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【第19回】「『その人らしく』暮らすをガムシャラに支えてきました。その思いごと、次の世代に託したいです」

個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)

【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO法人 maggie’s tokyo 共同代表
【ゲスト】弓削田 るみ子(ゆげた るみこ)
特定非営利活動法人たんがく、訪問看護ステーションたんがく管理者

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【対談前の思い・テーマ】
①「その人らしく」生活するのを支えるって、どうすればいいんだろう。
たった何文字かの言葉ですが、「その人らしく」ってどう支えるんだろうと最初は悩みました。ここに住まわせるだけ、囲い込むだけではなく、社会ともつながっていられるように利用者を支えたいと思っています。
②次の世代へのバトンタッチを。
看護も介護も、みんなとても前向きで真面目。そしてよいところをみんなもっています。そこを出してもらいつつ、これまで地域で展開してきた事業を幹に、ブレることなく継続してもらえるようにバトンタッチしていきたい今日この頃です。

在宅系サービスが地域に展開することの意義

弓削田 特定非営利活動法人たんがくのスタートは、2011(平成23)年のホームホスピス「たんがくの家」から始まります。その後、2013(平成25)年には複合型サービス「上村座」(かんむらざ/看護小規模多機能型居宅介護:以下、看多機)、2015年(平成27年)に「たんがくの家 お隣」、2016(平成28)年に「たんがくの家 本家」を続けて開設してきました。

秋山 訪問するたびに、ずんずん広がっている(笑)。たんがくはすごいといつも思います。

弓削田 理事長(樋口千惠子さん)のもっているご縁と発信力が大きいですが、もうひとつの理由は何といっても地主さんのご理解と「美婆会」(ビーバーカイ)の存在が大きいです。
 美婆会は20年ほど前から、この地にもともとあった「美しい婆になろう」という会です。今私たちが事務所を借りている一角に交流室があって、そこを活動の場(上村座)にしておられました。「上村座」では地域で一体となってサロンや教室をされていたことに敬意を込めて、その名前をお借りして、看多機に名づけさせてもらっています。美婆会の広報部長が地主さんでもあり、皆さんがたんがくを理解してくださり、信頼をもって、いいことも言いにくいことも言ってくれています。

秋山 地域にあったものを生かして、耕している感じですね。

弓削田 たんがくの開所時、地域には「すぐにでも入りたい」と困っている人が何人もいる状況でしたので、部屋はすぐに満室になりました。でも、そのころから樋口とは「これじゃダメよね。ここに囲い込んで、寝ておきなさい、ここで生活してくださいというのは、私たちの満足だけよね」と話していました。スタートの時点から、デイサービスに出したり、社会参加をしてもらうためにはどうしたらいいか、考えてはいましたね。ですから、看多機である「上村座」を始めるのは当然のことでもありました。

秋山 今は、看多機の制度と実際にズレがある。国が看多機に期待することと、実際に運営する人・利用する人の望む中身にズレがあるといえるかもしれません。過渡期ということもあり、これから制度的にもう少し整っていくべき面もあるのではないかと感じています。

弓削田 前例や歴史がないですから、行政に尋ねても「わからない」との答えになってしまいますね。

秋山 誰もやったことがない取り組みですから。
 先日、「病院で胃瘻を勧められた」と暮らしの保健室に相談に来た人で、結局、看多機のショートステイを利用したうえで、もともと居た特別養護老人ホーム(特養)には戻らずに在宅復帰できた人がいました。医療的な部分に重きをおかれた看護ということで、胃瘻の人の場合は看多機で受けますね。でも、胃瘻造設を断った人を、口から食べられるようにするために連れてきて、特養に戻らずに在宅を継続してもらうのも、地域に果たす重要な役割ではあると思います。
 特養に入った人だって戻って来れる。在宅を望んでいても、やむなく施設に入っている人もいるかもしれません。そこをすぐに看多機に、というわけにはなかなかいきませんが、そういう人に対しても少しショートステイを利用して、通所系のサービスを利用しながら、自宅に帰れる道を探る。あくまでも在宅を支える地域のなかのサービスとして、看多機の意義は確かにあるんです。

弓削田 そうですね。

秋山 でも利用を希望する人が、近所の要介護1や認知症の人などで、利用するサービスとして看多機が最適なのか、悩むところではあります。ただ、利用者側にすれば、どこにも行きようがなく、毎日でも通えるからというので利用する。運営する側としては、介護度が低いので採算が合わないことになってしまう。

