見出し画像

【第11回】なぐさめられました

執筆:角田 ますみ(すみた ますみ)
   杏林大学保健学部准教授、 専門:生命倫理学、看護師

――――――――――――――――――――――――――――

 空気が澄んで秋の気配が満ちてきた頃、私は医療倫理の勉強会に参加していた。初日に、仕事が立て込んでいてしまい、会場にたどり着いた時には、すでに講義が始まっていた。もったいないことをしたなぁと溜息ついて前を見ると、どこかで見覚えのある背中が目に入った。
 ブリーチしすぎて色が薄くなった髪、ふんぞり返ったような座り方。背中全体から、気だるそうな感じが漂っていて、まるで不良が出たくもない授業に仕方なく出席しているような雰囲気をかもしている。
 はて、あの後ろ姿をどこで見かけたんだろう。私が講義そっちのけで記憶の引き出しを探っていると、その人物が後ろを向いた。キツネ先生だった。もちろんキツネというのは本名ではない。私が勝手につけたあだ名である。
 
 キツネ先生は、私が勤めていた病院の研修医だった。研修中にしては、ほとんど金色に近いくらいの茶髪、いつも真っ黒に日焼けして、おまけにあごヒゲなんかも生やしていて、白衣よりもサーフボードが似合いそうな感じだった。そんなラフな外見に加えて、ちょっと身勝手なところがあり、他の医師たちが緊急事態でバタバタと走り回っていても、「俺、今日当番じゃないんで、お先に」と言って、手伝うこともなく帰ってしまうし、カンファレンスでも、自分にとって関心のない話題だと平気で居眠りしていたりするので、実に評判の悪い医者だった。言葉や態度もぶっきらぼうなせいで、ベテランナースとの諍いも絶えなかった。それに反して若手ナースには大人気で,「彼は目がいいのよ、あのつり上がった目がクールで素敵」と騒いでいるのを聞いたことがある。
 そんな彼の評判とは別に、私は、彼のクールなつり目を見るたびに、子供の頃北海道で見たキタキツネを思い出した。だからひそかに彼をキツネ先生と呼んでいた。勤務交代の時、次のリーダーナースにうっかり,「その処置はキツネ先生がやってくれるから」と言って、「キツネ?」と怪訝な顔をされたことがある。
 
 そのキツネ先生が、今、私の目の前に座っている。彼も私の視線を感じたのか、振り返って私の方を見た後、ちょっと首をかしげたまま視線を戻した。たぶん誰だか思いだせなかったのだろう。

 翌日の講義はグループワークだった。指定された席でメンバーを待っていると、後ろから声がかかった。
「よお、久しぶり。アンタもここに来てたのか」
振り返ると、キツネ先生が立っていた。どうやら同じグループらしい。私はキツネ先生が声をかけてきたことに心底驚いた。こちらを覚えているとは思わなかったし、たとえ覚えていたとしても、こういう場で知り合いに会って喜ぶキャラとは思わなかったからだ。目の前のキツネ先生は、相変わらずのつり上がった目と人を皮肉ったような表情で、昔となんら変わらないように見えた。
 でも、どういうわけか、その横柄な態度の奥に、以前は見えなかった柔らかさを感じて、私は不思議な気がした。あのキツネ先生も経験を積んで少しは丸くなったのだろうか。そんなことを思っているうちにグループワークが始まったので、キツネ先生とはそれ以上言葉をかわすこともなかった。
 
 グループワークの事例は急性期患者の倫理的ジレンマだった。だけど、メンバーのほとんどが医者だったせいか、話がだんだん逸れて日頃の臨床での愚痴になってしまい、果ては患者の過剰な期待が医療訴訟の原因になるのだというところに行きついてしまった。患者は医療の不確実性をわかっていない、医者が病気を完全に治してくれるもんだと思い込んでいるから、後遺症が残ったりすると、俺たちを逆恨みするんだよな、といった感じである。
 
