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かつて私は自分を透明な存在だと思っていた。

私の生まれた1983年という世代はキレる17歳と呼ばれた世代である。

その所以は1983年生まれの酒鬼薔薇聖斗が神戸連続殺傷事件を起こしたからだ。

酒鬼薔薇聖斗は自分を「透明な存在」と言った。

小学6年の頃と中学2〜3年の頃、私はクラスの男の子ほぼ全員に無視されていた。

今ならそんな無視なんて子どもっぽく、誰にも降りかかる可能性のあることだと思えるけど、私も彼と同じく自分を「透明な存在」のように感じていた。

私は無視されることを長らくいじめと認められなかった。

無視は加害ではないと思っていたからだ。

病院に通い、カウンセリングをするなかで、「あなたのされていたことはいじめです。いじめと認めていいんですよ。」と言われて初めていじめと認識した。

私は殺人には至らなかったけど、自殺をしようとしたことはあった。

今この世界を変えられない無力さ、自己嫌悪から、首を吊ったことがある。

首を吊ったときに「自殺って死ぬ程苦しいんだなぁ」と思った。

首吊り自殺をすると、舌や排泄物が全て出てくると聞くが、なるほど舌が出てくる感触はよくわかる、と思った。

私はいつも、変に冷静だ。

死ぬほど苦しかったので、気を失うまで首を吊ることを続けられなかった。

あの頃の私は、すでに精神疾患の知識があって、私は「多分自分は躁鬱病だろう」と思っていた。

そこまでの知識はあったのに、私は病院に行かなかった。

病院に行く、という概念がなかったのかもしれないし、親がそういうことで病院に行くことを恥ずかしがると自分は思っていた。

未だに親は私の病気や障害を無効化しようとするところがあり、それには大変うんざりするが、それは親の育て方のせいではない。

ADDなのも親の遺伝子もあるだろうが、しんどいことはあるけれど、今の自分は自分をなんの能力もない人間とは思っていない。

無視をされる自分は透明で見過ごされる存在なので、私は学校では極力大人しく過ごすようにしていた。

肩身が狭いとずっと思っていた。

私も私で、他人に興味がないフリをしていたし…、実際よく考えてみたら、今も昔も私は好きな人間にしか興味がなく、それ以外はなにも興味がないところがある。

最初の会社に入社したときに社長に言われた。

「適性テストをしたら、君は人よりもモノに興味がある。そういう人間はデザイナー向きだ。」

自分があまり他人に興味がないので、私はどこかで他人も私に興味がないものだと思っていた。

無視されるのは興味がない、透明な存在だからと。

インターネットやSNSの普及で、誰もが気軽に発信出来る時代になった。

私は自分のブランドを立ち上げ、SNSで発信するようになった。

私は「色のついた存在」になりたかったのだと思う。

時々自分の承認欲求にウンザリもする。

そうした稚拙な理由に根付いていたアウトプットも、続けるなかで、少しずつ「レタルのシャツが欲しい」「ヒグチさんの文章が好き」と言われることが増えた。

私はとても嬉しかった。

誰かの視界に入って、それを好きだと思って、私に伝えてくれることが。

ここに居て大丈夫と思えた。

しかし、それがなくなると不安にさえなった。

いつも誰かに見ていて欲しい、誰かに気付いて欲しい。

暗い、沼のような欲望。

私はしばらくそれに苦しんでいた、本当につい最近まで。

私は自分の影響力というのを、とても過小評価していた。

希死念慮が強いのは、透明な存在なのだから、どこかで「死んだっていいだろう」くらいに思っていた。

私は調子が悪くなると「みんな自分のことが嫌いだ」と思い込む癖があった。

そして、そう思う瞬間に消えたくなった。

今年の春もその気持ちが発生し、私はありとあらゆるSNSを消そうとしたり、母親に思いつく限りのパスワードを教えたことがあった。

極力迷惑をかけないで消えようと思っていた。

そんな感情は一瞬で終わったものの、それを病院で話したら、案の定通院回数を増やせれ、今まで拒否していた薬を飲むに至った。

病院の先生は、やれやれやっと薬を飲んでくれるのか、とホッとしたように見えた。