弓削田 同感です。私は要介護度を毎月計算していますが、だいたい3.8くらい。介護度5の人がいるからやっていけますが、医療がつかないと赤字です。だからといって、「受けない」ということではないんです。介護度1の人がいれば、がん末期の人もいるので、もちろん受けないわけではないんですが、経営としてはちょっと苦しい面も出てくるというところですね。

秋山 医療的な看護も提供できる暮らしの場である看多機の意義を考える必要はありますね。
 胃瘻をしないで在宅に連れて帰りたいというときに、吸引や嚥下の訓練の必要性、飲んでいる薬の中身を見直すこと、それは医師の仕事ですが、医師に「精神科に最初に入院した時点の向精神薬が処方されたままです。これではボーッとしているだけだから、いったん休薬して観察してみましょう」という提案は、介護からはできないわけです。そこは看護なんですよ。

弓削田 そうですね。

秋山 ただ、看護が全部行うようだったら病院と一緒で、それは違うわけです。日ごろの生活を支える介護の人と、協働しなければならないと思います。そういう医療的な視点での提案と、介護の人は医療的ケアがあっても怖がらずに、固まった体を少しほぐしながら、リラックスしてその人の興味が湧くこと・関心のあること、どこにヒットするかを見極めながら、ケアを継続していく。例えば、実はこの人はもともと子どもの写真を撮っていた人だからという場合、子どもの笑顔の写真とか、子どもの通る場面などはシャキッとして見ているわけです。
 だから、表出はしにくい状態だけれども、ただ寝ている人ではないその人らしさを、どうやって引き出せるか。医療的ケアのための工夫のところを看護が担ったうえで、アクティビティというか、動作のところは介護の人の視点で行っていける協働が求められています。

弓削田 看護師だけが地域でこういう場を担うんじゃなくて、生活をみる介護士が中心だと、私はたんがくで思っています。だから介護士の教育は大切にしたい。薬の名前や作用のひとつも覚えなさいとよく言っています。介護の世界も、いろいろな人がいるんです。しっかり研修を受けた人もいれば、ちょっと働いていただけという人もいます。だから多職種と連携する看多機などの施設で、介護職の教育がより重要だと思うんですね。
 利用者は一人ひとり違うわけですから、排泄介助とか移動のこととか、事細かく教えることを心がけています。在籍の理学療法士(PT)にプログラムを組んでもらったりして学んでもらうことで、自分のやりがいも出てくると思います。そうしたことを大事に仕事をしていくことで、専門職として誇れるようになってほしいと思っています。
 こういう施設がたくさん出てくるなかで、生活重視の視点は欠かせないと感じています。緩和ケアで、「こんなことをしました」という発表はたくさんあります。でも、私はいつも樋口と話しているんですけれども、「死んでいく人のお手伝いではないよね」「生きる方のためのお手伝いなんだ」と思っています。そこをブレずに、私たちは取り組みたい。それを、私と樋口だけが考えるのではなく、皆を巻き込んでやっていきたいと考えているところです。

支え合いの時間;専門職が24時間ずっといなくても構わない

秋山 看多機は、看護師の研修施設としても、とても適した場であると思います。看多機の利用者が家にいるときは、こちらから訪問するわけです。だから、看護師も在宅がわかった人が担うほうがいい。在宅での看護に対するトレーニングもしつつ、看多機という場では、先輩や他職種といったほかの人の目があるところで研修ができるので、研修施設としてはすごくいい面があると感じています。

弓削田 そうですよね。

秋山 その一方で、介護の人が力をつけて、介護の人がしっかりみられる状態にしていきたいと思っているんです。看護が来ちゃうと、介護は「お任せ」になってしまう面があるんですね。

弓削田 そうなりますね。

秋山 そこを、看護と介護で一緒にやりながら、それぞれの教育・成長をどうしていくか、そこが悩みのタネです。
 今は、日中訪問に出られるように、通所してきた人の話し相手とか見守りを、ボランティアさんに入ってもらうようにしています。毎日1人ずつでもいいから数時間はいてもらえると、訪問に出られるんです。

