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水と文体

 米の味がよく分からない。お米県生まれお米県育ちのため、上京すれば「こっちのお米おいしくないでしょ〜」と言われることもあったが、へへ…くらいの返ししかできなかった。相手が求めている(思い描く)リアクションは「いや、びっくりしました〜全然違うんですね〜」とか「やっぱり地元の方が美味しいですね〜」とか、前提として『お米県の方が美味い』という感覚のうえに成り立つ。しかし、その前提すら持ち合わせていない私は、相手が予想しているであろうリアクションを察しながらも、0から嘘をつくりあげることもできず、ただただ、へへ…と笑ってごまかした。「へへ…」と「分からないっす」だったら、まだ後者のほうがマシな気がする。いや、どっちもどっちか? 分からないっす。へへ…

 そんなんだから、水の味だって当然分からない。なんとなく水道水っぽいにおいがするな〜と思っても、もしかしたらそれはコップのせいかもしれないし、コップを拭いた布巾のせいかもしれないし、つまり水それ自体の味とかにおいが分からない。カフェに行って、無料で差し出された水に対し、一緒に来た人が「なんか変な味しない?」と顔をしかめているとき、私はもう飲み干していたりする。聞く相手を間違えたといわんばかりに、顔をしかめられる。水に見せる顔と、私に見せる顔、あなた一緒なんですか? まじですか? 光栄です。私は老子の上善如水がダイスキなので、嬉しいです。へへ…

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 この前、ファミマで水を買って、会社にもっていった。デスクについてパソコンを起動させているあいだに、ひとくちそれを飲んだ。あれ、と思う。すごく美味しい。なんか、今求めていた「何か」と、寸分狂わずぴたりと当てはまった気がした。これだよこれ! と体が訴えていた。けれど、その「何か」は全く分からず、ぼんやりとペットボトルのパッケージを眺める。目に入ってきた、「軟水」の文字。ああ、なるほど。だからか。だから、自分になじんだのか。味もにおいも分からないくせに、なぜか「軟水らしさ」は分かってしまった。口あたりがまるっこく、親しみやすく、ほっとする。

 熟語が多くて漢字の目立つ文体と、やさしくなめらかでひらがなの目立つ文体と、漢字とひらがなの双方がバランスよく編まれている文体。もちろんほかにも、句読点や、形容詞の多さや、あまたの要素が絡みあって文体はできあがるけど、「かたさ・やわらかさ」を左右するのは漢字とひらがなの配分によるところが大きいと思う。誰が読むか、どこで読まれるか、対象とする読み手や媒体によっても適・不適があり、どちらが優れているかなんてのは全くない。でも、そういう社会性をいったんわきにおいて、すなおに私が好きだと思うのは「やわらかい」文体だった。やさしく平易な言葉で、まるい雰囲気をはなちながら、飲みこむと体がじんわり熱くなるような、そんな文体。日によっては、かための、一筋縄では飲みこめないような、そんな文体を欲しいと思う。けれどその感覚は、旅行のワクワクと近く、結局、やわらかい文体に触れると「これだな〜」と安心する。

 そんな似たようなしっくり感を、やわらかい水と文体に覚えるのでした。上善如軟水。米印、個人の感想です。

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