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【第17回】「皆で考え・つないでいくことで、私たち自身も地域そのものも、共に成長できると実感しています」

個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)

【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO法人 maggie’s tokyo 共同代表
【ゲスト】松山 なつむ(まつやま なつむ)
訪問看護ステーションかしわのもり統括所長

〔撮影:松山雅一(特定非営利活動法人 かしわのもり)〕

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【対談前の思い・テーマ】
①競合ではなく、協働できる地域の支え方があるはず。
自分たちのステーションは組織を拡大させるのではなく、ノウハウを分かち合いながら、地域で暮らすという共通の目標に向かって、競わずに支え合える地域を作れるのではないか。そう思っています。
②種を蒔き、耕し続ける、それが地域づくりなのだと思います。
16年間地域に向き合い続けてきて、だんだん変わってきているもの、それでもなかなか変わらないもの、その変わらなさに心がしぼみそうになるときもあります。それでも、地域を耕し続けることでしか、地域はつくっていけないと日々向き合っています。

地域の子どもたちをケアしたい

秋山 ご夫婦で北海道に移り住んでから訪問看護師として勤めつつ、数年を経て自分で訪問看護ステーションを立ち上げたのは、どういうきっかけだったのですか。

松山 勤めていたときは、自宅から30km 離れた町に通っていました。そこで出会った訪問看護の仕事が、とても楽しかったのです。でも、当時は子どもがまだ小さかったので、できたら地元で働きたいとの思いもありました。役場の福祉課に「保健師募集」はないかと相談したのですが募集はなくて、どうしようかなと。
 この地域には訪問看護がないということも知っていたので、「①この地域の国民健康保険病院(国保病院)に勤めて、そこからの在宅・訪問看護の道をつくっていく」「②起業して自分たちでやる」の2案だったらどっちがいいと思うかを2人の人に相談したら、2人ともから即答で「松山さんは、後者でしょう」と言われ、背中を押されるようにして「じゃあ、起業してみよう」と。

秋山 でも、最初からNPO なので、認証を受けるまでの6カ月間など、準備期間が要りますよね。その間も、30km の通勤を毎日?

松山 準備期間は、国保病院での夜勤のアルバイトをしていました。そうすれば日中に準備ができるのと、けっこうよいアルバイト代になるので。

秋山 夜勤ですものね。

松山 さらには医師・看護師とも関係性ができてくるかなと考えてのことでした。地域のことがまったくわからなかったので、顔と顔でつながれるように関係をつくれたら一石二鳥かな、と考えたんです。

秋山 こども病院の勤務経験が豊富な松山さんとしては、起業後も子どもをやりたいとの思いで運営してこられたのですか。

松山 帯広市内で訪問看護師として働き出したときから、「子どもの在宅をしたい」とつぶやき続けていました。ただ、このあたりの地域で医療的ケアの必要な子どもたちは、札幌・旭川に行ってしまうことが多いのです。そのため、地域に医療的ケア児が多数いるという環境でもなく、私もなかば諦めているというか、「私は、高齢者のほうを担うんだなぁ」とどこかで思っている感じでした。でもやはり子どもは好きなので、ことあるごとに「子どもの在宅を引き受けたい」「子どものところに行きたい」とはつぶやくようにしていました。

秋山 そのつぶやきが、最初の地域での子ども・ヒロト君との出会いにつながったのですね。

松山 隣町の新得町で、保健師が就学前からずっとヒロト君にはかかわっていて。訪問看護でお世話になっていたので、そのつながりで「どう?」と声をかけられてかかわるようになりました。ヒロト君の両親の、「地域の小学校に通わせたい」という思いがあって、皆でその思いを支えたんです。
 ヒロト君には小学校入学の時点から、6年生まで、胃瘻のケアなどを行いました。ヒロト君が1年生のころ、地元の鹿追にはもう1人、学年は少し上になるカンタ君という子どもがいました。カンタ君には私たちみたいな看護師が寄り添っていなかったので、給食の時間になると母親が迎えに行っているというのは知っていたんです。
 もし、カンタ君にも私たちが入れたら、高学年になるカンタ君は、皆と同じ時間を学校で過ごせるなと考えていて。そこでヒロト君との交流会をして、お母さんたちに「こんなこともできるよね」ってジワーッと伝えたら、お母さんたちの気持ちにも火がついて…、皆がちょっとずつ動いて、1年遅れでカンタ君への支援も始まりました。今はまた違う2人に入っているんですが、きっかけをつくったくれたのはこの2人です。