 話がズレてきちゃったなと思っていると、それまで黙っていたキツネ先生が口を開いた。
「普通、人って病気はちゃんと治ってほしいって思うに決まってんだろ。不確実だから後遺症が残ったって仕方ないって言われても、その後遺症と生きていかなきゃいけないのは患者さんで、それってすげー大変なことだと思うけど」
それまでロクに発言もしなかったキツネ先生が、そんなことを言ったから、それまで患者への愚痴で盛り上がっていた他のメンバーは出鼻をくじかれたような感じとなり、グループに気まずい空気が流れた。
 
 私は、その気まずい空気とは別に、キツネ先生の発言に驚いていた。さっきの言葉ほど、彼に似あわないものはない。これが私の知っているキツネ先生だろうか。あの身勝手で冷たいと評判だったはずの彼が?
 そんな私の驚きをよそに、キツネ先生は気まずい空気なんかどこ吹く風といった様子だ。それでもメンバーの誰かが「まあ、そうだよなぁ」と言いだしたのをきっかけに、気まずくなった空気もほぐれていき、話題も元のテーマに戻っていった。休憩時間に、私は思わず「先生も変ったねぇ」と言ったら、キツネ先生は「別に変ってねえよ」とかったるそうに返してきた。でも、私はその表情のかげに、最初に感じた柔らかい何かを見たような気がした。そして、何がキツネ先生をそんなふうにしたのだろうと思った。
 
 勉強会の最終日、キツネ先生と帰り道が一緒になり、せっかく再会したんだから夕飯でも食べていこうという話になった。そんなことでさえ、以前のキツネ先生からは信じられないことだった。
 案の定、こちらに気を使って会話をつなげようという気がないキツネ先生と、会話が続かなくても一向に気にしない私とでは、大した話にもならなかった。それでもぽつりぽつりといろいろな話をしてくれた。キツネ先生が意外と話せるヤツだったことを、私はそのとき初めて知った。
 
 キツネ先生が長いこと休職していたのを知ったのは、そんな話のなかだった。しばらくの間、海外を旅していたらしい。てっきり有名な医療施設でもまわっていたのかと思ったら、ヨーロッパの修道院を訪ねていたという。
 どうしてそんな旅をしていたのかと聞くと、キツネ先生は「別にたいしたことじゃないけど」と言って、その理由を話してくれた。
 
 俺がまだ学生だった頃、必修講義に哲学が入ってた。今もそうだけど、俺は自分のやりたいこと以外にはとことん無関心だったから、一般教養の講義にはほとんど出席しなかった。
 それでもたまには出ないと困るから、単位がもらえるギリギリの回数だけ出て、講義中はほとんど居眠りを決め込んでいた。哲学の教授も、学生に語りかけるというよりは、自分と対話しているんじゃないかっていうくらい、のんびりした低い声でボソボソ呟いているから、誰も聞いちゃいない。そのうち俺は居眠りにも飽きて、仕方ないから配布された出席カードの裏に漫画を描くようになった。意外とそれに興をそそられて、俺は自分の日常から教授の似顔絵までいろいろと描いた。そしてそれを平気で提出した。提出っていっても、同じ講義をとっている知り合いにカードを頼んで、俺は途中で授業を抜け出していたけど。
 
 そんなある日、たまたま頼める友人がいなかったから、俺は仕方なく講義の最後まで残って自分でカードを出しにいったんだ。そうしたら、その教授が驚いて帰りかけた俺の腕をつかんで言ったんだ。「あなたがあの漫画の人ですか」って。
てっきり怒られるのかと思ったら、その教授は笑顔で言うんだ。「ずっとあなたに会いたいと思っていました。よかった、やっと会えました」って。
 俺はどういうことかさっぱりわからなくて返事ができなかった。でも、教授はそんなことはお構いなしで、俺の手をひっぱって自分の研究室に連れて行った。
 よくわからないまま連れてこられた研究室は、あまり物がなくてとても質素に見えた。書物があちこちに積み上がっていたり、書類が散らかっていたりする研究室を想像していた俺は意外な感じがした。その簡素な部屋の隅にあった机から、教授はクリップでとめた数枚の紙切れを持ってきた。俺の出席カードだった。それを手に、教授が嬉しそうに言ったんだ。
 
