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【寄稿】想像力/妙心寺長慶院・小坂興道さま
前回の「大切にしたいこと」では、リクエストを寄せてくれるユーザーの気持ちを大切にしたい、僧侶と関わることで何かしら安心するような、そんな思いをしてもらえたらということを書きました。そのためには気持ちを丁寧に受けとることや、応募する時のメッセージの一言一言に最大限の注意を払っていることを書きました。
その際にとても大切な要素があるので改めてその部分に焦点を当てて書いてみたいと思います。
それはユーザー本人や、その気持ちを想像することです。ユーザーのリクエストに添えられるメッセージから、その方が今回のリクエストに何を期待しているのかを考えます。特に人生相談の場合は、メッセージから想像しうる、相談に至るまでの過程やメッセージの言葉の奥にある気持ちに思いを馳せます。
自死・自殺の相談活動でも想像することを大事にしますので、その例を引いて説明したいと思います。たとえば、電話相談では第一声に特に注意します。電話を掛けてくる方は、もうしんどくてつらくていっぱいいっぱいの状態であることが多いです。それでもいざ相談しようと電話をするまでには抵抗もあります。掛けた先の相談員はどんな人だろう?話をちゃんと聞いてもらえるかしら?とか、私よりもっとつらい人もいるかもしれない、私なんかが電話してよいものかしら?とか。自身の苦しい思いとは別に様々な不安も抱えて電話を掛けてこられるのです。それを受ける相談員の第一声が「はい、相談センターです」になります。たったこの一言でも、その後話そうという気持ちを後押ししたり、もうやめておこうと思わせたり、ずいぶん変わるのです。気持ちが沈んでしんどい時に、場違いに元気よく「はい!相談センターです!」と出られたらどうでしょう。なんだかそれだけでもうここはダメだという気持ちになりませんか?だから相談員は、この第一声に最大限の優しさを込めて出るようにと研修を受けます。
また会話中に沈黙が生まれることがしばしばあります。「もしもし」と掛けてきたものの何から話してよいかとか上手く言葉にならないとか、話そうとしたら苦しさが込み上げてきて話せなくなったりということも。そんな時、決して無理に話を促したりしません。相談者の気持ちを大事にし、言葉にならない思いを想像しながらじっくりと待ちます。
想像力とはとどのつまり「相手の立場でどれだけ考えられるか」ということになります。言葉にしてしまうとそんなに特別なことではありませんね。でも、それをどこまで徹底して出来るのか、また出来ているかどうか自分を省みながら臨んでいるのか。そうしたところでずいぶんと中身は違ってきます。
Hey!Bouzのリクエストに応募する際のメッセージでも同じ姿勢で臨んでいます。何か温かいものが伝わればとの思いを込めているのです。
〈運営担当から〉
前回に続き、大切なメッセージをいただきました。
仕事で相談を受けるにしろ、身内から相談を受けるにしろ、一度「悩み相談を受ける」という覚悟を決めたのなら最低限必要になるのがこの“想像力”なのではないでしょうか。
想像には際限がなく、ここまで想像できたら良いとか、各々思うように想像すれば良いというものではありません。
きっと肝心なのは、想像してくれている、と相手が感じとることなのだと、私は実感を伴い考えております。それは、自分が想像することができたということよりも、想像してくれていると感じた経験からです。
なので、実感が伴わない時は、正直に「想像しようと努力してみたのだがどうしてもできない」ことを伝えます。もちろんその時にふさわしい言葉を慎重に選んで。想像しても実感が伴わないのに、とりあえずマニュアルに書いてあるような「とてもお辛かったのですね…」というお声がけをされたり、「〜と感じたのですね」とオウム返しされただけでは、なんだかさびしい気持ちになります。
これは、研修や経験の多さだけで得られるものではありません。可能な限り、必死になって純粋に想像するという、意外と単純なことだったりします。
“実感を伴う”感覚。これはどんな職業においても、誰かの役に立つために、必要なセンスとなるのではないでしょうか。
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