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【第14回】帆を高くかかげよ

執筆:角田 ますみ(すみた ますみ)
   杏林大学保健学部准教授、 専門:生命倫理学、看護師

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 大通りをほんの少し横に入っただけで、両側にずらりとお城みたいな建物とネオン看板が立ち並ぶ光景が目に入る。いわゆるソープランド街だ。

 ソープランド街といっても、そこは人通りも少なくて寂れた感じがするが、それでも黒服の男性たちがぽちぽちと立っている。客引きのお兄さんたちだ。彼らはいつも無表情で、ただの通行人には関心を示さない。彼らの表情がわずかに動くのは、お客になりそうなオジさんが通った時だけだ。それでもこうして何時間も立っていれば、お互い何となく親しみを感じて、声を掛け合うようになったりする。その中で楽しそうに冗談を言っている黒服のオジさんがいた。カズオさんである。

 カズオさんは、アルコール依存症と肝臓障害で私の訪問看護を受けている患者さんだった。アルコール依存症はかなり辛いリハビリを頑張った甲斐もあって、立ち直っている。でも肝臓のほうがうまくいっていなかった。

 向かい側の黒服のお兄さんと楽しそうに話していたカズオさんは、自転車に乗った私の姿を見つけると、笑ってブンブンと手を振った。黒服らしからぬ態度である。
 「おう、訪問お疲れさま!どうだい、患者さんたちの調子は?」と大きな声で聞いてくる。カズオさんの声は太くてよく響くので、周囲の黒服さんたちにも筒抜けだ。一斉に注目された私は、気恥ずかしくなって自転車を降りた。でも、カズオさんはそんなことにはおかまいなしで話しかけてくる。その様子は明るくて屈託がなく、懐っこい子供のようだ。それがカズオさんという人だった。だから、まったく経験のなかった風俗業界や黒服さんたちにもすぐにとけ込めたのだ。私もこの笑顔を見ると、素直に嬉しくなる。仕事で嫌なことがあっても、まぁいいかと思わせるような明るさが、カズオさんにはあった。

 カズオさんはもともと工場を経営していた。子供の頃から工作好きでとにかく何かを作ることが好きで好きで仕方ない。ラジオや無線機はもちろん、鉄道模型やラジコン飛行機まで作るほどのマニアだった。手先がとにかく器用で、家具などの生活用品も自作していたらしい。

 そんな趣味が高じて、しまいには下町の隅っこに工場を作った。オンボロ工場だったが、特許をとるようなプロダクトをいくつか生み出し、ある業界では結構有名だったらしい。工場には従業員の世話や様々な雑用をこなしてカズオさんを助けていた奥さんと、カズオさんの明るさに魅かれて集まってきた仲間が数人いた。その仲間の一人にカズオさんが子供の頃からずっと一緒だった幼馴染みがいた。その人を共同経営者にすえて二人三脚で工場を経営していたのだ。カズオさんは何かを作る才能は優れていたようだが、お金絡みとなると途端に苦手になる。経営面はその幼馴染みに任せていた。

 その幼馴染みが、企業秘密となるような製品の詳細を大手企業に流したうえ、工場の資金を持って夜逃げしてから、カズオさんの荒波に満ちた人生が始まった。
 自分の作ったモノに対してこだわりを持っていたカズオさんは、アイデアを持っていった大手企業に対して激しく抗議した。でも、大手企業の壁は厚く、交渉のテーブルにつくことすら難しかった。それだけではない、その企業はカズオさんの大事な工場をつぶしにかかったのだ。カズオさんと奥さんは必死に闘った。仲間たちもついてきてくれると信じていた。でも、経営が苦しくなると仲間たちも次々と去っていった。去っていかざるを得ないような働きかけがあったようなことも、他の人から聞いた。

 それでも、カズオさんはめげなかった。製品の権利は手放してもいい。でも工場だけは守りたいと必死で頑張った。苦手な交渉も厭わず、下げたくない頭を何度でも下げた。それなのに、ようやくお金の目途が立ったその時、工場はボイラー故障による火事で全焼した。