 「あなたが出席カードに描いた漫画なんですが」
 「あ、はい…」
 「これに、私、とてもなぐさめられました」
 
 俺は驚いて、言葉もなかった。あの暇つぶしに描いた漫画になぐさめられたというのか?あれのどこに? 本当に変わってるぜ、この爺さん教授。
 そんなことを考えていて、俺はロクな返事もせずに研究室を後にしたんだと思う。帰る時、教授が自分の本をくれたんだ。もちろん俺は読みもしなかった。哲学の本なんかくれるくらいなら、超音波読解とか実際に役立つ本をくれれば、本代が浮くのにとさえ思ったよ。
 
 その後、俺はそんなことをさっぱり忘れていて、相変わらず関心のない講義はさぼりまくって、専門科目とか実習とかだけ熱心にやって卒業を迎えた。
 卒業式の日、俺はそんな感傷的な気分に浸るような人間じゃないから、賞状だけもらって会場を出ようとした。そしたら、俺を呼ぶ声がしたんだ。あの教授だった。教授は駆け寄ってくると、嬉しそうに笑って「おめでとう」と言った。俺がボソボソとお礼を言ったら、急に俺を抱きしめて言ったんだ。「あなたの人生が良きものになりますように」って。まさかそんなことされるとは思わなかったから、俺は驚いて、またロクなことも言えずに教授と別れた。
 
 それから数年間、その教授のことを忘れていた。俺は着実に外科医としての経験を積んで、手術件数も増えて、何でもできるような気分でいた。
 そんなある日、俺は新聞で教授が亡くなったことを知った。教授と話したのはたったの2回だけで、卒業してからは顔も見ていないし、ろくに思い出しもしなかった。だけど、俺はその時何かを失ったような気がした。
 ふと思い立って、俺は教授がくれた哲学の本を読んでみようと思った。荷物の奥にしまい込んで存在すら忘れてかけていたその本を手にしてみたら、なぜか惹きこまれた。今まで興味すら持ったことがない分野なのに、すごく面白かった。だから、それ以外にも教授が書いた本を手当たり次第に探して読んだ。俺は、特に教授が人生の意味を求めてさまよったヨーロッパの話に心ひかれた。
 
 そんな時、ちょうど俺は大学の医局がらみの人事に巻き込まれて、遠い病院に出向させられた。ちょっとした左遷だ。そういった人間関係が煩わしくて、あまり関わらないようにしていた俺がそんなことに巻き込まれるなんて、すごく皮肉な気分だった。しかも手術件数が少ない病院で、俺は完全に干されたような状態だった。
 だから、俺はそれを逆手にとって休むことにしたんだ。その時何をしようかと考えて、俺は教授が若い頃歩いたヨーロッパへ行って、彼の足跡を追いかけてみようと思った。そんなことを思いつくなんて、今までの俺には信じられないことだけど。
 
 本当にいろいろなところを巡ったよ。最後に教授がしばらくの間お世話になったという修道院にいった。そこは古くて規模も小さく、すごく簡素でボロかった。どうしてこんな名もないようなところを教授が選んだのか、俺は不思議だった。本にもそのことは触れていなかった。
 
 でも、その修道院に数日の宿泊を頼んだら、とても快く引き受けてくれたんだ。その時、なにくれとなく面倒をみてくれた若い修道士がいた。アンディという名で、穏やかでいい奴だった。最後の日に、俺のことを修道院から遠く離れたバス停まで送ってくれた。バスを待っている間、俺はなぜかアンディに、どうしてこんな人里離れた修道院に来たのかを話していた。ここは俺の恩師が昔お世話になった場所で、何冊かの本を書いていて、その本がすごく好きなこと、その本に出てきたこの場所にどうしても来てみたかったことを、気がつけば一生懸命になって話していた。
 
 アンディはずっと黙って俺の話を聴いていた。その時、俺は何を熱く語っているんだろうと我に返った。こんな話は彼にまったく関係のないことなのに。
 それなのに、アンディは穏やかに微笑んだまま、俺の話に耳を傾けているんだ。どうしてコイツは、出会って数日しかたっていない、日本から来た得体のしれない俺なんかの話を真剣に聴いてくれるのだろう。なんでそんなに穏やかで優しい目をしていられるのだろう。
 