私は透明な存在とはもはや思わなくなっていたけど、時々自分を腫れ物のように感じることがある。

今年の春先はいろんな人が私を心配していた。

でも、心配し過ぎると重荷だろうから、とみんなで話し合って、一人の友人だけが心配のLINEを送ってくれたことすらあった。

みんな私をよく知っていた。

前好きだった人に、私は突然「貸した漫画返してください、ここに送ってください。めんどくさかったら貰ってください」と言ったことがあった。

彼は慌てて「すぐ返します!」と言って、私はやれやれもうこの人とも終わりだ、と思った。

しかし、案の定そのあと後悔が募って「漫画送りましたか?」と聞いた。

「まだです!バタバタしていて…早めに送ります!」

「すみません、今調子が悪くて…勝手に漫画なんて貸して負担をかけてしまったとか考えてしまって…」

「大丈夫です!ヒグチさんのnoteとか見ていたので、わかってるつもりです!」と言って、その後電話がかかってきた。

彼は「Twitterで『みんな私のこと嫌い』って書いてあったから、絶対自分もその中に入ってると思った」と言った。

随分とよくわかっている人だなぁと思った。

彼は会う度に「Twitter見たけどどうしたの?」と聞いてくるので、私はTwitterになにか書くのをやめようかと思うこともあった。

私は他人に迷惑や心配をかけるのが苦手だった。

具合の悪い時期にたくさんの人と縁を切ろうとした。

家族に至っては「絶縁したい」と言い放ってしばらく連絡を拒否したこともあった。

自分が腫れ物で邪魔な存在だから、自分からフェードアウトしなければならないと思い込んでいた。

現在、縁が切れたと思った友人も、少しずつ友情が回復している。

前の好きだった相手とは上手くいかなかったけど、彼のおかげで自己肯定度が高まったので、今は大変感謝してる。

母親は誕生日手紙とプレゼントを贈ってくれた。

手作りの手紙には「Happy Birthday! I wish you wonderful year!」と書いてあった。

私は母に頭が上がらないと思った。

先日実家に帰って、家族それぞれ一人ずつ話す機会を持った。

家族は、みんな私が本当に死ぬんじゃないかと思っていたんじゃないかと思った。

口には大きく出さないけれど、家族が妙に気を遣っているのを感じたからだ。

そして、家族は少し嬉しそうだった。

それ以外にも、最近は自分の影響力を実感するようになった。

友人は私が最近毎日noteを書いているのを触発されてブログを書いたと言った。

また違う友人は、酔って電話して、私に「『昔の恋人を探す旅。』読んだ!気持ちすっごいわかるよ!」と言ってきた。

そうか私は、透明でも腫れ物でもなく、少しはみ出すくらいの形で存在しているのだ、と思った。

子どもの頃に無視されたのは、透明だからではない、むしろ浮いていたからだ。

誰も見ていないわけでもなければ、みんなが私ばかりを見ているわけでもない。

だけど、ちゃんと"在る"のだ、と。

そして、透明な存在だったのは、私ではなく、私の中の他者だったのだと思う。

男の人に振られるたびに、相手は平気で落ち込むことなんてないように思っていた。

悲しくて辛いのは自分だけなのだと。

だからいつも被害者意識を募らせた。

嫌いだから、ひどいことをしたり、言ってくるんだとも思っていた。

昔の恋人に会ったり、他にも昔関係を持っていた人と連絡を取ったときに「そうか、この人はこの人なりに私のことを考えていたのだな」と思った。

そういうことがやっと見えるようになった。

だからこそ、これからは自分のために生きよう、自分のためにやろう、と思った。

誰も見てないから好き勝手やるわけじゃない。

見ている人がちゃんといるからこそ、自分がいいと思ったことをやる必要がある。

承認欲求だけで服を作ったり、文章を書いたりするのももうやめようと思う。

私のまわりは、それをして欲しいと思っていないのを私は知っているし、私自身も思わない。

自分を透明とも腫れ物とも思わない、そして他者を透明にしない。

たぶん、一つ峠を越えた。

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