのことを好きなだけでは?


⑨変身 カフカ 高橋義孝訳

 目を覚ますと、自分が巨大な虫になっていることを発見する。突拍子のないはじまりに思えるが、なんだか悲しいほど身につまされるものがある。会社に行かなきゃならない、家族を支えなければならない、けれど体がうまく動かない。言葉も周囲に伝わらない。家族からも「人」ではなく「虫」として扱われる。細やかで丁寧な描写が、当たり前のように冷静な語りで綴られていくから、よけいに生々しい。また、読むほど印象深くなるのは、妹の存在。そして、家族の変化。最後のシーンは特に強烈である。


⑩星の子 今村夏子

 やさしい文体で進んでいくため、その読みやすさにすらすらページをめくっていると、気付けば逃げ場のない孤独に突き落とされている感覚。「人間は結局ひとり」を否応なしに体感させられる。精神的にギュッ……となって息の詰まる場面が散りばめられており、どうしようもない、誰も悪くない、だからこそ、この苦しみをどこへやればいいのか分からない。切実な内容なのに、淡々と進んでいくから余計に哀苦がつのっていく。本当にすごい。今村夏子小説でしか得られない感覚が確かにある。『星の子』を挙げたけど、『あひる』や『こちらあみ子』、また他の短編集なども、後を引くほど苦しいのに、読みやすいからどんどん欲してしまう。定期的に読みたい衝動にかられる小説。


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 どれも、読んでいる途中で心を掴まれすぎて、落ち着くために一旦閉じる、という経験をした。それぞれに固有の物語、空気感、温度があるので、共通点を挙げるのは野暮かもしれないが、テーマとしては「倫理」や「不条理」などに、自分は惹かれやすいのかなと感じた。物語の透徹したテーマが、象徴的に描かれるシーンを読むと、ものすごく高ぶる。これは小説ならではの体験であり、代えがたい幸せ。

 そして、平積みの本にせき止められ、特長であるはずのスライドが、できなくなっている自分の本棚を眺める。何年もラインナップの変わらない前面の棚に、読む量が追いついていない積読の山、それによって長所を活かすことができなくなっている本棚。なんだかその様子が、すごく私らしいな……と切なくなるのだった。

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