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【第10回】「看取りを、オープンに語り自分事と考えるところから始まり、仲間が増えていきました」

個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)

【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO法人 maggie’s tokyo 共同代表
【ゲスト】大井 裕子 (おおい ゆうこ)
社会福祉法人聖ヨハネ会 桜町病院聖ヨハネホスピス 在宅診療部長

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【対談前の思い・テーマ】
①患者や市民の価値観は人それぞれ。パターン化せず、その人と向き合うことが大事です。

患者や家族の相談・問い掛けに答えるとき、定型的な対応ではその人たちに向き合えません。患者や家族の声に丁寧にかかわることでしか、相手が納得のいく答えにたどり着けないように感じています。
②病院の医療者にも、看取りについて考えるきっかけをもってほしい。
在院日数短縮の昨今、医療職だからといって、人の死・看取りを多く経験している人ばかりではない現状があります。人はいかに死にゆくのか、看取りの教育もこれからの時代には求められると思います。

暮らしの中に医療があり、暮らしの中に看取りがある

秋山 『〈暮らしの中の看取り〉準備講座』(中外医学社)を上梓された大井裕子先生が今回のゲストです。
 私はこれまで、できれば自宅に限らず、生活の延長線上に看取りがあれば、地域や近しい皆もその場に参加できるし、そんな地域ができたらいいなと思って頑張ってきたので、この本に書かれている、皆がある程度看取りについてわかって、どうしたらいいかを皆が考えて準備していくという部分は、とても共感するところでした。

大井 〈暮らしの中の〉というところをそんなふうに深く掘り下げて読んでくださって、秋山さんが目指してこられたものと共通するところがあったのだとしたら、とても光栄です。ありがとうございます。

秋山 広島では有床診療所でも臨床を重ねられて、それまでの大学病院とはまた違った経験をされたのだと思います。そのときは直接在宅にも出てらしたんですか。

大井 町のお医者さんとして地域に4年間。数は少ないですが、在宅にも伺っていました。

秋山 現在は病院におけるホスピスというか、緩和ケアに携わっているとのことですが、広島での診療のご経験などからすると、この〈暮らしの中の〉というか、その人が生活するなかでの延長線上というのはかなり意識をされながら、日々患者さんとも接しているのでしょうか。

大井 そうですね。ホスピスは病院というよりも生活の場に近いので、特別意識をしたわけではありません。私が外科医として大学病院や、がんの治療を中心とした医療を経験して、その後地域医療も経験してホスピスに来て気づいたことは、ホスピスでやっていることには、地域でできることがいっぱいあるということです。ですからホスピスでやっていることを、このままホスピスに来る人たちのためだけに提供していくのは、もったいないと感じたのです。地域に還元できることがいっぱいあると思って。
 一般の人たちは、看取りや、人が亡くなっていくことに関してあまりにも知らないし、病院任せということが多いと感じたので、これは一般市民を巻き込んで勉強していく場があったほうがいいなと思い、この講座を始めました。

秋山 廿日市で始めたのは何か理由が?

大井 そこに仲間がいたからなんですね。最初は東日本大震災後の支援活動として始めた「お医者さんのお茶っこ」Ⓡという、緩和ケアに携わる医師のチームのお話をしに廿日市に行ったのがご縁で、私を含む4人の仲間たちがつながりました。その4人で話をしたら、一般の人は看取りについて考えてはいないし、自分がそういうときを迎えるなんてことは、考えたこともない。「2025年問題」といっても「何、それ?」といった感じでした。でもそれが一般の人の現状なんだなと思って、まずは4人で勉強会を始めたのです。その後、この4人でやっていることを、地域の人を交えて講座という形でスタートしました。

秋山 地域の人の感覚を大切にしながら、共に〈暮らしの中の看取り〉を考えてこられたことがとてもよくわかる本なので、実は病院のなかの医療者にも読んでほしいと思う内容ですね。

大井 そうなんですよ。私が書いていることは全部ホスピスでの経験なのですが、これは在宅でそのままできる内容でもあって。だからこそ、病院で看取りに慣れてない人たちが「どうしよう」と思ったときに、読んでほしい本なんですよね。

