大人概論①ルール厳守、右向け右

今日、内定先のバイトに1分遅れました。いや厳密には勤務開始時間にはついていたものの、それはその時間にはもう仕事を始められる準備をしているのが当たり前であると、わりと強めの口調で叱られた。「いつまでも学生気分でいるな。」と。

また1枚、大人へのバリアが生まれた。

強い口調でいえばそれが身に付くとでも思ったのだろうか。単に萎縮するだけである。

学生は甘い存在だと、特に上の世代は思っているのだろうか。それは柔軟性とも捉えられないだろうか。甘いのではなく、遅れた人がいたとしてもフォローできる余裕や信頼関係をもっていた。

1分でも遅れると情けない奴なのだろうか。慣れない前日の懇親会でくたびれ朝体が重たく、夕飯の準備をし、タクシーが捕まらず、目的の楽な電車に乗り遅れたため何度も乗り換えしてたどり着いた、その文脈は見てもらえないものなのだろうか。

いきなりの強い口調で面食らって何も言えなかった自分は確かに情けないのかもしれない。

ただ、すごく窮屈さを感じる。箱の中、マニュアルに従う日々。

曲が浮かばなくなった。きっと「大人」に近づいてきているのだろう。羽根はどんどん落ちて行く。

それが大人になるということなのだろうか。
帰りがけの大雪渋滞。こうなることが分かってるなら、最初から休むべきだとみんな気づいてるはず。それなのに同じようにして、同じように早退して、同じようにラッシュにはまる。

ひとつの箱だけじゃない。社会全体が窮屈に感じる。

自由と拘束、どちらが人間らしさなのだろう。

長い長いチュートリアル期間である。

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