秋山 彼らは、普通学級に通っていたんですか。

松山 そうはならなくて、カンタ君は、そもそも小さな地域の小学校の複式学級なので、給食の時間だけ混ざったり、ヒロト君は1クラス30人ぐらいいたので、体育と音楽だけ混ざるとか、運動会などの行事は一緒にしたりしていました。

秋山 かつて、1990年代後半あたりはまだ、ボランタリーで訪問看護が行って、胃瘻からの補助栄養の行為をするという時代でしたよね。教育委員会との掛け合い、行政との掛け合いをしながら。

松山 ヒロト君の支援に関しては、2009(平成21)年から話し合いを行い、2010(平成22)年から就学でしたが、それでも最初の1年は、保健師さんが間にかなり入ってくれました。費用の折衝などは私は未経験だったので。

秋山 本来だったら学校に養護教諭もいて、子どもへの医療的ケアも合わせてしてもらえたらいいんだけど、それは難しい現実があります。だから、訪問看護が学校に入って医療行為を伴うケアをするのですが、訪問看護は家に行かないと医療保険の報酬が下りてこないので、持ち出しになってしまったりするところを、皆何とか工夫してやりくりしているんですね。

松山 訪問看護の制度外の部分で、それぞれの市町村との委託契約があって、その市町村によって引っ張ってくる財源は違うみたいですね。

秋山 市町村は、本来はそういう医療行為をする人員を配置するべきというか、家族におんぶにだっこじゃなくて、ちゃんと整備しなければならないところを、外からそういう人たちが来てくれることで、就学できる児童たちが増える。それも大事な解決策なので、市町村に保険者が掛け合って、外部の人が学校に行けるようにする。その一つを訪問看護も担っているわけです。

松山 はい。

秋山 ただ、市町村によってはそこが非常にお堅いところもあります。もちろん、家に行くのが訪問看護だけれども、発達段階に応じて、保育園・幼稚園だったり、小学校・中学校だったりに、それぞれの子に合わせた訪問看護が入れる仕組みをもっと作らなければとずっと思っています。

松山 私たちの訪問看護で大事にしていることとすべてつながるのですが、1人の子どもに皆で一生懸命かかわることで、地域のすべての子どもと、そこにかかわる大人、ひいては逆に私たちに必ず学びがあったり、この地域に住み続けることができることで、地域が持続できるようになったりします。目の前の1人の子どもの暮らしを、皆で一緒に支え・支え合うことで、地域がきっと成長するというのは、本当に実感としてあります。
 そんな思いを伝えたら、学校や保育園の関係者は子どもの専門家で、私たちよりもっと子どもたちの可能性を肌で感じているので、「そうだよね」と言うばかりではなく、「この時期の子どもたちにとって、同年代の子どものなかに混ざることは本当に大事だね」と教えてもらえて、少しずつ思いがつながる感じでした。

秋山 もともと小児に目が向いているので、松山さんにはそれが見えてくるんでしょうね。しかも、保健師さんとのつながりがあって、NPO として自立できる仕組みで持続している。NPO は地域貢献というか、儲けには走らない組織だから、そういう意味ではとても福祉的な側面ももった、障害児に対する看護といえると思います。ただ、たいていは持ち出しのままずっと行ってしまうんですが…。

松山 そこを新得町は町の保健師が軸となり、制度の枠を越えて学校教育課や教育委員会とも連携し、町単独の予算を獲得する仕組みがつくられました。現在では、重度障がい者医療的ケア等支援事業という国の事業からの費用も活用されています。

秋山 ひょっとしたら、それは医療保険ではないかもしれないと思ったりもするのです。もちろん、医療保険の報酬に乗るのが、より多くの訪問看護が行けるとっかかりではあるけれども、別の道があるかもしれない。どうしても、医療報酬・介護報酬にぶら下がり、頼るだけではなく、自主事業というようなものの可能性も、地域によっては探っていくべきというか。
 松山さんが言ったように、報酬だけではない、その子どもをとおして地域のつながりが増えることの「益」というか、メリットというものをすごく大事にすれば、報酬を超えるものがあるという考え方ができますね。
 2018年度の診療報酬改定で診療報酬が付かなかったのは残念ですけれど、それだけが道ではないし、価値ではないと、松山さんの発言から本当によくわかります。そのあたりを皆が、もっと広い心で理解しないとならないのかなと気づかされました。

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田舎だから成立している個別の取り組みってきっとあって、全国一律の
制度化が必ずしもプラスではないかもしれない、と思っています。

松山 実際にやっていて、これにもし報酬が付いたら、ものすごいことになっちゃうと思うんですよ。田舎だからできているというのが前提にあって、このやり方が都市部で成り立つかといったら、いくつかの課題があります。全国一律に制度化してしまうことには、ちょっとなじまない部分もあるかな、と思っています。

