ペンネームは恥ずかしい。
肉食女子部で「ヒグチさんってなんでもTwitterで書くよね?」みたいな話になり、「実家の中華料理屋までアップしていてビックリした」と言われた。
「確かにそうなんだろな」って思いながら、「なんで自分はこう、自分のことや家族の情報を書くのに抵抗がないのか」を考えてみた。
よく考えたら、うちの実家の中華料理屋は、時々テレビに出たり、新聞や雑誌に載ったりしていた。
子どもの頃からそれが普通のことだったけど、よく考えたら特殊な環境だと思う。
しかも父親は、芸能人でもなんでもない一般人である。
父親は子どもの頃から自分の名前で、自分の仕事をしていた。
だから、私もそれが普通のことだと思っていて、会社に入ったときは、違和感しかなかった。
私は今までずっと、自己顕示欲が強い人間だ、と思っていたけど(そしてそれが悪いことだと思っていた)、父親の影響で、そもそも感覚的に自分の名前で、自分がやりたいことをやったり、発言することが、ごくごく当たり前のことのようにどこかで思っているのかもしれない。
私と父親はよく似ているし、彼のメンタリティを色濃く受け継いだと思う。
逆に言うと、私はペンネームやハンドルネームを付けるのが苦手だ。
自分が付けた名前って、自分をどう捉えているのかというイメージが表に現れてしまうようで、とても恥ずかしい。
自分の名前を親が付ける制度で良かったと思う。
もし自分の名前を「ある時期になったら自分で付ける制度」などになったら、私は付けられる自信がない。
昔、詩のサイトに投稿していたとき、私のハンドルネームは「樋口」だった。
詩を書く行為自体、とてつもなく恥ずかしいのに、それを書く自分に名前を付けるなんて、とても恥ずかしくて出来なかった。
しかし、苗字だけのハンドルネームは結構浮いていた。
目立ちたくないから地味な出で立ちで行ったら、みんなが派手なせいでかえって目立ってしまった人みたいな状態だ。
詩のサイトは、その後自分が親に名付けられるかもしれなかった「樋口理緒」という名前で活動したこともあったけど、全くしっくり来なかった。
自分が「樋口理緒」さんじゃなくて良かったと思った。
しかし、樋口理緒さんだったら、また違う人生があったのかもしれない。
今も結局、本名をカタカナにしただけの名前にしている。
カタカナにしているのは、検索除けであった。
昔はこれでも会社員でしたから…。
でも、最近は発言が過激なんだし、ペンネームやハンドルネームくらい付けた方がいいのかなぁと思うけど、今更なんて付ければいいのだ…と自意識がこじれ出す。
昔、企画会社にいたときに、会社のヨシダという男にメールアドレスを教えたら、「それどういう意味(笑)?」と聞かれた。
ヨシダはいつも私をからかってくる男だった。
着るもののチェックは毎日のように行われたし、彼氏いるの?とか色々詮索された。
あるときは処女疑惑までかけられたことがある(笑)。
最初は笑いながら「やめてよ〜〜(笑)!」と言っていたけど、本当にしつこいので、ストレスになり過ぎて過呼吸を起こしたことがある。
そのヨシダに、休みの日に仕事をする必要があり、あるデータを送ってもらうために、メールアドレスを教えたのだった。
コイツだけには教えたくないと思った。
案の定「どういう意味(笑)?」と言ってきた。
絶対バカにされるので教えなかった。
私のメールアドレスはherzensnachtで、これはパウル・クレーの詩集の中に記載されていた、ドイツ語で「心の夜」という言葉だった。
ヨシダにそんなことを言ったら、鬼の首を取ったかのようにからかわれるに違いなかった。
名前を付けるという行為は、いつも自意識との戦いだ。
思えば、ヨシダのような人間に出会ってしまったり、自意識から逃れることを許されない人生であった。
何にも溺れさせてもらえない。
具合が悪くなってしまったし、色々あってその会社を辞めたとき、最後ヨシダは私になんて言っていいのかわからなさそうに「頑張ってね」と言った。
あとあと私は、ヨシダは自分のことが好きだったんだろうなぁ、と思った。
でも、私は奴のおかげで自意識の壁が高くなってしまった。
自意識からもう少し逃げられたらいいなと思うし、そのために今この話をしてみた。
来年は素敵なペンネームを照れもせずに付けられるようになりたい。
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