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強迫性障害とその克服について(1)

 僕のプロフィールに書いてあるとおり、僕は17歳から27歳まで強迫性障害の症状で苦しんできました。
 ちなみに強迫性障害(OCD:Obsessive Compulsive Disorderの略)とは自分でも些細なことだとわかっていても、それが意識から離れない、わかっていても何度も同じ確認を繰り返してしまうというような病気です。わかりやすいのは、「手がどうしても汚れている気がして、何度も何度も手を洗ってしまう」とか、ガスの元栓を閉めたはずなのに、本当に締まっているかどうかを何度も確認してしまうという症状が有名ではないかと思います。
 つまりは強迫観念と確認行為(強迫行為、儀式)がセットになってあるのが特徴なようです。
 強迫観念とは「手が汚い」「ガスが漏れていたら困る」といった思考とともに理不尽なほどの強烈な不安や恐怖が生じ、その不安や恐怖を和らげるために繰り返しする行為(手を何度も洗う、ガスの元栓を何度も確認する)のことを強迫行為と言います。
 僕も17歳時から27歳のときまでこの強迫性障害に非常に苦しめられました。これらの症状とは別に、人生に対して以下のように悲観することも数え切れないほどありました。
「こんなんじゃ自分はスポーツで生きていくのは無理だ」
「こんなことをするために生きているのではない」
「こんなんじゃ留学は無理だ」
「こんなんじゃまともな恋愛はできないし、結婚もできない」
 つまり、それらの症状だけではなく、二次的に人生の様々なことに対して破壊的に働くのが強迫性障害です。
 今ではネットや書籍で克服した方の克服記や克服する方法をまとめたものが出回っているので良い時代ですね。
 僕の症状や発症のきっかけ、どのように消失させたかを書いていきたいと思います。今回はまずは症状や発症のきっかけを書きます。
 強迫性障害の症状がほぼない今は、これらの体験は強迫性障害だけではなく、様々な苦しみや喜びに関しての共通項を僕に教えてくれました。参考になれば幸いです。


僕の症状だったもの

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 まずは最初に僕の症状だったものを挙げると、主にこの3つに長い期間苦しめられました。
・床に落ちているホコリを「細部まで確認しなければならない」
・壁や天助の染みなどを「細部まで確認しなければならない」
・レストランや教室の席を立つ時やバスから降りる際に「何か忘れていないか確認しなければならない」

 他の人から見ると、「何を言っているかわからない」と思われるような事柄かも知れませんが、これらに本当に苦しめられました。
 他にも強迫観念として陰部に細菌が感染してしまうのではないかという恐怖に駆られたり、自分が知らぬ内におならをしているのではないかという強迫観念がありました。ここで書いた以外にも油断すると、強迫観念はどんどん範囲を広げてくるように、新たな強迫観念が生まれていきます。
 しかし、幸いなことに上の3つ以外は自然と消滅していきました。「鍵を閉めていないかもしれない」とかの強迫観念が生まれかかりそうだったときは
「どうぞ泥棒よ、我が家に入ってむちゃくちゃにしてくれ。家に火をつけても構わん。自宅にいる愛犬を殺してくれても構わん」
 と投げやりに鍵を閉めないことで起きる最悪の事態が起こることに覚悟を決めることで、「鍵を閉めてないかも知れない」を強迫観念として定着させるのは阻止できました。
 かなり過激なことを書きましたが、それぐらい新しい強迫観念が生まれることを恐れてましたし、かなり精神的に参っていました。

 基本的には症状には振り回される生活でした。学校に行く途中に見かけた「ゴミ」を確認しなかったばかりに、その日の夜までその「ゴミ」が頭から離れなく、しかもとてつもない恐怖や不安に襲われている。全く理不尽で非合理な状況でした。
 よくわからない「ゴミ」を一日に数時間も気にしている、しかも激しい、恐怖と不安。辛すぎるので、親しい人に「これってゴミだよね?」と確認する生活。そういった質問や行為にうんざりしてしまう周りの人たち、失われる自尊心、それまで続いていた人生とは全く変わってしまったような悲しみがありました。

これらの症状により起きた二次障害
 
 

 特に座って勉強しなければいけない状況とかそういう時は本当に困りました。これらの症状のため、高校生の時大学受験のために勉強するのを諦めることにしました。
勉強が苦手になりました。
母との関係が悪化しました。
僕を敬遠する友人も何人もいました。
自分の目標に自信が持てなくなりました。
どうやって生きていったら良いか不安になりました。
自分は何をやってもダメで中途半端であるという思いをさらに強めることになりました。

