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暮らしの変遷と東京大仏

 旅行や引越しが決まると必ずしてしまう習慣がある。それは「その地名 仏像」で検索をすることだった。地域に根づく小さな石仏や、背の高い観音像など、姿や表情がさまざまでたのしい。  さいきん数年ぶりに都内へ移り住んだため、例にもれずご近所にあった寺院をいくつか散策した。自分と同じくらいか、かがむと目が合うくらいの像が多く、親しみを感じられるのだった。  しだいに、迫力のある大きな姿も見たくなってきた。そういえば「東京大仏」と呼ばれる像があったなと思い出す。ものすごく有名、とい

    • 世界でいちばん好きな疲労

       やりたいことリストのひとつに「5つの国立博物館を制覇する」を挙げている。5つとは「東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館・九州国立博物館・皇居三の丸尚蔵館」を想定しており、そのうち、前者の2つはすでに訪問したことがあった。 ▼5つは国立文化財機構の施設  そして、先月の京都旅行にてようやく、念願の「京都国立博物館」へ行くことができた。以下、簡単な紀行文です。 きっかけ 国立博物館への興味が芽生えたのは、東京国立博物館が最初だった。国も時代も超え、多岐にわたる展

      • みかえり阿弥陀のおもかげ

         永観堂のご本尊である、みかえり阿弥陀の像を知ったとき、「なぜだろう?」とまず疑問をもった。阿弥陀如来像といえば、正面を見据え、静かに口を閉ざしている姿が、当たり前だと思い込んでいたから。手はしっかりと印相を結んでいるが、後ろを振り返り、何かを気にしている様子の姿。とても気になる。  サイトや本で背景を調べる前に、そのストーリーを自分勝手に想像してみる。例えば、背後から誰かに声をかけられた?……修行者や拝観者のことを気にしている?……どれも解像度が低く、ぴんと来ない。せっか

        • 波乗り観音に導かれて

           Suicaで新潟駅に入場し、平木田駅をめざす。電車に揺られ、数駅を過ぎれば、窓の向こうは空の面積が多くなっていた。田んぼが広がり、停車する各駅は閑散としている。しかし、平木田駅は、まだ何駅も先だった。流れていく景色を見つめながら、ぼうと頭を空にする。この「考えごとをしなくていい時間」は貴重だと気づき、スマホをリュックの中へしまった。 ***  数年前の春、社会人になりたてだった私は、「大きな仏像を目にしたい」という衝動と、「どこでもいいから遠くの知らない地に行きたい」と

        暮らしの変遷と東京大仏

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          己を映しだす本棚 #小説10選

           棚がスライドできる本棚を買ったのは、前の家に住み始めたばかりの頃だった。後ろの本が取り出しやすくなり、これで私もスタイリッシュな読書ライフを送れる……と思いきや、棚に本が入り切らず、あふれた分をキャスターレールの上に積んだ結果、可動しない不動の本棚と化した。  数年後、また引っ越す機会が訪れたため、今度は本棚を買い足し、平積みをせず、しっかり棚が動くようにするぞ。そう決意した。いったん本は、新居の押入れに退避させ、落ち着いたら本棚を買い足すか……こうして、新居に移ってから

          己を映しだす本棚 #小説10選

          法隆寺から出られない

           東京→奈良の夜行バスに揺られながら、この間にどれくらいの寺院を通り過ぎているのだろうとやきもきし、バイクの免許をとろうと決めた。数年前の秋口、まだ大学生の頃だった。 ***  大学の講義で、概要ではあるが、仏教について教わった。古くからある「空」の考え方が、自分にとっては新鮮だった。目の覚めるようなおもしろさ。それに、日本文学とも密接に関わっていると知り、俄然興味がわいて、気付けば東京国立博物館に足を運んでいた。  そのとき開かれていたのは運慶の特別展だった。私はそこ

          法隆寺から出られない

          保険適用外の学び

           土曜日、歯科医院へ行った。徒歩圏内かつネット予約ができるからという、何とも当たり障りのない理由で選んだ医院だが、「自分は今6才の容姿をしているのか?」と疑ってしまうくらい、毎回 やさしい しんさつ をしてくれる。何よりも歯科衛生士さんの安心感はすごい。はじめの「お待たせいたしました」という挨拶、その後の「あれからお具合はいかがですか」、診てもらっている最中の「よく磨けていますね」。ひとつひとつの言葉は何気なくも、語り口がびびるほどにやわらかい。どんな返答をしても、にこやかに

          保険適用外の学び

          踊り場のトンボ

           中学生のとき、理科の参考書に出てきたトンボの画像。顔のどアップだった。まあるくて大きくてぎょろぎょろとした、複眼。はじめは何が写されているのか分からず、しばらく見つめていたが、理解したとたん、体が震えて寒気がした。鳥肌がとまらなかった。あ、コレ本当にダメなやつ、と思って、上から大きな付箋をはり、見えないようにしたことを覚えている。なぜそれほどまでに「嫌」で、こんなにも「拒否」してしまうのか、自分でも理解できなかった。  大人になった今でもトンボは苦手で、外で浮遊している姿