弓削田 そうですね。

秋山 それでも、まだぜんぜん足りない状況ではありますけどね。そこが、もっと割合が変わっていってくれると…。例えば、お姑さんを見送って、しばらくゆっくりしていた人で、「よくみてもらったから何かお手伝いしたいわ」という人が、今3人来てくれています。その人の友だちも来てもらえていて、週に5日間だけですが、日中を少しお手伝いしてもらえています。全部の責任を負ってもらうのではなく、看護や介護のスタッフが部屋で排泄ケアをしている場面で、リビングにいるほかの利用者さんをみていてもらって、何かあれば「こうです」と知らせてもらえるとすれば、ちょっといいですよね。

「専門職がいない時間があってもいいんです。 見守り合い、支え合いで
生活できる地域を皆さんと作っていきたいです。」

弓削田 そこに専門職がいなくてもいい時間というのは、1日のなかでたくさんありますものね。うちも、大きな車の運転に自信のある人がなかなかいないので、うちで母親を看取った近所の男性に、送迎担当で週に2回来てもらえていて助かっています。それまでは、こういう仕事にあまり興味はなかったんでしょうが、家族の看取りで変わられました。今では「たんがく」になくてはならない人です。

秋山 ボランティアの人が来てくれることで、場の雰囲気が和んだり落ち着きますよね。

弓削田 皆さん男性ですが、紙芝居をしたりとか上手なんです。そういう人を、本当に大事にしていかないと…。片麻痺があって、手の振るえがあっても掃除をしてくれて、とてもいい光景だと感じています。

秋山 そうですよね。その人にとっても、ここへ来てお手伝いができているというのはうれしい話ですよね。

弓削田 そうなんです。それに、誰もが同じようにできなくてもいいと思うんですね。その人その人の役割を果たしていく。ある利用者を援助するのに10ページの本があるとしたら、1ページを誰かが担って、2ページを誰かが担い、それが1つの本になればいいねと、私は常々言ってるんです。1人の人がオールマイティでなくてもいいと思うんですよ。
 そうやって専門職以外の人と一緒になって利用者を支えています。ミモザの家は、利用者数は今どれくらいですか?

秋山 今16人で、「目指せ20」なんです。

弓削田 20でも厳しいですよね。要介護1・2の人が、うちも何人かいるのでよくわかります。

秋山 住宅地の真ん中にあるので、ご自宅ではどうしても落ち着かない認知症の人を、「ミモザの家では上手にみてくれているので通わせたい」という人は、近所にもたくさんいるんです。ただ、「看多機で受けるレベルの人ではないかも…」と感じる介護度の人ですけれども、でも地域のニーズとしては必要とされている(笑)。地域からは期待をされているので、それはありがたいんですけどね…という状態です。

弓削田 来週、入所を希望されているALS の人に会いに行くんですけど、私は、そういう医療依存度の高い人たちを受けていきたいなぁ、と思っています。
 ALS の人の看護や介護を皆でできたら、在宅で生活できるんじゃないかなと思っているんです。ところが、そういうところで、職場内の変化・対応のスピードについていけない人もいます(笑)。でも、そういう人たちも引っ張っていかなければならないので、「あなただけが背負うんじゃないんだからね。ちゃんと皆で頑張ってできるんだから」「わからないところは、どういうところ?」と声をかけるように意識しています。何がわからないのかわかっていない場合もあります。だから、そこをわかるようにして同じテーブルに載せてあげたいと思っています。
 介護の人と仕事をしていて思うことは、能力の差はあるけれども、誰もが一生懸命なんです。ですから、学歴もさまざまですし主婦の人だっていますが、チームとして向かっている方向が一緒なら、「全部が右向け右じゃなくてもいいな」と思っているんです。おかげさまで、介護の人はここに勤めると長いですよ(笑)。

次世代に地域づくりを引き継ぐ

秋山 同い年の私たちにとっては、次の世代をいかに育てバトンタッチしていくかが大きな課題かなと思います。いいことをしても、「あの人がいるからできるんでしょ」と言われてしまわないように、地域に根差した活動が続いていってもらいたいと思います。

