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【第12回】神さまのかくれんぼ

執筆:角田 ますみ(すみた ますみ)
   杏林大学保健学部准教授、 専門:生命倫理学、看護師

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 初夏の風が心地よい昼下がり、私は患者さんたちと近所のスーパーに買い出しに出ていた。いつもの訪問看護とは別に、大学の時にお世話になった先生に頼まれて、精神科デイケアのお手伝いを時々やっていた。その日もお昼ごはんの材料をみんなで買いにやってきたのだった。
 
 買い物袋をしっかりと握りしめ、売り場を突き進んでいくのはヨシ子さんだ。双極性障害でいつも部屋の隅っこでブツブツ何かを呟いているヨシ子さんは、外に出ると緊張するのか、とても勢いがいい。カーディガンを羽織ってサンダルをつっかけた姿はまるでタイムセール時の猛烈主婦みたいで、ちょっと可笑しい。
 そうかと思えば、野菜売り場で山盛りになっているトマトを丁寧に並べ直している初老の後ろ姿が目に入る。統合失調症で最近病院を退院してきたばかりのヤマさんだ。いったん気になると激しく執着を見せるヤマさんのトマトの並べ方が半端なく緻密で、1ミリのズレも許さないといった雰囲気だ。よく肩が凝らないものだと感心して見ていると、ブツブツと呟く声が聞こえる。
 横を見るとパーカーにキャップ姿にヘッドフォンをつけたケンちゃんがいた。その姿は、まるで音楽にぞっこんな今時のクラブ通いの若者みたいだが、彼の場合表情がちょっと上の空だ。そして時々ブツブツ言いながらヘッドフォンをしっかりと押さえて空を睨む。彼にとっての音楽は、幻聴を抑えてくれる大事な道具だった。
 そんな面々のなかで、一人あたふたと動いている男の子がいた。それがミっちゃんだった。
 
 ミっちゃんはクルクルしたくせ毛に大きな目が印象的な17歳の高校生だった。要領が悪くすべてのことにトロいミっちゃんは、当然のごとく勉強も苦手で落ちこぼれ組だった。だけど、すごく気のいいところがあって、笑うとあの大きな目がまるで線のように細くなって、周囲の気持ちを和ませてしまうような子だった。
 皆とワイワイできる学校が大好きで、遅刻も欠席もなく、毎日一番乗りで学校へやってくる。屈託がなくて素直なミっちゃんは、クラスメイトが弁当を忘れて昼食がとれないと、自分の弁当を半分わけてやるし、先生が多量のプリントを両手に抱えて歩いていれば、駆けよって持とうとする。体育で同級生が転んで怪我し苦痛に顔をゆがめていると、一緒になって痛がる。下校時にはその子をおぶって送り届ける役目をかってでるくらいだ。授業中もその個性がいかんなく発揮され、現代国語の授業で思いやりという言葉が出てくれば、ハイと手を挙げて「先生、思いやりってなんですか?」と真顔で質問したりする。先生が小学生レベルまで噛み砕いて説明すれば、感心したようにうなずいて、周囲からは失笑がもれるという具合だ。そんな素直さが災いしているのか、成績は常にビリから5番以内で、毎回補習該当者となる。それもサボらずに出ているのだが、出される課題には四苦八苦で、担当教師は問題が解けないミっちゃんがあまりにも苦しそうな顔をするので、思わずかわいそうになってしまい補習を中止したほどだった。
 アイツは子供のように素直でいい奴なんだけど、あんな調子で社会に出てやっていけるのか。そう心配した担任が、社会勉強にならないかと友人だったクリニックの医師に頼んで、このデイケアに来ることになった。
 
 そんな調子なので、ミっちゃんはいろんな症状の患者さんに振り回されて、いつもバタバタしている。でも、ミっちゃんの素直なところが受けて、患者さんたちはミっちゃんのことが大好きだった。ミっちゃんが来ると部屋の空気がとたんに明るくなる。いつも無表情で、他人に関心を示さず、部屋の片隅にいる患者さんでさえも、ミっちゃんが来ると部屋の真ん中にあるテーブルまでやってくる。執着傾向の山さんもミっちゃんの側に椅子を寄せ集めて並べ始めるし、他の患者さんもミっちゃんに話しかけようと入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。ミっちゃんは、またそれに振り回されて忙しくなってしまうのだが、楽しそうだった。
 
 その様子を見ていて、私はつくづく人柄は表に出るものだと思った。中身は外から見えるのだ。精神科の患者さんたちは、すごく敏感だ。ここでは、私が培ってきた看護技術は大して役に立たない。コミュニケーションと観察という技術以外は使う機会もほとんどないけれど、採血がうまくても、どんなに素早く清拭できても、そんなことはあまり役に立たないのだ。むしろ私がどんな人なのかということを、彼ら彼女らはじっと見ている。
 病棟では、技術がうまくてベテランぽい顔をしていれば、ある程度自分を隠していても何とかなる。でも、ここではそれが通用しない。そんなことにごまかされないよ。アンタが本当にこっちに関心を寄せているかどうかが大事なんだ。上っ面だけ合わせてたってダメだよ。ここにボランティアに来ると、いつもそんなことを感じた。ここに来てすぐに患者さんたちに受け入れてもらえたミっちゃんは、たぶん私なんかよりずっと人間が上等だと思った。
 
