見出し画像

【第12回】「何気なく踏み込んだ在宅の世界。気づけば夢中に、やりがいの毎日です!」

個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)

【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO法人 maggie’s tokyo 共同代表
【ゲスト】瀧井 望 (たきい のぞみ)
公益財団法人日本訪問看護財団立あすか山訪問看護ステーション副所長、皮膚・排泄ケア認定看護師

―――――――――――――――――――――――

【対談前の思い・テーマ】
①褥瘡対策をテーマにがんばってきました!

皮膚・排泄ケア認定看護師を取得する前も、「褥瘡係」に立候補して独自に勉強を続けていました。それでも、自信をもって広く発信できる自分にはなれていなかったと、振り返ってみて気づきます。認定看護師として得たものは資格だけではなかったと思っています。
②ずっと走っている気がします。私はいつまで走るのだろう…
毎日の業務はやりがいがあり、また自分でもがんばりたいので走り続けています。でもふと「いつまで走るの…?」と思ってしまうときがあります。長く実践を続けている方々は、どこからその活力を得ているのでしょうか。

訪問看護師になって、とにかく勉強しました

秋山 ケアマネジャーの資格をおもちなのですね。

瀧井 子どもを産んでもなかなか保育所に入れなかったので、そのときに、「この時間を活かしてケアマネの資格を取ってみようか」と勉強して資格を得て、少しケアマネの仕事もしました。
 ブランクがあったので、いきなり看護師に戻れる自信がなくてケアマネをやってはみたんですけど、私の性には合わなかったみたいで(笑)。すぐに現在の職場のあすか山訪問看護ステーションに勤めはじめました。

秋山 あすか山さんのことは知っていたのですか?

瀧井 あすか山のことも、訪問看護がどういうものかというのもあまり知りませんでした。最初から「在宅がやりたかった!」という高い志があったわけではなく、家から近くて夜勤がない、子育てがしやすいという条件で検索したら、「あ、近いところがあった!」という感じです。
 ケアマネを経験できていたからか、訪問看護には違和感なく入れたのですが、仕事自体はすごく大変だったんです。こんなに勉強しなきゃならないんだと思いました。

秋山 何がいちばん勉強しなきゃ、という感じでしたか。

瀧井 病院に勤めているとき、仕事があまり好きではなくて、辞めたいとばかり思っていて、ほとんど楽しさを感じたことがなかったんです。今振り返ると、日々流されるまましっかり勉強もせずに過ごしてしまっていました。
 いざ在宅に来てみると、1人で患者をみるのですごく責任が重くて、自分が勉強しないと患者の状況が変わってしまう。在宅の患者は多様で疾患も多岐にわたります。その事例一つひとつを勉強しないと余計につらくなるので勉強しましたが、子育てしながらだったので大変でした。

秋山 勉強することは大変なんだけれど、目の前の患者には、それが活きていく。それは手ごたえとしてあるというか、勉強したぶんだけ自分のものになりますよね。

瀧井 まさにそれを感じられるというか、自分のやったことが全部患者の変化や成果につながるというのはしみじみ感じるので、やりがいがあるし、責任も重く大変な仕事だとよくわかりました。