秋山 病院などの施設における限られた環境での会話と、外の世界というか、生活の場でのやりとりとの違いみたいなものはありますね。私も、一番最初は施設内・病院内での看護から始まったけれども、在宅に出てきて長く仕事をしたうえで、今は相談事業をしています。その人が話してくれる事柄の背景には、生活からくる何かが含まれているなということを、今感じているところです。

大井 桜町病院のホスピスというのは、そこで生活している人をみているような感じなんですね。亡くなるまでずっとそこにいる人がほとんどなので、「痛い」という反応1つとっても、「生活のなかでのこういうときが痛いよね」とみることができる環境です。もちろん自宅とは違うでしょうけれども、生活の部分までかなり一緒にみているのが、当ホスピスのよいところかなと私は思っています。

秋山 診療報酬上で日数が制限されたりすることもありますが、そうはしていないところが桜町病院のホスピスの特徴なのですね。

大井 そうですね。95%くらいは亡くなるまで入院しているので、平均在院日数も長いし、在宅復帰率はかなり低いです。半年くらい状態の変わらない人や、がんでも症状には困っておらず、認知症のケアが必要で入院する人もなかにはいるので、施設に移ってもらうことはありますが、そうでなければ基本的に最期まで診る。時代の流れには逆行していますから、この先はいろいろ考えざるを得ないと思いますけどね。

地域・市民が“育つ”過程、まさに地域包括ケア!

秋山 病院という仕組みを越えて、「もう少し生活の場に必要な医療が届けば…」という考え方もあると思っています。私は、地域のなかにいろいろなスタイルの取り組みや、医療とつながるたくさんの選択肢があって、〈暮らしの中〉で看取れる状態が、多様な視点から増えてくれたらいいなと考えているのですが、大井先生はいかがですか。

大井 私はホームホスピスみたいな場所があったらいいと思っています。「暮らしの中の看取り準備講座」では毎回グループワークをするのですけど、そこでは「廿日市にこんなのがあったらいいな」というアイデアを、皆で出し合って発表してもらっています。
 以前のグループワークでは、廃校になった小学校に「看取りができるスペース」や、皆が集まって相談したり、お茶を飲んだりできる「サロン」をつくれたらいいねという話が出たことがありました。これは、今は夢のような話ですけど、私はあのメンバーだったらできるのではないかと思っていて、それがきっと、ホームホスピスのようなイメージなのかな。在宅の位置づけでいいのですが、看護師がいて、医師がいて、一緒にサポートする地域の人たちがいる、ちょっと医療が提供できる場。最期まで家でといくら望んでもできない場合もありますから、そういう場が必要なときがあると思うのです。

秋山 ホームホスピスは、市原美穂さん(ホームホスピス宮崎)が宮崎で始めた取り組みですが、呼べばすぐに医療者が来るという態勢のなかで、夜間に泊まっているのはほとんどの場合、よく熟練したヘルパーさんたちですね。

大井 看取りまで含めた支え方ができる介護職の人たちやボランティアを、これからは育てていかなければならないので、私たちの勉強会ってそこに近いのかなと思っています。看取りについて「わかる」「サポートできる」地域の人が増えるということが、地域での看取りにつながるでしょうから。

秋山 ヘルパーも、私たち訪問看護もなんですけど、具合の悪い人を訪問し、一定の時間ケアを提供して「じゃ、また来るね」と帰ってくるときに、後ろ髪をひかれる思いで出てくるのです。でもそのときに、少し後には次の誰かが来てくれる、つまり多職種で支え合えるチームが組めるなら、一人暮らしでも最期まで支えられる地域になっていきます。牛込・四谷地域のあたりは20年という、それなりの時間をかけながら仲間を増やし、訪問看護の事業所同士や巡回型の介護、デイサービスとも組みながら、いざというときには医師がすぐに連絡がつく状態でいてくれれば、一人暮らしでも看取りができるよねといえる地域になりました。それを続けていると、地域の住民からも、「ここらへんは、ちょっと頑張れば家で親を看取れるよね」と言ってもらえるようになって、やってきたことが少し地域に根付き始めたのかなと、ちょっとうれしく思うのです。
 そう言ってくれた人が今、お母さんを見送った後に「坂町ミモザの家」(看護小規模多機能)のボランティアとして週1回来てくれています。その人たちが、声高ではなく「こういうふうにして、こんな人に手伝ってもらったら、自宅で看取れました」という話を地域でしてくれる。それこそが、地域が育っていく過程かなと。