発症の兆しと発症の経緯


 高校3年生、学校祭でのダンスコンテストのダンスを練習するために夜学校近くの公園で練習していたときに「学校に何か忘れているような気がする。なんか学校に呼ばれているような気がする。」と仲間に話したことを覚えています。当時は「気持ちわりーーー。なんか霊感とか幽霊とかやめろよ笑」と笑い話で終わったのです。
その後、夏休みに予備校に行き始める初日、自転車で予備校に向かっていたときです。ある橋を自転車で通行していると、歩道上に“書類”が落ちていました。気にせず通り過ぎようとしたときに、猛烈に恐怖を感じました。「あの白い紙には何が書いてあるのか?」「内容を確かめねばならない」というような感覚を味わいましたが、もちろん自分が落とした書類ではない訳ですし、頭の中の「指令」を無視して予備校に向かいます。
 しかし、予備校で授業を受けようにも、書類のことが頭から離れず、「あの書類はなんだ、誰かが落としたのか、内容は、、、、オレには関係ないはず」とぐるぐると思考して自分を納得させようと試みるも、うまくいきません。
 ただ予備校の授業を受けようとしているだけなのに、道端で落ちていた書類のことが頭から離れず、強烈な恐怖と不安を感じているという状況。恐怖が収まらないため仕方なく昼休みに自転車でその書類を拾いにいくことにしました。道端に落ちている書類を拾うとか変だし、周りの人に見られたら恥ずかしいけど、恐怖と不安をなんとかしたいという思いでした。
 書類が落ちていた場所にたどり着き、拾い上げて内容を確認してみると、書類の内容としてはなんかの工事の工程表でした。恐らく、工事の業者の人が書類を落としてしまったのでしょう。1ページ目を見て「工事の工程表」であることを確認したため、書類を地面に戻そうとすると、「2ページ目はどんな内容が書かれているのか確認しなければならない。自分となんらかの関係がある可能性は排除できない」とかそんな感じの思考が新たに始まりました、猛烈な恐怖や不安を伴って。
 しかし、こんなことを確認しているのは嫌なので、恐怖や不安は激しかったのですが、「確認しないと」という強迫観念は無視して、そのまま自転車で予備校に戻りました。その日は一日恐怖が頭から離れなかったように思います。
 その一軒から、何か細かいことが気になるようになっていきました。
 いつから始まったのか、地面に落ちているホコリや壁や天井、机の“染み”を見ると恐怖や不安に襲われ、「それらが自分と関係あるかもしれないから、確認しなければならない」という思考が頭に浮かんでくるのです。
 「地面に落ちているホコリや壁の染みが自分と関係している訳がない」ともちろんわかっているのですが、あり得ないほどの恐怖を感じるのです。こうやって強迫観念と強迫行為は始まっていきました。高校3年生の夏でした。

発症の背景と思われるもの

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 自責思考、自己否定思考が自分の中で癖づいていたことがまずは土台としてあったことが原因だ思っているます。
 さらに出来事で言うと、高校2年生のときのバレーボールの大会でのつまらない失態を心のなかで引きずっていたこと、高校3年生になって汗かきのコンプレックスの悩みを考えすぎていたこと、高3の夏の学校祭でのダンスコンテストに向けて努力できない自分を責めていたこと、恋愛におけるちょっとした気の迷いから生じた失恋を受け入れられなかったこと、母に予備校に行くよう言われ行きたくなかったのに屈して行くことにしたことの、これら5つくらいの出来事が自分の中では大きかったように思います。
 失敗を受け入れられない感覚、こういった自分を責めることとか、焦るような思考、自分の本心を蔑ろにしていたことが強迫性障害を呼び込んだと思っています。


まとめ

 強迫性障害というのは本当に理不尽なほど辛くて、高校生の当時「人生が全く変わってしまった」と思えるくらい衝撃的でした。毎日恐怖や不安に数時間を費やし、意味のない確認(儀式)を行い、その確認(儀式)を周りの人に気付かれないように上手になっていくけど、人生に希望が持ちづらいというような状況。心療内科や精神科に行って「治る」ということもなく過ぎていく日々。目標を断念せざるを得ない状況、人間関係にヒビが入っていく経験。かなりしんどかったです。

 次回はどのような対応をしてきたか、どのように克服していったかを書きたいと思います。


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