地域全体の患者の褥瘡をなんとかしたい

秋山 子育ても勉強もと無我夢中のなかで、皮膚・排泄ケア認定看護師の資格を取りにいこうと思ったのは、何かきっかけがあるのですか。

瀧井 何もわからず訪問看護に入ってしまった1年めに、脳幹部梗塞で四肢麻痺、胃瘻造設の状態で自宅に帰ってきた患者に、1週間で褥瘡が発生してしまったんです。先輩方に相談し、いろいろ対策を講じましたが、それでも褥瘡は悪化し、最期はその大きな褥瘡をかかえたまま肺炎を繰り返して亡くなりました。
 それが自分のなかで衝撃的な経験で。私はまだまだ勉強中だけど、それでも褥瘡すらまともにみられない看護師じゃダメだなとそのとき思ったんです。褥瘡は最低限管理してあげたい、褥瘡をきちんと勉強したいと思うようになって、勉強会や学会、研修に行くようになって。ステーションでは、自ら褥瘡係に名乗り出て、ステーションの有病率を減らすことを目標に活動・実践を重ねていました。だから、褥瘡に関しては自信があり、誰よりも語れると思っていました。
 でも、あすか山に褥瘡の勉強会の依頼があった場合に、そういう場に出て私が話をすることはなかった。「褥瘡の勉強をがんばりました」と言っても、何の資格もポジションもなく何かを発信するというのは難しいと感じて、悶々として。
 そんななか、所長(田中道子さん:ステーション所長、訪問看護認定看護師)に、「褥瘡をがんばってきたのだから皮膚・排泄ケアの認定へ行ってみたら」と言われて、ちょうど下の子も小学校に上がったし、常勤になってだいぶ安定もしてきたし、もういい歳だし(笑)、会社が背中を押してくれる今がチャンスかなと思って、皮膚・排泄ケア認定研修教育課程に入学するため試験を受けました。認定資格を取得したのは去年なので、認定看護師としての活動はまだ1年と少しです。

秋山 「私に褥瘡のことをやらせてください」と言って、手をあげてリーダーをやっていたころと、いざ認定に行って、もう一回学び直した後で、何か変わりましたか。

瀧井 視点が変わったというか、褥瘡に関して究めるという感覚から、もう少し広い視野で、地域をみたり、在宅の皮膚・排泄ケア認定看護師として病院とは違う何ができるだろうと意識したり、考え方の幅が広がりました。それまでは、自信がなくて、訪問看護について根拠をもって話をすることができなかったのですが、今は自分が学んだ専門分野に関しては、ある程度根拠をもって話せるようになった。いちばん変わったのが、主体性が出たので楽しく仕事ができるようになったことで、同僚からも「戻ってきてから瀧井さん、すごい変わったね」って言われるんです。

秋山 ただ専門分野を究めるだけでなくて、視野が広がり、「そうか、地域のなかで自分が担っているのは褥瘡だけじゃないよな」と、経済面や社会サービスなどを幅広くみることも大事だと気がついたわけですね。皮膚・排泄ケアの認定だと、同級生は病院から来た人が多かったですか。

瀧井 そうですね。在宅のメンバーは私ともう1人だけで、授業中は、よくその2人が質問をしていました。必死だったというか、病院の人たちとは違うところがありましたね。

秋山 病院に皮膚・排泄ケア認定看護師がいることで点数がつくから、それで上司から言われて行く人がけっこういますね。瀧井さんの場合、目の前の患者の褥瘡を「これは何とかしなければ」と思ったことがきっかけだからモチベーションも高い。たぶん動機がほかの人とはぜんぜん違う在宅の2人だったのじゃないかな(笑)。

瀧井 そうですね。受験を決めたときから、強い動機がありました。「自分は何と何がしたくて、こんな風にステーションや地域に貢献できる。だから学校に行かせてください!」と、自ら皆の前で話をしたほどです。そういう思いがあったので、学校でも吸収できるだけ吸収してこようという感じで。

秋山 吸収してきたことを目の前の患者にも仲間のスタッフに対しても、フィードバックできているのですね。

瀧井 まず目的が「あすか山の有病率を減らしたい」ということでしたから。年に1回、褥瘡の管理状況について報告の義務があるのですが、それを年に1回ではなく毎月集計・チェックしています。スタッフ全員がリスクアセスメント、褥瘡の評価、それに対する計画・評価を継続的にできるように、ずっとチェックし続ける。計画が立っていなければその患者の疾患や記録情報からリスクを抽出し、計画立案の必要性を担当者と話し合うなど地道な作業です。そのための勉強会を開いたり、ステーション内の相談にも応えています。

秋山 同行訪問もするのですか。

瀧井 これは必要だなと思ったら、時間調整をして一緒に訪問しています。相談を受けるだけではわからなかった褥瘡発生の原因が、環境をみて明らかになることがたくさんあります。

秋山 在宅だと、通常の環境調整では足りなくて、褥瘡がよくなる方向にとか、できないようにとか、再発しないようにといった予防的環境調整を少し広い視野で考える必要がありますね。日中独居の人でヘルパーが入るなら、そのヘルパーができるような状態に整える工夫をしなければならない。そのあたりは病院とは大きく異なりますね。