大井 4年目の廿日市では、市民が「育っていく」というか、皆の意識が変わっていくのがとてもよくみえるんです。市民と専門職がフラットに「こんなことができたらいい」と意見を自由に出し合える雰囲気がある。その関係性ができただけでもすごいことだし、何かあってちょっと相談すると、ワッとアドバイスが出てくる。そういう仲間ができていて、これが地域が成熟してくるプロセスなんだと興味深くみつめています。

秋山 絵に描いた餅じゃなくて、まさに地域包括ケアが実際に地域で動き始めたという手応えで、とてもいいですね。

大井 そうなんです。最初は、医師の参加者はいなかったんですけど、関心をもつ医師が少しずつ入ってくれるようになって、地域の複数の病院がつながって、地域の病院がバックアップしてくれる形になって、よい関係になりつつあります。

秋山 廿日市で、市民とのフラットな関係性を築けてきたのはどうしてだとお考えですか。

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「あなたにできることがある」とのメッセージを市民には伝えて、医療職に一歩引くことなく自信をもって参加してもらっています

大井 必ず一般の人にも役割をもってもらえるように仕かけてきたことでしょうか。
 「暮らしの中の看取り準備講座」では、グループワークの際に、市民と専門職が必ず混ざるようにグループを組み、皆が意見を言えるようにしています。一般の人が参加したときに、「自分にはできない」と思わせないように、「あなたにできることがある」とのメッセージを伝えるように工夫しています。「その人たちだからこそできる」という役割をもってもらって、参加してもらうことで、その人たちのよさがすごく出てきますから。「私なんか何もできないから」といつも言う、介護をずっとしてきた女性がいるんですけど、「私なんてごみ出ししかできない」と言いつつすごく素敵な役割を果たしてくれるし、意見も言ってくれる。「自分にもできる」と思ってもらうことが大事だと思っています。
 あとは、医療職が前面に出すぎると一般の人はどうしても一歩引いてしまうので、ファシリテーターの役割もすごく重要ですね。

秋山 そうすると、ファシリテートするのも医療職ではなく一般の人に。

大井 そうですね。一般の人で、当初はまちづくりの経験のある建築士にお願いしました。医療職だけで考えることと、市民が入って考えることはぜんぜん違う。市民は発想にすごく柔軟性があって、専門職とは違う視点なので楽しいです。ただ、「暮らしの中の看取り準備講座」には、地域にいくつかある病院からも参加してもらえているのですが、その病院から地域に向けて何かしようとしたときに、そこに医師がいないと動かないなと感じています。
 だから、医師を仲間に引っ張りこめると、そこの病院が動き、地域が動きやすくなることを実感していますし、そういう現実もあるんだなと思っています。

制度や仕組みに縛られず、正直に患者に向き合いたい

大井 ホスピスでの患者とのかかわりの場面を振り返ると、患者・家族からの問いかけに対する解って、最初からあるものではなくて、毎回課題を与えられて、そこに丁寧にかかわっていくことで答えが導き出されていると思うんです。毎回、「そうか、この場面でこう考えるのか」ということの繰り返しだったり。「この前の人と同じだ」ということはそんなになくて、一人ひとり背景が違って答えが違うんだけど、でも答えを考えることを通して「じゃあ、自分だったらどうしたい?」と毎回考えさせられる。そこからの学びが自分にもあって、その積み重ねが大切な気がしています。きっと秋山さんも同じではないかと思うのですけれど。

秋山 同じですね。だから、パターン化するというわけにはいきませんよね。もちろん、多少なりとも共通項はあるんだけれども、でもその人に向かい合っているときは、その人のために自分も考えて言葉を返していますから。