 ある日、うつ病でデイケアに来ている松田さんが、ひどくがっかりした顔でやってきた。松田さんは2週間後に肺の手術を控えていた。もともとすごいヘビースモーカーで、一日に60本近く吸っていて食費よりもタバコ代のほうが多いんじゃないかと冗談が出るくらいの人だった。でも、数カ月前に肺がんが見つかり、手術することになった。そのために禁煙しなければならなくなった松田さんは、禁煙外来に通ってかなりの努力している様子だった。それでも完全に禁煙するのは難しく、その日も呼吸器外来で担当医にこっぴどく叱られてきたらしい。聞けば、まだ一日20本は我慢できずに吸っているらしい。それを聞いたスタッフはみんな、道のりの長さに溜息をついた。
 
 そんなスタッフと落ち込んでいる松田さんを見ていたミっちゃんが、「えー、なんでみんながっかりしてるの?」と不思議そうに言った。
 「何言ってんだよ」と併設クリニックの医師が言うと、ミっちゃんは大きな目を丸くして「えー、だって松田さん、前は一日60本近く吸っていたんでしょ? それが今では20本だよ、40本も減らしたんだよ。それってすごくない?」と言った。私たちは、一瞬キョトンとなった後、笑いだしてしまった。なんていうポジティブ発言だろう。当の松田さんまで笑っている。ミっちゃんはいたって大真面目な顔で「なんで笑うんだよ」と口をとがらせた。ひとしきり笑った後に、松田さんが「お前は本当にいい子だなあ」とミっちゃんの頭をなでた。ミっちゃんは「そんなことすんなよー、ガキじゃないんだから」と嫌がったが、松田さんは何度も彼の頭をなでた。その目はすこし潤んでいた。頑張って禁煙しようとしているのにうまくいかない松田さんにとって、ミっちゃんの屈託のないまなざしが嬉しかったのかもしれない。
 
 ある日、みんなで買い出しに出かけた帰り道、道路の片隅にホームレスの男性が丸くなって横たわっていた。たぶん眠っているのだろう。そう思って通り過ぎようとした時、ミっちゃんがその男性に近づいていくのが目に入った。男性の側にしゃがみ込むと、顔の辺りを覗き込んでいる。驚いてミっちゃんの側にいくと、ミっちゃんは男性に声をかけながら、顔の前に手をやっているのだ。「どうしたの」と聞くと、ミっちゃんは心配そうな顔で言った。
 「いや、おっちゃん具合悪くて倒れてるんじゃないかと思って。大丈夫かな」
 
 聞けば、ミっちゃんがデイケアに来る途中の電車で、気分が悪くなった年配の男性がいたそうだ。顔色が悪いなと思っていたら、急に目の前でバッタリ倒れて動かなくなった。すごく驚いて、目の前に人が倒れているのに何もできなかった。他の大人が駆け寄ってくれて救急車で運ばれていったけど、俺って頭悪いし行動も遅いから、俺が一番近くにいたのに何も手が出なくってさ。だから倒れている人を見たら、ちゃんと声をかけなきゃって思って。ミっちゃんは大真面目な顔をして、そう言った。
 
 ゆすり起こされたホームレスの男性が目を開けると、ミっちゃんは嬉しそうな顔をした。そして、さっきの買い物で自分用にと買ったペットボトルを差し出した。
 その後ろ姿は、子供がしゃがんで話しかけているみたいで、実際ミっちゃんのやっていることもかなり子供じみていて、本当にこんな調子で社会に出ていけるんだろうかと、私でさえ本気で心配になる。
 
 でも、その後ろ姿を見ていると、何か懐かしくて温かいものを感じて、私はそれ以上声をかけることができなくなった。この懐かしくて温かいものは何だろうと考えているうちに、ふと神さまという言葉がうかんできた。見たこともないし、会ったこともないけれど、彼の横に、なぜか神さまが笑っているような気がしてしかたなかった。あの時松田さんが目を潤ませた気持ちがわかるような気がした。
 
 神に選ばれし者という言葉がある。でも、たぶん神さまは私たちを選んでやってくるんじゃない。誰かの磨かれた心にずっと隠れてて、見つけられるのをずっと待っているんだ、きっと。
 ミっちゃんの後ろ姿に、そんなことを思った。

【著者プロフィール】 東京生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。大学附属病院、総合病院などを経て、訪問看護に携わり、多くの人たちの最期を看取る。そのときの経験から「人生の最期はできる限り本人の希望を生かしたい」と思い、生命倫理学(バイオエシックス)の世界へ。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)をはじめとする、人生における意思決定支援を中心にさまざまな倫理的問題をライフワークとしており、「医療における関係性のなかの意思決定」や「終活視点で考えるアドバンス・ケア・プランニング」などの講演や、地域と組んで「きらり人生ノート」などのエンディングノートを監修している。また、医療や介護における倫理教育プログラム開発などの研究を手がけている。福島県立医科大学がんの遺伝外来で遺伝カウンセリングにも携わっている。現在、杏林大学保健学部准教授。
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受 講 料:3,000円
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