 俺が急に黙り込むと、アンディは思いがけなく、その笑顔のままで優しく俺を抱きしめた。そして、「あなたとあなたの大事な先生にたくさんの幸福がありますように」と言ったんだ。俺はぐっと胸がつまって息ができなかった。その温かさは、卒業式の時教授が抱きしめてくれたのと同じだった。
そして、アンディの背中越しにバスの姿が見えた時、俺は気づいたんだ。 
 
 教授の「なぐさめられました」という言葉に、俺の方が、折に触れて、何度もなぐさめられてきたことに。
 
 キツネ先生は、そういって笑った。その笑顔は、相変わらず皮肉ったような感じだったけれど、あのつり上った目の奥にどこか光があった。私はその時、最初に感じたあの柔らかさの意味を垣間見たような気がした。
 
 何がキツネ先生を変えたのかは、わからない。でも、彼は、ずっと心のどこかに教授の「なぐさめられました」という言葉を抱いて、人生を歩いてきた。そのことに私は深く胸を打たれる。
 
 人生は、艱難辛苦とは言いたくないが、決して容易いものではない。飄々と人生を渡り歩いているように見えたキツネ先生にも、きっともどかしい人生の時間が流れたのだろう。たぶん、多くの人々がそういう時間の中をうつむきながら歩いている。
 
 だからこそ、人は、誰かがふと投げかけてくれた、ささやかな言葉の温かさを受け取り、それが温かいものだったと気づくことができるのだろう。
 
 何年も前に投げかけられた言葉が、時間を超えて誰かの心にとどく。
 
 人生には、そんな言葉が必要だと思う。人生で道に迷ったとき、進む方向もわからず途方に暮れる背中を、そっと支えるような言葉が。そして、そんな言葉をしっかりと受け止められるだけの器を持っていたいと、思う。気づかぬうちに降り注ぐ、温かな眼差しに満ちた言葉を受け止められるだけの器を。
 
 キツネ先生が教授から受け取ったのは、そんな言葉だった
 
 またどこかで、と手をひらひらと振って別の方向に去っていくキツネ先生の背中に、私は、彼が大事にしてきた言葉をつぶやいた。
 
 「なぐさめられました」

――――――――――――――――――――――――――――

【著者プロフィール】東京生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。大学附属病院、総合病院などを経て、訪問看護に携わり、多くの人たちの最期を看取る。そのときの経験から「人生の最期はできる限り本人の希望を生かしたい」と思い、生命倫理学(バイオエシックス)の世界へ。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)をはじめとする、人生における意思決定支援を中心にさまざまな倫理的問題をライフワークとしており、「医療における関係性のなかの意思決定」や「終活視点で考えるアドバンス・ケア・プランニング」などの講演や、地域と組んで「きらり人生ノート」などのエンディングノートを監修している。また、医療や介護における倫理教育プログラム開発などの研究を手がけている。福島県立医科大学がんの遺伝外来で遺伝カウンセリングにも携わっている。現在、杏林大学保健学部准教授。主な著書『笑う角田には福が来る~訪問看護で出会った人々のきらめく16の物語~』(へるす出版)等がある。アドバンスケアプランニング(Advanced Care Planning; ACP)に関する書籍を発刊。
『ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング  ACPがみえてくる新しいアプローチと実践例』(へるす出版)が発売となりました

人生の大事な意思決定を支えるアドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning;ACP)の本が出版されました! 本書は「START」で具体的なACPの進め方について解説し、医療・介護分野では初めて「エフェクチュエーション」を取り上げて、とにかくACPの最初の一歩を踏み出せるような内容をめざしました。『ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング;ACPがみえてくる新しいアプローチと実践例』という書名で書店に並んでいます。ぜひ手に取っていただけたらと思います。

#訪問看護 #訪問看護師 #意思決定 #ACP #連載 #出版社


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?