          踊り場のトンボ

          水と文体

           米の味がよく分からない。お米県生まれお米県育ちのため、上京すれば「こっちのお米おいしくないでしょ〜」と言われることもあったが、へへ…くらいの返ししかできなかった。相手が求めている(思い描く)リアクションは「いや、びっくりしました〜全然違うんですね〜」とか「やっぱり地元の方が美味しいですね〜」とか、前提として『お米県の方が美味い』という感覚のうえに成り立つ。しかし、その前提すら持ち合わせていない私は、相手が予想しているであろうリアクションを察しながらも、0から嘘をつくりあげる

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          12月のパラドックス

           師走の候、ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みました。これまでは積読山(つんどくやま)のいちぶだったのですが、「今だ!!」という天啓(という名の焦燥)により、ようやく腰をあげました。  一読を終えた正直な感想は、むずかしかった、です。むずかしかった、ということは、これから咀嚼する余地がむちゃある、ということですので、すなわち積読山は、読む前よりも5冊分ほど高く積みあがったわけです。さて、積読山の標高は今いくつでしょう?(24歳・会社員)  時間をテーマに展開されるものがた

          12月のパラドックス

          ひとりたび

           夢をみた日は得した気分で目が覚める。パラレルワールドにアクセスできた! みたいな。小説にのめりこんだあとのように、現実のほうはすっかり置きざりのまま、別世界の時間を過ごしてきたことで、リフレッシュできた感じがする。  物語にひたっているときの幸福のゆえんは、現実とは異なる時間軸で、己以外の主観を追体験できる点にあると思う。それに、もとの世界に戻ったあと、「日常もいち物語でしかないんだな〜」と、現実とちょっと距離をおける感じがして、ささやかながらもリラックスできる。もっとい

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          ハニーミルクラテの冤罪

           タリーズでハニーミルクラテを飲んだ。ただの気まぐれだった。ソイラテを愛してるので平素は迷わずそれを選ぶのだが、なんとなく文字列に惹かれて注文。これがめ〜ちゃ美味しくて、どハマりした。てっきり「はちみつ風味」のミルクラテかと思っていたが、ちゃんと「はちみつ」の入ったミルクラテだった。ストローの挿しどころによっては、トロッとした「はちみつ」をもろに味わえる、いわゆる★☆★甘味スペシャルゾーン★☆★があり、その特別感に胸を打たれた。うめぇ。  そんなマイブームを小脇に抱え、ドラ

          ハニーミルクラテの冤罪

          夢路アラート

           赤信号になれ、と強く望むときがある。たいがいそれは夜で、目的地は家であることが多い。体は疲れているし眠たいのに頭のなかで「何か」がぐつぐつとうごめいているような感覚。このまま景色の動かない部屋にこもってしまったら、その「何か」に存在ごと飲みこまれてしまう気がするのだ。  21時を過ぎていた。イヤホンをさして今月つくったプレイリスト「2206」をタップすると、Vaundyの『恋風邪にのせて』が流れはじめた。大通りに出る。歩いている人は私以外にいない。車がときおり走りさってい

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          いろはすの目

           会社は静かだ。足音さえも気をつかってしまう。常に響いているのは、キーボードの音。かたかたかたかたぱしん(エンター)。だからちょっと重ためのゴミをゴミ箱へ入れるだけで、袋がカサァ……と、うるさく感じる。そんな環境で、私はいろはすをつぶすことができなかった。昨日、そのまま捨ててしまった。そしてふと、違和感をもった。  悪いことをした気分。  深いゴミ箱のなか、ほかのペットボトルたちの上に転がった彼を見て、心がほのぐらくなった。彼のことを、つぶす「べき」ではないのか? そう少

          いろはすの目

          リズミカルな生

           山に囲まれ海はすぐそこ、そんな場所へおとずれた。古い家屋がならぶ道、目線を横へずらせば小川がのびている。目的地はとくに決めていなかったので流れにそってゆらゆら歩いていると、奥に佇んでいたのは寺院。見上げる山門は、ひっそりと、しかしたしかな存在感でかまえている。門前には「時宗」の文字があった。ひどく気になる。  足を踏み入れた。とたん不可思議なこころもちになった。「自分」がぐんと拡張されたような、体という枠から流れ出ていくような、まわりの緑と混ざりあうような。木々にも、青葉

          リズミカルな生

          山のカオ

           学校までの道中、バスに揺られる30分。窓から眺める景色が好きだった。背の高い建物はなく、季節の色も、その日の天気のぐあいも、肉眼で受けとることができた。中高6年間、ずっと同じ道路を走っていたはずだが、ふしぎと飽きを感じることはなかった。  ある日、雲間から差した光が、そびえる山を照らしていた。天から注がれる白いそれは、水の流れのように見え、山はこうして水分補給してるのかと思った。また別の日。同じような景色だったが、今度は、スポットライトを浴びているように見え、この世界の主

          山のカオ