大井 だから、「その人がどう思っているかというところを忘れないでね」というのが、私からの一番のメッセージなんです。書物としてまとめてしまうと、「ああ、こうすればいいんだな」と思われがちだけど、「そんなふうに読まないでね」ということを最後に書いたつもりです。どうしてもパターン化しちゃいますからね、医療って。

秋山 病院の看護師側も、もちろんいろいろ思い悩みながら患者と向き合っています。ただ、今は「パスに乗せられるか」「DPC の期間を守れるか」といったパターン化に汲々としている。パスにはまらなかったらはまらないで悩んで、なぜはまらないのか、パターンからはみ出るものは何なのかと考えられればよいのだけれど、考えている余裕がないまま次から次に患者は来てしまう。結局、パスやDPC に当てはめないと業務をこなせないので、それ以外のさまざまな〈暮らしの中〉の“彩り”みたいな豊かさが、全部そぎ落とされていくのだと思います。
 そのなかで、「もう治療がありません」「緩和ですね」と告げられ、パスやDPC から“はずれて”しまった人に出会ったときに、「どうしよう」と戸惑ってしまう状況が現場では生じています。治療というレールに乗っている間は何も気にせず誰もが安心していられるんだけれど、そうじゃなくなったときから、患者も医療者も皆がパニックになってしまう状況。でも、一番困っているのは当の本人なのだから、その人に向き合ってかかわることが大切で、緩和とはいえすぐに亡くなってしまうわけではないその人が、これからも続けていく毎日の〈暮らしの中〉でどう工夫していくのかを、一緒に考えてくれる誰かが必要なはずなんですけどね。

大井 レールからはずれたときだけじゃなくて、実はそのレールに乗っているときも、患者には言いたいことがいっぱいあるのに、それが言えていない現状がありますね。そこで疑問を感じている看護師もいっぱいいるけど、日々に忙殺されてしまって、考えている余裕がない。今の課題はそこなんですよね。でも病院ってそういうものなのかもしれない。

秋山 だから、マギーズ東京のような場にたくさんの人が来るという状況が生まれているし、ここに参加してくれて、いつも病院で行っている相談支援とは違う対応をすることに対して、最初は戸惑っていた看護師たちが、だんだんマギーズのような場での対応の仕方にはまり、それに自分を投じることに意義を感じて、自分自身や本来の看護観を取り戻せて、支える側もホッとできている。

大井 私のなかでは、ホスピスもそれと同じ感覚なのです。つまり、相手がぶつけてくることに正直に向き合える。「何日で退院させなければ」といった、余計なことを考えずに正直に向き合えるのが、こういう支援の場であり、ホスピスであると思うんです。
 外科医のときは知識も経験も足りなかったし、これでいいのかとすごく苦しかったりした部分がありました。今はそういうことはなくかかわれていて、これこそが本来あるべき姿だと思っています。だけど、病院のなかでは仕方がないんですかね…。制度の縛りがあるにせよ、仕方がないと言ってしまいたくないんですけど…。

秋山 そうした考え・思いを、医療職に伝えていったりできるような場もあるといいですね。

大井 医療の目的は早期発見していかに治すか、治らない人は延命して、といったところにありますから、治療はできないとなった人たちにどうかかわっていくかという教育は、今までされていないですよね。医師のなかにも、どうかかわっていいかわからず困っている人がいっぱいいるはずなんですよ。
 私たちが医師になったころは、外科医として自分が受け持った患者は死ぬまで自分たちのところで診られていました。大学でも最期まで診ていた。ところが今は入院期間を短くということで、治療が終わったら退院・転院になるので、人の死を見たことのない医師がいっぱいいるんです。医師向けの研修会に行って、「人の死を見たことがない人」と尋ねたら手が挙がるんですよね。彼らがいざ看取りの現場に行ったときに、困ることはいっぱいあるはず。だから大学でも、そういうことに少しでも触れておくことが大事かなと思って、母校(広島大学)の学長に「看取りの教育が必要でしょう」と言ったら、「やればいいじゃない」って講義をさせてもらえることになったんです。
 そうした教育ができるようになったことは大きくて、これまでの活動の1つの成果だと思っています。まず1年に1回からですが、貴重な場がいただけたので、ちゃんと伝えていきたいですね。

秋山 ご家庭でもそんな話をされますか?

