せかいのいじん「ハンニバル・バルカ」
戦象が不愉快そうに頭を振ると、積もった雪がばらばらと音を立てて振り落とされていく。
ローヌ川を進発した際に30頭だったのが今はもう5頭にも届きやしない。
ハスドルバルの野郎はきちんとヒスパニアを治めているのだろうか。
9月のアルプスは既に冬季といってもよく、冷気は敵の槍よりも鋭く肌に突き刺さり、深い雪は行軍の速度を鈍らせる。
困難な行軍になるであろうことは承知の上だった。
制海権はローマに持っていかれた。
進行ルートである半島の南部も西部もやつらの兵で超満員だ。
―――それならば北から奇襲をかければよい。
当時の俺が目の前に現れたら全力でその顎を殴りつけてやれるのに。
寒さ。雪。山道。ケルト人。ありとあらゆるアルプスがカルタゴに牙を剥く。ローマのどこがいいんだクソッタレめ。
4万からなった兵士はすでに3割ほどが落伍し、残ったやつらも腹に食い物ではなく不平不満を溜め込み始めた。
このままでは士気の維持に関わるがどうしようもないので、この俺もときどき神に祈ったりもしている。
俺はハンニバル・バルカ。
カルタゴを指揮するものにしてローマに仇なすものだ。
「パオーン」
戦象は一声吠えると、再び頭を大きく振って雪を振り落とす。
その雪がすぐ隣を歩いていた歩兵を直撃する。
「てやんでぇこの野郎何しやがんだこの畜生め!」
激昂した歩兵が槍の石突で戦象の前足を突くと、戦象も興奮し後ろ足で立ち上がる。
「うわ、おい何考えんだやめr」
ドッシィィィーーーン!!!
兵士が慌てて距離を取り、象の前足は標的のいない地面を激しく打ち据える。
地震かと思うほどの揺れ。
ゴゴゴゴゴゴゴ...
「ん?」
地震もどきが起こったばかりというのに、まるで地震の前触れのような地鳴りが耳に届く。
落ち着きを失った馬たちを兵が必死に宥めているのが見える。
「将軍あれを!」
兵の一人が指さした前方。山の斜面。
真っ白な山肌が、凄い音で、凄い速さで、迫ってきていた。
まさか、さっきの騒ぎの振動で雪崩が発生したというのか。
「退避ー!退避ー!」
指示を出すが間に合わない。
カルタゴの精兵2万強が瞬く間に純白の暴威に呑み込まれた。
そしてすぐに気づく。
―――違う、これは雪ではない。
まるでヤギの乳を原材料にし、サーモフィルス株とブルガリア株の発酵作用で作られたような白い物体だ。
味は酸味の中にほのかに甘みを感じ、整腸作用や腸内免疫活性化の効用があるような気がする。
ビフィズス菌が腸内に残って、アンモニアなどの生成量を低下させているようにも思える。
何なのだこの素晴らしい物体は?
周囲を見渡せば、兵士も腸内環境が改善されて明るく元気になり、背筋力と握力が2倍くらいになったように見える。
戦象は二足歩行に進化し、超人強度も7800万パワーくらいに上がったようだ。
戦馬は上がり3ハロン20秒を切るレベルの末脚を手に入れた。
きっとこの白い物体はアルプスの神からの賜りものだったのだろう。
我がカルタゴ軍は勢いを駆ってローマ北部の都市へ侵攻。
ここに第二次ポエニ戦争の幕が切って落とされたのである。
なお、まけたもよう。
【おわり】
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