あの神文字書きが、犯したいほど憎いんだ 第十六話「間野賢也④」
まあ、言ってしまえば出来心だった。
(という言い方も変か)
別に、間野は法律を破ったというわけでもない。万引きでとっ捕まった時の決まり文句のようなものを言う意味はない。しかし、ああいうの、実際に出来心だったって言って許してもらえることなんてあるのかね。なら仕方ないと無罪放免されるパターンもあるのかな?
ともかく、間野の中に後ろめたい心があるのは確かだ。ちょっとした気持ちでやっちゃったことに、少し後悔している。
何が言いたいのかというと、つまりは、〈文学人〉を買ってしまったのだ。
サークルで出展した同人誌即売会の会場に向かう途中で、持ってきたラノベを読み切っちゃって、それで乗換駅の改札の中にある本屋をちょいと覗いたのだ。
追っているラノベの新刊が一週間くらい前に出てたはずだから、それを買おうと。
そしたら、その新刊がなかった。
いや、悲しい気分になったよね。まだアニメ化とかしていないような作品とはいえ、結構巻数でていて、しかも、ラノベ界ではメジャーな文庫なのに、棚に並んでなかった。同じレーベルの他の本はあったから、一冊くらいしか入れてなくてそれが売れたみたいな感じかなと思うけど、しかし、その入荷量はそれはそれで切なくなる。やっぱ文庫のラノベって斜陽なん? そんなことないはずと思うんだけどなあ。
昨今の出版界における非web系のラノベの立ち位置における嘆きと考察を一瞬でしたあと、さて、どうしようかと店内で立ち止まった。
お目当てのものがなかった、とそのまま立ち去っても良いのだけど、もうなんか本を買う口になってしまっている。とはいえ、今、買いたい本はない。漫画は電子で買う派だし……と店内を見渡したところで、見つけたのだ。
〈文学人〉。それも、例の号。
生で見たのは初めてだった。
ひょいっと手に取って、めくると確かに目次に天賀再の名前と「鉛筆」というタイトルが並んでいた。
凄えな、とまず思った。
ツイッターのフォロワーに作家さんとかはいたけど、元々アマでやっていて、ちゃんとした雑誌に載った知り合いというのは天賀が初めてだ。しかも、なんか、すげーちゃんとした雑誌。
今日の即売会に天賀は来るはずだ。よし、サインでも貰おうかな、と〈文学人〉を買ったわけだ。
これが間野の出来心。
いや、別に、天賀の載った雑誌を買うことくらいは、悪いことではない。それはそう。
けれど、今日まであれほど気を遣っていたというのに買ってしまったのは迂闊だった。
(あれほど、先輩の地雷を踏まないようにしていたのに)
今日の即売会は、周野もシフトに入っている。つまり、まあ、彼の目に触れる可能性を自分から生んでしまったのは、まずかった。
案の定。
都合が良すぎるくらいの偶然が起こってしまった。
「よう、間野」
本屋を出たところで、周野に出くわしたのだ。
しかも、レジ袋はもらっていない。裸のまま〈文学人〉を手にしていたところを見られた。
「おはようございます」
引き攣りながら間野は返す。
今更、バッグに入れるのも躊躇われた。
(あーーーーーやっちまった)
同じ路線で、同じくらいの時間帯に、同じところに向かっているんだもんな。そりゃ、こういうこと起こるよ。でも、流石にこれはタイミング悪すぎない? なんだよこれ。
頭の中であれこれと言い訳を捜していると、周野の方から、言葉が出た。
「買ったのか」
「えっ、ええ」
「……良い雑誌だよ、〈文学人〉は」
周野の言葉の調子は、思いのほか落ち着いていた。
「そうなんですか」
「うん。本当に、良い短篇ばっかり載っている。間野は分からないかもしれないけど」
そう言ってから、周野は付け足すように「憧れなんだよな、俺の」と笑った。
間野は「そうなんですか」ともう一度言った。というか、それ以外にこの場を切り抜ける言葉が思い浮かばなかった。
すると周野がプッと噴き出した。
「気を遣わなくていいよ」
「なんのことです?」
ドキリとしながらも、どうにか返す。
「分かってるだろ?」
まあ、と頷いた。気まずい。気まずすぎる。
周野はどう読み取ったら良いのか分からない寂し気な笑顔で頷き返してから「次の電車乗らなきゃまずいか」と歩き出した。
話が終わってくれたかな、と思いながらついていく。
しかし、終わっていなかったらしい。
「正直、悔しいよ」
ホームに降りたところで、周野がポツリと言った。
だが、その調子は幸いなことに……間野にとっては意外なほど、穏やかだった。
「でも、良い作品だもんなあ。「鉛筆」って」
間野は三度目の「そうなんですか」を返す。「まだ、俺、読んでないですけど」
「うん。松本さんが拾い上げるのも分かる」
「松本さん?」
「〈文学人〉の編集さん。有名な人なんだよ。まだそんな年はいってないけど、俺は、なんていうか、既に名伯楽だと思ってる」
そう言ってから周野は「あの人をデビューさせたり、あの人を育てたのも松本さん」と何人かの作家の名前を挙げた。間野でも知っている名前ばっかりだった。つまりは、ジャンル外の人でも知っている、超有名作家ばっかだってこと。ラノベでいう谷川流? でも、この人、逆にそのあたり知らねえんだよな。
「凄いよなあ、ほんと……」
周野はどこを見るわけでもなく、そう言った。
★
朝、〈文学人〉を買ったこと以上の後悔を、間野が覚えたのは、それから数時間後だった。
その後悔は……なんであんなことをやっちゃったんだろうな、という思いは、ここ最近ではなく、ずっと前のことにかかっていた。
(あの日、どうして、俺は先輩に〈スカイ・ハイ!〉を読ませてしまったんだろう)
読ませるんじゃなかった。
間野はそう強く、悔やむことになる。
それは、午後一時、交代での昼休憩を終えて、元のシフトに戻ってから起こった。
間野たちのブースに、天賀再がやってきたのだ。
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