私たちだけじゃない“誰か”に出会うことが、地域を育てるコツ

秋山 今年からですか、サテライトを更別に。

松山 更別は今年で、芽室は3年前から。

秋山 それはやっぱり通うのに遠いのと、ニーズがいっぱいあるからですか。

松山 1つめの芽室町は、1つだけステーションがあったんですけど、まだまだ訪問看護が浸透していなくて。ここから20~30分で行ける芽室町にまだ届いていないなという思いがあったので、サテライトを設けました。
 6~7年前から、週2~3回は更別村へ行っていたのですが、村から「芽室でサテライトができるのであれば、更別にも置いて、もっと住民の近くにいてほしい」という声が届いたのが更別でも始めたきっかけです。

秋山 サテライトを始めるときは、新たに人員配置をしたんですか。

松山 もともといるマンパワーでやりくりするつもりだったので。私たちのサテライトの狙いは、訪問看護の利用者をたくさん増やすというよりは、利用者さんやほかの事業所の人たちに、訪問看護を使うとこんなふうになるんだみたいな、心地よさというか、いろいろな可能性を知ってもらえたらいいなと思ったんです。だから、10件でもいいので丁寧にかかわれたら、きっと広がるかなと思って。
 実際、私たちのサテライトができた半年とか1年あとに、ステーションが地域にできているので、そこと棲み分けつつ、公立芽室病院も少し在宅のほうに向いて動き出してくれたり。私たちの量を変えずに訪問看護が広がっていて、そういうやり方もあるかなあという感じです。

秋山 それは面白いですよね。サテライトは、「自分1人でやっていたんだけど、開拓して規模が大きくなったら、サテライトじゃない状態にしていく」というパターンが多いと思うけど…。

松山 ステーションとして成立する看護師常勤換算2.5人の人件費が賄えるだけの規模になれば、ステーション化すればいいかなと思います。でも、それが必ずしも「かしわのもり」でなくてもいいなというのが自分のなかにはあります。芽室町のなかのある事業所さんが、もともと訪問看護をしたいとつぶやかれていて、ちょっと二の足を踏まれていたのです。私たちがサテライトを置くことで、「大丈夫ですよ、できますよ」みたいなメッセージになれば、そういうところと、競合じゃなくて協働できるかなというのがあって。

秋山 協働という面では、ケアマネジャーさんの反応はどうでしたか? 栃木の東のほうで、介護保険が始まってから10年も経つのに、1カ所も訪問看護ステーションがなかった地域があって、そこにステーションをオープンしたときに、ケアマネジャーさんが、「訪問看護って何?」と。その人はプランに訪問看護を入れたことがなくて、その地域は訪問看護がなくても成り立っていた。その状況を打破するのが、すごく難しかったという話を聞いたことがあるのですけれども。

松山 芽室内のケアマネジャーさんはそういう状態だったんですけど、訪問看護ってそうだと思うんですけど、打破するきっかけは利用者さんがつないでくれるというのがあって。あのときはターミナルの方がつないでくださったと思うんですけど、1人の利用者さんに丁寧に皆でかかわって、結果、「よかったよね」ということがありました。そこから徐々に、看護師さんに気軽に相談できるのっていいよね」と根づいていった感じです。

秋山 看護と一緒にやることで、最期までお家にいられたとか、そういう成功体験が町の中で少しずつ…。

松山 今まで距離が遠かったのが、「そんな小さなことでも相談してもいいんですね」みたいなつながりから、ケアマネジャーさんが「ちょっと困ったな」というときに電話をくれるようになってきています。

秋山 地域に訪問看護のよさを気づいてもらったら、その地域が育っていくだろうという目線が、すごく温かいな、それが本当の地域づくりなのかなと思って聞いていました。

松山 「訪問看護を大規模化したほうがいい」「大規模多機能が、訪問看護の残る道だ」というのは、かなり前から言われていると思うのですが、始めたころからずっと、大規模にはまったく興味がなくて。そもそも私たち自身がこういう片田舎で暮らしたいと思っている人なので、自分たちの暮らしがベースにあって、その暮らしが丁寧であればいいなというのをよく口にしています。そのときに、たくさんを背負ってしまうと雑になってしまうと思うんです。
 それと、自分たちのできる器の大きさは決まっているので、そのなかでどんなふうに展開すれば、私たちじゃない“誰か”がそれを手伝ってくれるのかということを、常に意識しています。だからまずは、自分たちの思いを届けるために地域に出向きます。その人に出会わないと伝えられないのですが、伝わったらきっとその人たちが歩き出す。それは専門職であれ一般の人であれ、地域の人たちの力は本当にすごいので、その出会いを求めているんです。大きさにはもともと興味がない。

