見出し画像

強迫性障害とその克服について(3)


 強迫性障害は高校3年生時の17歳のときに発症して、なかなか克服しきれずに自分を長らく苦しめいていたものです。
 強迫性障害とその克服について(1)では強迫性障害の発症やその背景、強迫性障害とその克服について(2)では強迫性障害を抱えてどのように生活して行ったか、強迫性障害に対応するために行ったことなどを書いてきました。
 今回は大学4年生で首や肩の凝りで苦しみながらもなんとか大学を卒業したこと、強迫性障害を克服するに至った経緯、強迫性障害の克服に必要なこと、原因に関する考察を書いていきたいと思います。
 他の体調不良要素でそれどころではなくなり、釣りをとおして偶然克服したという内容です。

大学4年生から肩・首コリが悪化する


 大学四年生になると、元々あった肩こりが悪化し、特に左肩の肩・首こりに悩まされるようになりました。
 テレビを見ているのも辛くて集中できない状況でした。ゲームをやろうにも集中できない、バイトするのも本当に辛い、そんなこんなで時間を過ごし大学を卒業。
 ろくに勉強に集中もできないまま、大学を卒業し、体調も悪いのでバイトも辞め、実家の部屋で体調を良くしようと毎日走ったりストレッチしたり筋トレしたりしていました。
 気持ち的には「このまま体調不良が悪化していけば、将来的には生活保護を受けて生活していくしかないのかも知れない」と考えていたのを覚えています。しかし、運動やストレッチの成果が出たのかまだ辛かったのですが、肩・首コリの酷さは1年半ほどで多少良くなっていきましたので学習塾講師のアルバイトと、配達のアルバイトをはじめました。それでも首肩凝りや強迫性障害はありましたが、慣れてきていたのでなんとか誤魔化し誤魔化し働いていました。

最終的に強迫性障害を克服するに至った経緯

画像1


 首肩凝りが少しずつ回復に向かっていったときに、ルアーフィッシングに誘われて海に釣りに行くようになりました。
 しかし、問題となるのは海辺にはゴミがいっぱい、「ゴミを確認しなければいけない」という強迫観念がある僕にとっては釣りに集中するのもなかなか難しかったのです。
 だけど、魚が連れた時の興奮が堪らない。
 子供の頃も好きだった釣り。どうしても集中して楽しみたい。さらに、首肩コリを緩めるために「ゆらゆら体操」というものをやっていました。背筋が上に向かって伸びながらもゆらゆらと揺れて柔軟性をつける体操です。
 この2つが合わさったのが、僕の強迫観念も強迫行為も緩めていき、最終的には消失するまでに至らせたものだと思います。
 強迫性障害を克服した人の書籍や、ネット上の情報を見ても共通しているのは「強迫観念」は否定せずに、「強迫行為」は否定し無視をするということです。とにかく「強迫行為」を無視しやすい状況を作り上げるということが大事かなと思います。
 僕の場合、それは海の港での釣りでした。釣りをしている際の強迫行為を無視することを描写するとすれば、まずは竿を振り、ルアーを投げます。海面のざわつき、生物反応はないかに集中します。港に落ちているゴミや海面の泡や浮いている海藻など「確認しなければいけないもの」は無数にありますが、「絶対に釣りに集中したい」と思いながら確認はしないようにします。さらに海の景色の素晴らしさに集中します(座禅や瞑想も囚われずに一つのことに集中するようにしますよね。それらと似ています。)
 何が何でも海を眺めてリラックスもしたいので、ゆらゆら体操をしながら釣りをするわけです。釣りなので海と対峙しながら何時間も。
 もう一つ良かった点が、魚が釣れないと、今度は釣りたいとまた通うわけです。そしたら、また強迫観念を無視し釣りに集中しつつ、海を眺めながらゆらゆら体操しながらリラックスを心がけるという機会が生まれます。頑張って強迫行為を無視するために海に通っているわけではなく、魚を釣りたいから海に通うという循環が強迫行為を無視し続けることに繋がりました。
 こうやって釣りに何度も何度も通う内に、強迫観念は弱まり不安や恐怖がどんどん減退していきました。ゴミは気にはなるが、恐怖や不安は感じないというところまで持っていきました。何かが気になろうと恐怖や不安が伴わなければ、はっきり言ってなんてことないのです。気になっても無視です。
 強迫観念に伴う恐怖や不安が消えても、過去に油断して強迫観念が強まったことが何度もあったので、このときは油断しないよう心がけました。
 こうやって僕は「強迫性障害である」から「強迫性障害だった」と自己認識を変えることになりました。強迫観念がなくなったからと言って、「強迫観念がなくなれば何でもできる」と期待していたような人生にはならず、何か素晴らしい自分になれた訳ではありませんでしたが(笑)

どうして強迫観念は減退し消失していったのか


 強迫性障害を克服した人たちの本やネット上での情報を今までもいくつか読んできたのですが、克服した人の間で共通して行われていたのは
1 強迫観念が出てきても、強迫行為をしないようにする
2 強迫行為をしたくないと意志を決めている
3 喜びや何か目的がある

 という3つの要素ではないかと思います。
 なぜ強迫観念が生じるのかは精神医学会でもはっきりわかっていないですし、僕自身もよくわかりませんが、克服する方法はネット上にもたくさん情報が転がっています。
 