瀧井 老老介護の家庭で「体位変換してください」とは私はとても言えないです。高齢の介護者に負担なく、褥瘡を発生・悪化させないためにどんな工夫をするのかを考えていきます。
 いちばん重要なのは、原因をしっかり排除すること。マットレスを適切に入れることが何よりも褥瘡予防には重要なので、マットレスが正しく選べるようにしていきます。私だけではなくて、皆ができるようにしていくことが重要で、TOKOω TOKO「床ずれをなくそうプロジェクト」(北区訪問看護ステーション連絡協議会に発足した褥瘡に関する学習会プロジェクトである。読みはとことこ)では、看護師だけではなくてケアマネやヘルパー、多職種に向けてその人に合ったマットレス選択の勉強会や、企業を呼んでマットレス体感を実際に行うなどの取り組みを行っています。

秋山 難しいところですが、患者の自発的な活動を阻害する可能性もあるけれど、エアマットにしてできるかぎり予防に努める考え方もあれば、低反発のマットレスくらいにしておいてできるだけ離床を促す考え方もある。離床のためには介護保険の枠だけではなくて、隣近所の人の力を借りるとか、もう一つ先の支援の輪を広げることが必要な場合もありますね。東京都北区での地域の取り組みであるTOKO ω TOKO の会ですが、このなかに看護師以外の職種は入っているのでしょうか。

瀧井 TOKO ω TOKO は、北区のステーション連絡協議会のなかのプロジェクトとして、3年ほど前に立ち上がりました。当初は訪問看護師だけに呼びかけていましたが、褥瘡を予防していくためには日々の継続的ケアが大事で、患者の支援にあたるすべての人が正しい知識と技術をもってケアにあたる必要があります。そこで、福祉用具の業者やヘルパー、ケアマネなどの多職種に呼びかけて学習会を開催しています。

秋山 会を継続していくなかで、ケアマネの意識は変わってきましたか。

瀧井 実際にケアにあたるヘルパーや、福祉用具業者の参加は多いのですが、ケアマネはもしかしていちばん少ないかな。同じように呼びかけているのですが、参加率が少ない印象があります。
 私はケアマネにいちばん来てほしくて。居宅でサービスを利用している人でも、まだ訪問看護の利用は少なくて、そのほかの多くの人たちをみているのはケアマネです。その人たちに適切なマットを入れられるのはケアマネですから、ケアマネの意識を高めるためにどうしたらよいかが課題です。TOKO ω TOKO の勉強会のときには、地域のケアマネにも声をかけますが、それでも参加人数は少ない印象があります。

秋山 私たちもこの「暮らしの保健室」で、毎月一つのケースにつき事例検討をしています。事例にかかわった人に声をかけると、まずケアマネということになりますね。
 漠然とした勉強会だと、「時間があれば行きます」となりがちですが、自分が受けもったケースが検討されるとなると、最初は「何を言われるの?」みたいな感じで身構えて来て、でも結局は皆から広く深く意見をもらえて、「よかった」と感想を述べて帰っていきます。ですから、漠然とした「褥瘡についての勉強会」というよりは、「このケースについてみんなで一緒に考えましょう」というような呼びかけ方だと、少しずつでもケアマネがしっかり参加してくれて、「あの会に行ったら勉強になった」という口コミが広がると、また来やすくなるのかなと思います。

ホントに“持ち込み褥瘡”なの?!

瀧井 在宅から病院への“持ち込み褥瘡”が増えているとよくいわれるのですが、私は本当にそうなのかなと思うことがあります。終末期の患者で重症の褥瘡をかかえて退院してくることがよくあります。自宅で過ごす最期の大事な時間を、ずっと褥瘡の処置で費やすことになる。外来通院していたときに発生したのなら、外来看護の見直しが必要だし、入院中に発生したのなら個別性のあるリスクアセスメントができていなくて、マットレスを正しく選択できていなかったのではないか。果たして“持ち込み褥瘡”なのか、と思うことはありますね。

DSC01104 - コピー

“持ち込み褥瘡”といわれてしまうことが悔しい。
地域の褥瘡削減に、病院・病棟とも一緒に取り組みたい

秋山 例えば消化器系のがん末期でも、外来に通っているときは関連している消化器は診てくれるけれど、それ以外は「じゃ、皮膚科に回って」と、トータルの人としてなかなか診てもらえない面があります。それで見過ごされていく間に、栄養状態はもちろん、悪液質がどんどん進むという悪循環で、残念に思います。
 そこに切り込みたいというか、「在宅のケアが悪いから、“持ち込み褥瘡”だ」といわれるけれど、「いやいや違うよね」と主張したいですね。