大井 実は娘は看護大学の4年生で、今就職活動の真っ最中です。しかも夫は介護の現場にいるので、そういった会話もよくします。

秋山 娘さんの進路は、やはり母親である大井先生の影響が大きいのかしらね。

大井 広島で診療所に4年間勤務していたときは、娘と2人暮らしだったのです。有床診療所は医師は同一敷地内に居住していなければならず、夫はちょっと離れて暮らしていたので。当時娘が4歳で、私は夜中も呼ばれていくので、そのたびに連れて行ってたんですよ。ちょっとの距離なんだけど、家に1人で置いておくわけにはいかないから、夜中に呼ばれたら全部連れて行っていた。
 だから娘は、私が夜、救急車で来た患者に対応するのを全部そばで見ていたんですね。「あっちにいなさい」といっても出てきて見ていて。必然的にか、娘の子どものころのごっこ遊びは、「はい、チクっとしますよ」と言って、注射する真似をしたりしていました。娘が4~8歳までそういう生活で、彼女はずっと私の仕事をそばで見ていた。地域で唯一の入院ベッドがある病院の医師だから、買い物に行ったら、「あら、先生」みたいな会話じゃないですか。娘がいる保育園で注射をし、小学校に上がれば学校の内科健診をしてという環境で育ってきたので、ずっとその医師の仕事を間近に見ていた。だから、彼女のなかで医療の現場というのは、小さいころからしっかりとイメージができていたんですよ。私もけっこう、職場での話は娘にしてきていましたし。さらには夫は、認知症の人ばかりくるデイサービスを一軒家を改修してやっているので、わが家の食卓には医師・看護師・介護職が揃う。食卓の会話が常に多職種カンファレンスです(笑)。(了)

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対談をおえて

大井 秋山さんとの対談にお誘いいただき、とてもワクワクドキドキして伺いました。期せずして『〈暮らしの中の看取り〉準備講座』に込めた思いに共感していただいたことがきっかけだったとは感激でした。5年後、10年後に何かが変わっているといいなという思いで始めた講座ですが、秋山さんが20年という時間をかけて仲間を増やしてこられて、一人暮らしでも看取りができるよねと言える地域になったお話を聞くことができ、あらためて「はつかいち暮らしと看取りのサポーター」と共に地域で活動をしていく勇気をいただきました。

秋山 大井先生とじっくりお話しするなかで、自分の生活、ことに子育て中の子どもとの向き合い方も考えた仕事の選び方や、その後の実践活動とのつながりを興味深く知ることができましたし、女性医師としてのキャリアの積み方も参考になると思いました。外科系出身の医師として緩和に進まれたことは、これまでの諸先輩方の軌跡(山崎章郎先生が外科医からの転身)から明らかだったように、自然な形であり、その経験が今に生きているのだと納得です。
 地域活動を活発にするためにファシリテートしていく方法もとても参考になります。広島と東京を行き来しながら、ますますご活躍されることを祈ります。

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【ゲストプロフィール】
出身は広島県。外科医として大学病院やがん治療施設での経験を重ねたのち、子ども(娘)と一緒にいる時間を大切にしたいと片田舎の有床診療所勤務を志願。日勤帯の業務で子育ても重視しつつ、地域に密着した診療所の医師として地域にも馴染み支える。その後、現職である桜町病院ホスピスに勤めたいと上京を決意。折よくホスピスへの配属となり、外科医としてではわからなかった医療のあり方を学ぶ。広島は離れたものの、廿日市市で「暮らしの中の看取り準備講座」を開催、現在も市民と共に学ぶ。間もなく40回目を迎える大切な場である。

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【ホストプロフィール】
 2016年10月 maggie’s tokyo をオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

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※本記事は、
『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』2018年10月号
「特集:明日からちょっとラクになる;在宅医療のコツ伝授します」

内の連載記事を再掲したものです。

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『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。

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