秋山 もちろん松山さんの考え方もですけど、ベースがNPO 法人であるという、社会貢献をするための団体というあたりが、大きく関係しているかなと思うのです。また、芽室へは行けるとはいえ、ちょっと離れているわけですよね。離れているところでたくさん引き受けちゃうと、やはりパンクしちゃうところはありますよね。

松山 車中で昼休みを取っていたりすることもあるのですが、北海道の冬の車中は結構厳しいものがあるんですね。サテライトというのは、変更届だけで開設できるのだということがわかったので、スタッフの少し離れた場所での拠点という意味でもやろうかなと。

秋山 遠い場所にいて、行き来がすごく大変だという話も、地方に出ると結構聞く話です。そこをサテライトにして事務所を構えていると、スタッフの休憩が取れたり、記録などもできたりといった使い方が可能なんですね。

松山 サテライトの近辺の看護師さんに仲間に入ってもらって、その地域で訪問看護を維持し続けることが、いつか実を結ぶ可能性もあると思ってやっています。

変わらなくても伝わらなくても、毎日地域を耕し続ける

秋山 帯広の辺りも、冬場の環境は確かに厳しいものがあって、越冬入院とでもいうような状況があると聞きました。そのこともあってか、体質がずっと変わらず根づいていて、地域全体の医療費総費用がとても高くて、皆そう思っていながら、まだまだ病院に頼っている。それを何とかしないとならないところですよね(笑)。

松山 それに関連して、私が秋山さんに1つ聞きたかったのは、16年続けてきても変わらないこと、できないことの多さを感じる毎日なんですけど、秋山さんは「それでも耕し続けることに意味がある」ときっとおっしゃるだろうと思うのです。
 その変わらないものに立ち向かって、それでも地域を耕し続けて、種をまくというのはどうしてかを、逆に秋山さんに聞きたいなと…(笑)。

秋山 この対談の前に、地域の人たちにいろいろとお話を聞かせてもらったときに、帯広はまだまだ特別養護老人ホーム(特養)から看取りのために病院に送られる人が多くて、特養での看取りが進んでいないと、ある医師がやや残念そうに話してくれました。でも、まずは1人だけでも、老衰というか穏やかな看取りができたら、それがモデルになって、皆の意識が少し変わるかもしれないと思います、というふうにも話してくれました。

松山 そうですね…。このステーションが1つ鹿追にできたからといって、鹿追の多くの人たちの「最期は病院、最期は老健」という風向きを変えられているかというと、そうではない。そこは、文化に近いレベルの根深さで、そこを耕し続ける難しさというか…。

秋山 そういうものは、一気に変わりはしないけれども、それこそ1人ずつ丁寧にやっていくことが、決して無駄ではないというか…。あるとき、兆しのようなものが見え隠れすることもあるので、「うまくいったな」という、小さくても成功体験を独り占めしないで、その経験を皆でシェアしていくことが、とても大事になると思っています。
 暮らしの保健室で続けている勉強会の成果も、やはりすぐには出なかったけれども、ジワーッとそういうチームができていき、病院の人も関心をもつという経験をしています。ただ、病院の人たちも入れ替わるので、地域の側としては何度も同じ取り組みとチームづくりをしなければならない。でも、それは無駄にならなくって、けっこう気の長い話ですけれど、ちょっとずつ変わってはくるかな? と思っています。
 なぜかというと、何年か前に連携したことのある人からのつながりで、今度は別の人が、「何年か前の担当者の〇〇さんがお世話になりました。今回はこういう状態になったのをお願いしたいんですけど」と、相談に来てくれる人たちがいるんですね。ずっと続けてきたことが受け継がれていてよかった、という思いを東京でもできているわけですから、「諦めない」ことがよかったんだと実感しているところです。

松山 今のまま、やっていけばよいのだなと思えました。こんなふうにして、ときどき外の人、故・村上智彦先生や秋山さん、そのほか多くの人たちに「今のままでいいんだよ」「今の方向は間違ってないよ」とひと言もらうだけで、現場の私たちは5年ぐらい頑張れるので(笑)。私のエネルギーが小さくなるころに、また外に出て。内と外とのバランスをとってエネルギーをもらうという意味でも、今のままやっていけばいいんだなと。かしわのもり開設当初から一緒に頑張ってきた佐藤千晶さんも、今ここにいたら泣いてると思います(笑)。

