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「それって一体何のためなんでしたっけ?」のすごいパワー!

まだ梅雨明けしてもいないのに、暑い暑い毎日が続いていますが、体調はいかがですか? 私はエアコンの効いた室内で体力を温存しています笑。

先日、Voicyを聴いていたのですが、苫野先生のこの放送に唸ってしまいました。

苫野先生の放送は、哲学を学べるだけでなく、教育学者として哲学の手法で教育を本質的に変えていこうとされています。なのでこの放送は学校の先生方に、現場で使える手法として紹介されていたものです。

もし、教育現場で何かを本質的に問いたいとき、この言葉(過去形で、穏やかに尋ねるのがコツらしいです)を発してみてください、という超実践的な方法を教えてくれました。

私も常々、これだけ時代がどんどん変化し進んでいるにもかかわらず「教育だけが取り残されている」と危機感を感じているものの、実際に我が子たちがお世話になった学校の先生方が、過酷な労働状況に追い込まれているのにも本当に心を痛めていました。

そしてそんな心配が、たまたま読んだマンガのなかでリアルに再現されていて、これもまた思わず唸ってしまいました。

まだ連載途中のようで私も3話までしか読んでないんですが、リアルですよね~、これ。
実は長男が中学に入学した直後、他クラスの担任の先生が突然死されたことが実際にありました。あの時の、残された先生方の悔しそうでやるせない涙は、ご本人を知らなかった私の心にも重いものを残しました。

さらにですね、Xでたまたま見かけたんですけどこれ現役の先生がつぶやいてるんですよね。

リプライにはきちんと今の単元が終わったら書写をやることを予告していて、事前にプリントで周知もしているらしいです。それでもこの状況なのを嘆いているのでしょう。

でもプチ炎上してまして「明日なんて無理よ~」「中学生にもなると、親が全部持ち物チェックするわけじゃないから」「近くにダイソーでもあればいいけど、田舎じゃそうはいかない」etc.
ま、どれもこれも親の立場からすれば、わからなくはないんですが…

が、私、急にここで冒頭の苫野先生から伝授された言葉が頭の中に降臨してきたのです!

「え~と、それって一体何のためでしたっけ???」

皆さんすぐ答えられます?そもそも書写が必要な理由。
私もいろいろひねり出してみました。書道は日本の伝統であるから。書写をやることで、漢字の書き順やとめはねが体感できるから。芸術としての書道に触れることで、そういうアーティストになる子が出てくるかもしれないから。おお~、それっぽい。

さらに頭の中でダイアローグ(対話)を続けます。でも、書道以外にも日本の伝統はいろいろあるけど、全部を学校でやるわけじゃないよね?どうして書写だけ? 漢字のとめはねを意識するためなら、筆ペンでも良くない? アートとしての書道だったら、習い事や書道教室で体験できるんじゃない?

さあ、収拾がつかなくなってきました。子供目線だけでなく親目線で言わせてもらうと、必ず書道用具一式を揃えなければいけないとなると経済的負担もそれなりです。使った筆は(学校によるでしょうが)家で洗わなければいけないので、洗面所が墨汁で真っ黒になります。シーズンが終われば、来年のために保管しておく場所も必要です。

さらにこれは想像ですが先生目線から言わせてもらうと、書道を始める小学生のうちは、筆や墨汁を絶対に机の上から落とさず、全員が自分で管理するなんて至難の業。最初は道具を出して、しまうだけで1時間が終わる、と実際当時の先生はおっしゃってました。30人以上いる教室で全員を見るのは本当にカオス状態で大変でしょうね…。

はい、それではここでもう一度いきますよ「それって一体何のためでしたっけ?」

べつに私は書道について議論したいわけではないんですが、こういう、自分の頭で考えること、賛否両論ですぐ結論がでないなら、問題の階層をひとつ上げて「そもそも、何が目的なのか」を深堀りすること。その文化こそが学校に浸透してほしい、と思ったんですよね。

苫野先生の受け売りですが、その文化が浸透するためには「心理的安全性」が必要で、権力勾配によって言いたいことが言えないような環境じゃ難しいらしいです。まぁ、そりゃそうですよね。

先生方が職員室でこういう対話ができるようになったら、絶対に教室の子供たちもできるようになると思うんです。それこそが主体性を持つということだと思っていますし、親としても何よりもそれを子供たちに身に着けてほしい。

そして主体性が身についた子供たちは、自分らで考えて行動することができるようになるので、先生方が過労死するまで全部面倒見なくてよくなるはずなんですよね。全員、白兔先生になれるんですよ。

うちはもう子育てが終わりかけてしまったので、正直「間に合わなかったなぁ」と思うんですが、これからの学校がこういう方向に変化していってくれたら、きっとこれから子供たちは本当の民主主義を体現していってくれますよ。未来には希望しかない。

というわけで、なぜかバラバラに聴いて、見かけて、読んだ3つのエピソードが私の中で一本の線でつながった、というお話でした。
ちょっと長くなっちゃいましたけど、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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