弓削田 今までは「自分が、自分が」でよかったんです。でも、自分が辞めたときに、そこがスポッと抜けて、次を担う人がいなかったら、「私は何をやってきたの?」になってしまうので、次世代を育てていこうと、今は一生懸命やっています。
 私の一番の考えは、皆、“ものさし”は違うわけですから、これまでは私の仕事・課題としてやってきたので、これまで築いたいいところをしっかりと伸ばしてもらいつつ、若い世代にはたくさんいい考え方があるので、次の世代の“ものさし”で頑張ってもらいたいと願っています。
 看護師も介護士も、いいものを持っているんですよ。ただ、出せない。そこを私が蓋をしないで、しっかりと伸ばしてあげたいと思いながら、押したり引いたりしています。

秋山 若い世代が育って、その人たちがのびのびと、だけど本質として曲げてもらいたくないものはちゃんと伝えたい、というところですよね。

弓削田 たんがくの軸、大黒柱があるので、その木に栄養を少しずつでもいいからやってもらって、いい枝が伸びていけばいいかなというのは、考えていますね。それが、今の私の仕事かなと思っています。
 それと代表であり、ここのトップである樋口と同じ方向を向いていてもらいたいと思うんです。国でいえば大臣ですから、やっぱりおつきの者がしっかりと支えないといけませんでしょ(笑)。大臣に辞めてもらうわけにいきませんから。

秋山 大風呂敷というとおかしいですけど、夢を語る人がいないと、周りはついてもいけないですからね。それは、すごく大事かなと思いますね。

弓削田 次世代のまだ次、若い人たちにもかかわってもらいたらと思っています。
 近年ですが、久留米大学から、看護学生向けに「たんがく」の話をしてほしいと言ってもらって、毎年講演に行っています。若い学生たちが、在宅に少しでも興味を抱いてくれたらいいと思って話しているんですけど、なかなか若い世代の人たちが来てくれない。都会のほうは、新卒はどうですか。

秋山 社会人入学をした新卒を、去年から採用しています。もともとは福祉用具の仕事をしていた人なので、コミュニケーションの面とか、在宅という領域はしっかり理解してもらえています。もちろん看護の勉強中ではあり、やはりパッと見たときのアセスメントがまだ弱いところがあるので、それを大事に育ててきて、もうすぐ1年、ひとり立ち間近です。
 2人態勢で同行訪問したりして、1人分を2人で行くのでその分は収入が減ってしまう面はあるんだけど、長い目でみて、先行投資として人を育てているイメージです。
 近くの病院と提携して、採血などの研修もしてもらえるようにしています。基本的な看護は、病院より在宅のほうが学べるのでは…と思っています。急性期の病院はとても多忙で、基本的な看護技術自体を学ぶ場ではない状況になってしまっています。さらには安全第一なので、転倒しないように転落しないように、と患者を管理していく。そうすると抑制がかかり、廃用症候群をつくり出し、例えば口腔ケアは軽視されてしまう。
 そうやって「患者」として管理するばかりだと、その人の生活を考える視点が、ガタッと落ちます。急性期の診断・治療の面に集中しているのは、病院の機能分化として当然ですが、そこで基本的なバイタルサインを含めたフィジカルアセスメントや、清潔保持、食事、排泄といった看護の大事なところについて学べるかというと、現在の病院では…。バイタルもモニターが付いている器械で測定していますよね。

弓削田 そうですね。

秋山 だから、自分で測らない。本来は目で見て、「ちょっと息が浅いよね」と気づいて、それで初めて測るわけですよ。今はそうではなくて、最初から器械に頼ってしまう。もちろん、病院がすべて悪いという意味ではないのです。機能分化して、病院に連れて行ったら高齢者がどうなるかが見えている現状ですから、それを理解したうえで、在宅でならケアをちゃんと学びながら、キュア(治療)の部分とちゃんと連続した状態でみることができる。ですから、私は新人の研修に在宅という場は適していると思っています。

弓削田 そうですね。病院は本当に忙しくて…。

秋山 大変だと思いますよ。次から次に、目の前を通り過ぎる患者を無事に送り出すだけという状況だから。なので、在宅が主になって、一時的に病院で預かり、すぐに戻ってくるという地域のほうが、特に高齢者にはいいんじゃないかと考えています。

弓削田 そうですね。いまは、そうなっていませんか。

秋山 なってきてはいるけれど、やはり独り暮らしで、救急車で運ばれてそのまま重度化して、もう地域に帰れないというパターンがありますね。そうじゃなくて、戻って来るのを助けたいと思います。