瀧井 在宅のほうが、実はつくらないでやれているんじゃないでしょうか。

秋山 継続できるケア、具体的にやれるケア、家族でもヘルパーとも一緒にやっていけるケアを編み出していけば、確かに治りは悪いけれども、ひどくなることはない。徐々に回復してくるという経験をしている在宅の側からすれば、「ここまで悪化させてしまうなんて」と思いますよね。

瀧井 入院中に褥瘡が発生して、退院するときには骨に達する巨大な褥瘡になっていて、患者がどんな思いでその褥瘡と闘っていたのか、病院は気にならないのかなと思うこともあります。
 もし今後またこういうことが起きたら、どこに問題があり、同じことを起こさないためにどんな対策を立てればよいか、病院・病棟を巻き込んで、一緒に考えていきたいです。

長く実践されている先輩方の、活力の源は?

瀧井 日々の看護や仕事にはやりがいもあって、やりたくてがんばっているんですが、でもちょっと疲れているときやふとした拍子に、「私、いつまで走り続けているのかな」と(笑)。認定取得の学校から帰ってきてずっと、「頻拍だな」というくらい走っている感じがして、「いつまで走るんだろう」と思うんです。秋山さんは数多くのいろいろな取り組みをされて、きっと非常に忙しいと思うのですけれど、すごくキラキラして元気に見えます。

秋山 “見える”だけですよ(笑)。

瀧井 その活力というか、源というか、それは何にあるのでしょうか。

秋山 何がエネルギーの源かというと、人との新しい出会いでしょうか。今は、直接は訪問看護をしていませんが、訪問看護で培った人との出会いのなかで、相手が本当に必要とするところに自分がちゃんと向き合っていける醍醐味を知っているので、それは大きいですね。
 あと、今は“管理”をせざるを得ない立場にありますね。そうなったとき、何でもかんでも自分と同じようにしてくださいよ、ではなくて、若い世代の人たちがどうやったら仕事をしやすいか、譲っていく、育てていく。それをただ「こうしなさい、ああしなさい」ではなくて、その人たちが自ら育っていけるようにしていくことを考える。いろいろな場面で次の人たちがいかに育って、自分の仕事を任せていくか、次はそういうことだと思うのです。世代交代を考えながらいろいろな人に委ねていくことかな。

瀧井 自分が訪問に回っていた現場中心から管理職になったときに、楽しさ倍増というかすごく楽しかったですか?

秋山 いやいや、最初は「自分が行ったほうが早い」と思ったことがいくらでもありました。でも自分が主役になってはダメで、次に入る人が「これでよかった」と思える体験をするためには一歩も二歩も下がらないとなりません。
 例えばカンファレンスで、自分の主張はあっても、相手がどうして今そのケア・看護をしているのか、相手の考えを聞ける・引き出せるようなディスカッションが必要なのです。
 瀧井さんは認定の学校から戻ってきて、主体的・積極的に自分の意見を言うようになった。きっかけがあって成長できたのですね。認定に行く・行かないは関係なく、自分が受け持っている患者のことについて「自分はこうしたい」「こう思ってこうした」としっかり言える看護師に育ってほしいと思っていて、そこは待たないとならないんですね。
 私の場合、実をいうと致し方なく私がトップにならざるを得ない状況が生じて、そのときが今までで最も大変だったのですが、乗り切れたのは目の前に患者がいたからです。そこから逃げ出すわけにはいかない。今は現場の前面に出ているわけではないですが、いつでも直接には目に見えていない状態でも、目の前にいる人たちのことを思い描き、自分が必要とされることが感じとれて、それに対して真摯に応えていかなくてはならないと考えています。それは使命感かもしれません。ただ使命感だけで人は前に進めないので、自分も楽しみながら、新しい発見などをどう自分の言葉として自分の身体のなかで消化(昇華)して、それをまた人に伝えられるか。その面白さが続けていける源の一つかなと思います。