 3つの要素について説明していきます。
 まず、1については、強迫性障害とその克服について(2)で書いているとおり実は大学受験を諦めたときに、「強迫観念を無視し、何も感じないように過ごせば、弱まるのではないか」と考え18歳のときに3日間「何も感じない、何も考えない」を意識的に実践したことがあります。
 ある思考を強迫観念、他の思考を強迫観念ではない違う思考みたいに分けようとすると、強迫観念とは関係ないであろう思考も強迫観念を誘発することがあるということを経験的に知っていたからであり、そんな都合よく区別して対処できたら、強迫性障害はそんなに恐ろしい症状ではないでしょう。
 この時も、強迫観念が弱まる感触を掴んでいましたし、これを続けられたら強迫性障害は治るかもとも思っていましたが、少し強迫観念が弱まったことに油断してしまい、「他のこともしたい、勉強もしてみるか」と欲張ってしまったことで再び強迫観念は強まりました。
 それ以後も、何度かまずは3日間何も考えない時間を過ごそうとするのですが、他に色々と欲求が出てきて1日間ともたないのです。そして、このように「何も考えない、何も感じない、何も行動しない」ようにする日が非常に時間が勿体なく感じるようになっていました。インターネット、友人と会う、酒を飲みに行くなど刺激を感じられることはたくさんあるのです。欲は尽きません。
 このように意志が続かなくて無視をし続けることができなかったため、強迫観念を減らし消失させるということは釣りで克服するまで、できませんでした。他に認知行動療法により、心理師にフォローしてもらい、強迫観念を減らせないかと検討したこともありましたが、今まで通った心療内科や精神科ではその希望を叶えてくれるところはありませんでした。
 医師からは「ひーさんの症状では認知行動療法は効果がないと思う」、「うちにはそういった療法ができる心理士はいない」などと言われ医療機関では一度も叶えられたことがないです。
 大学に来ていた臨床心理士とは認知行動療法を何度か継続できたり、当時付き合っていた人と認知行動療法を時折やれていました。

強迫観念を減退させる方法と手法

 克服する上でカギとなったと思うことは体調を整え、楽しいことや自分の大事なことのために強迫観念を無視する状況に出会うことです。今までの記事と重複する内容ですが、以下に強迫観念を減退させる方法を簡単にまとめたいと思います。
・環境づくり
 強迫観念を無視しやすいような環境があると上手くいきやすいのではないかと思います。僕の場合は一人でルアーフィッシングに行き海を眺めている状況が良かったです。
・自分の生活圏から離れて数時間没頭できる状況を作る
 ルアーフィッシングに行きたいという欲求があるため、強迫観念をただ抑えるためだけの行動ではないので、続けられたと思います。
 人間というのはとても気が移ろいやすい生き物、週に何回か強制的か行きたくなるような環境を用意することが上手く行かせるための鍵だと思っています。強迫観念を抑えることができる環境を用意できれば、あとは強迫行為を無視するだけです。
・体のリラックスを意識する
 僕は首肩コリが本当にひどかったので、それを良くするために日々体のことを気にかけていました。
・強迫観念をなくすための目的意識を持つ
 強迫観念がなくす目的はあなたの幸福や楽しい生活のためにするということが大事だと思います。
 ある人は好きな女性と結婚したいという思いで、強迫性障害克服に取り組んだと言っています。僕の場合は「ルアーフィッシングに集中して楽しみたい」でした。
 もし、これが「受験勉強に集中するため」という目標設定であったら、僕の場合挫折していたと思います。なぜなら、受験勉強するというのは僕にとっては楽しいことや幸福のためにはならなかったからです。どちらかと言えば、自分に課した「これくらいは頑張れよ」という課題であり、世間や周りの人間に認めてもらうためだったり、社会的に良いとされていることを達成するためであり、自分の純粋な欲求からは少し遠いからです。
 


強迫性障害の原因、強迫性障害を克服したあとの人生について

画像2


 今でも強迫性障害になぜなるのか、なぜ強迫観念が起きるのか僕はわかりません。ただ少し考えてみると、自分では不合理とは思えなくても強迫性障害の強迫観念ほど理不尽な不安感や恐怖心がなくても、人間には強迫観念があることに気が付きます。子供の頃、大人になってからも「こうしなければいけない」「ああしなければいけない」という思考を人間はしてしまいがちです。

 強迫観念がなくなって当初は自由だなと本当に嬉しかったものですが、強迫観念が消えて数ヶ月、1年経つと強迫観念が消えたというのことが「当たり前」になってきます。
 また、強迫観念がなくなれば、幸福な人生かと言うとそうではありませんでした。確かに生活の自由度は上がり、強迫観念に費やしてきた時間は自由な時間となり、強迫性障害だからと言って避けていたこと、諦めていたことに挑戦することができるようになりました。だけど、空いた時間で違う不安を抱えたり悩んだりすることも多くなったように思います。
 
 
 強迫性障害の原因については遺伝的傾向だとか、セロトニンの不足だかとか実しやかに語られていますが、僕はしっくりきていません。
 僕の母も蓋を開けてみれば「ガスの元栓を気にする状態」が昔から続いている人でした。ガスの元栓が締まっていないと、家が火事になり、自宅にいる飼い犬が焼け死ぬかもしれない。自宅にずっといる年老いた祖母が焼け死ぬかもしれない、そんな恐怖を抱えていたようです。そういう強迫観念を生み出す気質の因子が遺伝するとも考えられますが、僕としては直接強迫観念とは関わりがない、自責思考やべき思考などの思考の癖が親子で過ごしている内に移ってしまうというのが本質ではないかと考えています。

 一部の精神疾患の原因となるものについて、ここ1年位で考えたのですが、鬱になる行動様式、思考様式、習慣、強迫観念を生み出す行動様式、思考様式習慣というのがどうも存在しているような気がしています。
 逆に言えば、幸福を感じられる行動様式、思考様式、習慣がある僕は思っているので幸福になれることを実践中です。幸福感感じられることが増えてきました。
 今回の記事で「強迫性障害とその克服(1)〜(3)」までの続きものは終わりです。
 読んだ方の参考になれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?