 工場の跡形もなくなった場所に、カズオさんは何時間も茫然として立ち尽くしたという。工場は、ただの仕事場なんかじゃなく、カズオさんにとって特別な場所だった。でも、何時間か立ち尽くした後、カズオさんはまたムクムクと力が湧いてくるのを感じたそうである。燃えてしまったなら、また一から作ればいい。もっといい工場をもう一度作ればいいのだ。そのためなら俺は何だってできる。そう思ったら急に楽しくなって、その足で工場再建のためにいろいろと奔走し始めたのだ。その前向きさがカズオさんらしかった。
 でも、運命というのは時として信じられないくらい意地悪をする。工場再建への青地図が少しずつできてきた時、ずっと支えてきた奥さんが交通事故で亡くなった。この時ばかりは、カズオさんも立ち直れないほどの大きな痛手を受けた。毎晩浴びるように酒を飲み、カズオさんに残ったのは、壊れかけた体だけだった。

 すべてを失った今、再びカズオさんは前を向いている。何とか資金をためようと、風俗業界に飛び込んで頑張っている。古くて雨漏りのする木造長屋に住んでいたが、ゴミ置き場から拾ってきたガラクタで作ったモノがたくさん置いてあった。何か作ると、そのたびに嬉しそうに作ったモノの話をしてくれる。その時のカズオさんは、目がキラキラしていて少年のようだった。モノを作っていると楽しくて、苦しいことがあってもどんどん力が湧いてくるんだ、と言って笑う。生活は苦しそうだったが、そんなことちっとも気にしているようにはみえなかった。

 「早くお金貯めて、また工場作るんだ。今度は稼げなくてもいいからさ、小さい工場で自分の好きなようにやるんだ」

 まだ荒波の間を漂っているような状態なのに、将来の夢を楽しそうに語るカズオさんをみていると、私なんかよりカズオさんの方がずっと幸せなんじゃないかとさえ思えてくる。

 人生というのは本当にままならないもので、時として理不尽で決して楽じゃない。私たちは、荒れ狂う海に放り出されたみたいに、様々なめぐり合わせや運によって翻弄されながら、必死に渡っていこうとする小さな船の船乗りみたいなものだ。そんな船を支えている鉄は海水と相性が合わないから、海にいれば錆びてしまう。だから、船乗りは、錆が内部に侵入する前に削り落し、上からペンキを何度もかぶせるような日々の手入れをしなくてはならない。
 そう考えると船乗りというものは、決して冒険者なんかじゃない。雑草や虫、そして天候と渡り合いながら土を耕す農夫のように、海と背中合わせの危険をわずかにでも遠ざけようとして、たゆまぬ努力を繰り返す存在である。それは見ようによっては徒労に終わりかねない行為だ。そんな行為をずっと続けていくこと、それが人生なのかもしれない。

 実は、数週間前にカズオさんに悪い知らせが告げられていた。肝臓の状態がよくないので総合病院で精査をしたのだ。結果は膵臓がん由来の転移性肝臓がんで、予後不良。でも今、目の前にいるカズオさんは嬉しそうに私に言うのだ。
 「今、作りかけの模型があるんだ。すごく大がかりなやつでね。今度見せてあげるよ。他にも作りたいものが目白押しで困っちゃうよ」

 医療という仕事を通して、様々な苦難に負けず生きる市井の人々の逞しさに何度も助けられてきた。その姿は、日々の徒労を厭わず大海原を航海する船乗りたちとぴったり重なる。しかしそんな努力にもかかわらず、時として船は沈むのだ。

 それでも、人は人生という荒海に出て行くのだろう。いや、出ていくだけじゃない。なるべく長く海に留まろうとさえ試みるのだ。
 カズオさんもきっと再び荒波に向かっていくに違いない。あの明るさと強さで。でも今度の波は手ごわいかもしれない。だから、私がいえることはただ一つ。

 帆を高くかかげよ。
 どんな荒波に揉まれようとも最後の終着点にたどり着く、その時まで。

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【著者プロフィール】
東京生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。大学附属病院、総合病院などを経て、訪問看護に携わり、多くの人たちの最期を看取る。そのときの経験から「人生の最期はできる限り本人の希望を生かしたい」と思い、生命倫理学(バイオエシックス)の世界へ。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)をはじめとする、人生における意思決定支援を中心にさまざまな倫理的問題をライフワークとしており、「医療における関係性のなかの意思決定」や「終活視点で考えるアドバンス・ケア・プランニング」などの講演や、地域と組んで「きらり人生ノート」などのエンディングノートを監修している。また、医療や介護における倫理教育プログラム開発などの研究を手がけている。福島県立医科大学がんの遺伝外来で遺伝カウンセリングにも携わっている。
現在、杏林大学保健学部准教授。

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『ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング
~ACPがみえてくる新しいアプローチと実践例』
(へるす出版)

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