瀧井 どこもやっていないことをどんどん試みるのがすごいです。その発想力はどこから生まれるのでしょうか。やはりそれも、継続のなかでいろいろな広がりから生まれるのですか。

秋山 相手にとってそれがどう意味があるのか、目の前にいるその人たちの思いを真ん中に据えていかないと、どこかブレていくと思っています。いったいこの人は何を願い、どういうふうに生きていきたいのか。ど真ん中にいる人の意思をないがしろにしないで、再度そこに立ち返って聞いたり考えたりする。
 だから、今いちばん新しい「マギーズセンターを東京に」という取り組みも、がん患者と家族たちが何を求め、何を考えているのかをどうやって引き出すかというヒューマンサポートなのです。それは、在宅の訪問看護のなかで真ん中にいる人が何を望んでいるのかを私がずっとみつめて、ブレてはならないと思ってきたことにつながるんです。新しいことを次々やってきているようにみえるけれども、そのブレていないことは底にずっと流れていて、自分でもおかしなくらい、変わっていないのです。相手の力をどうやって引き出すのか、今はそれが本来の看護にできることというか、根幹なのではないかと考えています。

瀧井 訪問看護だと、指示書が出たようなある程度重症の人じゃないとかかわれない。それだけに留まらず、お年寄りから子どもまで、地域の人すべてというか、困っている人を助けたいという思いでしょうか。

秋山 そうなのですが、そのときに自分が助けてあげるのではなくて、相手が溺れているのを引き上げるのではなく、その人が自分の力で起き上がってくるのを見るというか、助けるというか。相手が自分の力で起き上がることができたと思えることが結果であり、評価であるんですね。だから、そこの部分が「何かしてあげてよかった」ではなくて、結果としてはそういう言い方になることもあるのですが、狙っているところは少し違う。

瀧井 私たちの日々の看護も、患者の困りごとを私たちが何とかしてあげなくてはと思って、つい看護で補おうとする傾向があります。それが患者や家族の力を逆に引き出せない結果になることもありますね。勉強になりました。(了)

§  §  §

対談をおえて

瀧井 対談という初めての経験で、お相手が尊敬していた秋山さんということ、ワクワクと緊張でいっぱいでした。秋山さんのさまざまな新しい取り組みや発想に人々が魅了されていくのは、その人間力や長い時間をかけて培った地域のコミュニティ、特に人や看護への思い・根幹がブレていないところにあるのだなと感動しました。自分のステーションでも地域のニーズに応えさまざまな取り組みを展開していきたいと考えています。今回の秋山さんのお話が大変貴重なお土産となりました。

秋山 中堅・リーダーとしてのはたらきをエネルギッシュにやり、認定看護師にもチャレンジしている瀧井さんとお話しすることで、初めはそれほど訪問看護に興味があったわけではない人が、のめりこんでいくそのプロセスがみえた思いでした。そのなかで、目の前に託された患者さんに大きな褥瘡があって、ひどくなったまま亡くなっていったその体験が、これでは何のために看護師をやっているのかというナース魂に火をつけることになったと聞いて、看護の原点に立ち返る瞬間をみせてもらえた思いです。最後に、「何でもしてあげる」看護からの脱却に目覚めていかれたので、また一つ大きくなった瀧井ナースにしばらく経って会ってみたいと思います。

―――――――――――――――――――――――

DSC01137 - コピー

【ゲストプロフィール】
病棟に6年勤めたのちに、14年前に訪問看護ステーションへ入職。在宅ではほとんどの利用者に皮膚や排泄の問題が生じていたが、当時まわりにスキンケアに詳しい人はおらず、ケアがうまくできないことにジレンマがあった。5年前に自ら皮膚・排泄ケア認定看護師を取得、昨年度1回目の更新審査に合格した。昨年度は大学院(在宅看護CNSコース)を卒業、看護学修士を取得した。現在はステーションの副所長として、管理・運営も学びながら、地域の訪問看護の質の向上を目指し、日々奮闘中。

画像3

【ホストプロフィール】
 2016年10月 maggie’s tokyo をオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

―――――――――――――――――――――――

※本記事は、
『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』2016年8月号
「特集:地域という“個性”と在宅医療」

内の連載記事を再掲したものです。

画像4

『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。

#在宅医療 #訪問看護 #地域医療 #訪問看護師 #対談 #出版社



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?