秋山 実は夕べ、「かしわのもり」のスタッフの皆さんと食事をする機会に恵まれたんですけど、そのときに、病院から来たばかりの新入職のスタッフの人が「まだ慣れなくて、話を聞くだけしかできないんです。それしかできなくていいでしょうか」と言われました。「いやいや、話を聞くことができるということは、『この人に話をしてもいいんだ』と思われているということです。そう思わなかったら、誰も話をしようとは思わないので、それができているというのは素晴らしいですよ」と言ったとたん、ポロッと泣かれてしまいました(笑)。能力がないから聞くだけ? そうじゃない。聞けるということはすごいことなんですよ。
 もう1人は、ベテランのスタッフの人で、「聞いて、答えをあげられないもどかしさがあって、こんなんじゃだめだなと思う」と言われたから、「それは間違ってるわよ」と。聞いて答えを出してあげるという立ち位置じゃなくて、「聞かせていただいてありがとう」から入ってみる。聞いてもらって肩の荷が下りて、それだけですっきりして帰る人、すっきりして自分で答えを出そうと歩み出す人もいます。だから、「『答えを出してあげる』というのはちょっと違うのよ」と言ったら、そのベテランさんは「目からウロコです」って(笑)。
 そのあたりは今、マギーズで私が学びを深めているところなので、そのような伝え方をしたのですね。聞くだけしかないことも、確かにある。もちろん、聞くだけではだめな場合もあるかもしれないんだけれども、聞くことができていること自体は決して悪いことではないし、答えはすぐに出さなくてもいい場面が、在宅では結構あると思うから、慌てなくてもいいんじゃないかなと。

松山 そのベテランスタッフは、札幌の都会型ステーションで経験を積んで、「田舎の訪問看護がしたい」と言って3カ月前から来てくれています。同じステーションにいて、それぞれ今、いろいろ壁にぶつかりながら自分なりにそしゃくしている最中だった2人ですね(笑)。
 チーム内だけで話をしているのと、同じ職種の、フィールドは違っても同じ思いを大事にしている外の方から意見をもらうのとではやはり違って、外からの言葉はスーッとしみわたる…それも秋山さんから。ありがたい経験だっただろうと、うれしく思います。(了)

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2018年度より社会福祉士も仲間入りし,発達障がいなどの暮らしづらさをもった子どもたちに向けたプロジェクトを開始

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新芽が芽吹くまで、前の年の葉は厳冬期に枯れても落ちない柏の葉。いのちのバトンをつないでいく、自然のたくましさと優しさが「かしわのもり」の由来である

対談をおえて

松山 対談後、古い書類を整理していたら秋山さんの講師資料が見つかり、懐かしくて手が止まりました。演題に置かれたパソコンに隠れてしまいそうな秋山さんを少しでも見たくて、上半身をやたらと動かしていた訪問看護師なりたての頃。あの頃も今も、秋山さんの姿勢から学ばせてもらうことは尽きません。今回の対談で、田舎のステーションの強みと可能性を再認識することができました。成功するまで失敗を繰り返す「ここから実験室」も、どんなときもユーモアのエッセンスを忘れない秋山さんの姿勢を見習って進もうと思います。ありがとうございました。

秋山 「かしわのもり」の10周年の記念行事に来てほしいと、わざわざ暮らしの保健室を訪ねて来てくれたところから松山さんと出会い、交流が始まりました。お二人とも大阪人という松山さんご夫妻の、移住して手作りで家を建ててしまいながら、地域のなかでの医療のみならず、保健・福祉のニーズを拾い上げていく様子に、心をひかれるものを感じました。
 地域で最初にかかわった子ども(ヒロト君)とのつながりから、地域のなかで暮らす子どもたちの生活の幅を広げていく実践活動は、まさに地域を耕す活動です。1人ひとりに丁寧にかかわることにこだわり続け、「大型化に興味がない」と言い切る松山さんの活動にも、1つのモデルが示されていると感じたところです。

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【ゲストプロフィール】
小学生のころ、筋ジストロフィーの同級生のお世話をいちばん近くでしている自分に、ケア指向を見出す。母親の勧めもあり看護学校に進学し、保健師の資格も取得。子どもへのケアを担いたく、看護師としてこども病院に5年勤務。大好きな北海道旅行で出会った夫と、結婚を機に北海道へと移住。鹿追には24年前から居を移し、以来22年、地域の医療を支える。NPO としての訪問看護の提供のほかに、「いのちの授業」や「ここから実験室」などの取り組みを実践、地域の支え手と共に毎日を送る。

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【ホストプロフィール】
 2016年10月 maggie’s tokyo をオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

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※本記事は、『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』2018年9月号「特集:ICTで拓く! 地域包括ケア」内の連載記事を再掲したものです。

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『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。

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