弓削田 病院のソーシャルワーカーも、「いったんどこかの病院へ転院した後に、たんがくさん」という考え方です。「たんがくは、いろいろなことを受けられますよ」「直接でもかまいませんよ」と伝えると、「あ、じゃあできますか」と言われますが、まずは自宅を選択肢に…と思うんですけどね。「たんがくに入ったから家には帰れない」というのではなくて、たんがくにちょっと寄って、そしてお家に。中間的に利用していただくというのでもいいのかな、と思ってますけどね。

秋山 地域包括ケアシステムの目指すところは、エイジング・イン・プレイス、暮らし慣れたその地域で最期まで住み続けるのを応援するための仕組みをつくることだと考えると、たんがくでやっていることは、まさに地域包括ケアシステムですよね。

弓削田 そうですね。

秋山 そのときに、専門職としてのサービスやかかわりだけじゃなくて、もっと地域の力を引き出して、地域の人たち自身が元気を取り戻し、その人たちがいろいろなケアに参加をするという互助の部分も盛り立てつつ、本当に必要な場合には速やかに、医療や介護を使えるように支える。その仕組みに名づけたものが、地域包括ケアシステムなんです。

弓削田 このあたりでは前からやってきていることなんですよね。

秋山 だから、それは自信をもってほしいと思っています。たんがくは、看護・介護が担う地域包括ケアシステムの一端を、久留米全体ではなくこの地域に限定したなかで、担っているんですよ。
 そして、予防にも目を向けるのが地域包括ケアシステムなので、手が震えてもお掃除ができるボランティアの人の例のように、その人の持っている力を引き出して、参加を支えていくことで、予防的に要介護状態の人を減らしていく。それがもう、自然と成り立っている地域なんですよね。

弓削田 そうやって整理していただけると、地域に向けた「たんがく楽館」(ホームホスピス入居者も地域の一員として参加し、学び、楽しみ、喜び、お互いの存在を確かめ合う場)にもますます力が入ります。この地域で、しっかりと続けていきたいと思います。
(於・特定非営利活動法人たんがく)

(了)

§  §  §

対談をおえて

弓削田 私たちは、たんがくの入居者や家族、地域の人々に支えられながら、共に生き、日常の暮らしの連続が当たり前にある環境を共に築き、一人でも多くの方から「あー、ここなんかホッとするよね」と言ってもらえて、「あんたがおってよかった!」とお互いの存在を認め合い、生きることを相互に励まし合える“たんがくの家”でありたいと考えています。そして、どんなに重篤な疾病があろうと馴染みの地域で、いろいろな人々と生き抜くムーブメントを大切に次世代につないでいきたいと、あらためて心に誓ったしだいです。

秋山 弓削田さんにお会いする前は、理事長の樋口千惠子さんの右腕の看護師さんとしか知らずでしたが、お話しの機会を得て、同年代で、臨床と教育の経験が長いと知り、共感する部分がとても大きかったです。
 また、「介護職の人をしっかり育てたい」「育てることでケアの現場の質が上がる」という理念をもって、介護職の教育も頑張ってこられたことに、先見の明ありと敬服しました。
 ケアの質は環境を整えるところからだと話してくださった弓削田さん。尿臭などのしない室内環境を目指し、温度・湿度を測って調節する意識を常日ごろからもてるように記録をつけることを習慣化していく教えなど、教育にも日々のケアの細やかさが生きていることが、そのお話しからうかがえます。
 理事長の理想を現実化していく右腕の看護師の実践家として、頼もしい限りと感じました。

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【ゲストプロフィール】
訪問看護ステーションたんがくの管理者である弓削田るみ子さんは、特定非営利活動法人たんがく(福岡県久留米市)理事長・樋口千惠子さんの頼みの右腕でもある。病院や在宅での長い看護師経験、介護ヘルパーを研修する事業の経験を経て定年を迎えようとしていたさなか、樋口理事長の一本釣りでたんがくにかかわり始める。これまでの経験が通用しない新しい取り組みにも戸惑うことなく、むしろ意欲をかき立てられ、「わからないからこそ勉強だ」と地域を耕す事業を地域に根差して展開する。

【ホストプロフィール】
 2016年10月 maggie’s tokyo をオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

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本記事は『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』2017年5月号
「特集:非専門医でもわかる心不全の在宅医療のコツ」内の連載記事を再掲したものです。

『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。

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