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AIプロトタイピング短篇小説①

見知らぬ君に花束を

柴田勝家


最近、娘のイロハと上手く話せない。
五十歳のおじさんにとって、十七歳の女子高生の趣味などわからない。子供の頃はもっと素直に話せた気がするが、思い返せば、娘の方が気を遣ってくれた気もする。
別に嫌われてはいないだろうが、どこか距離を感じてしまっている。平日なら話す機会も多くないからやり過ごせるが、今日みたいな休日だと少し辛い。
「ねー、あン時は感動したよね」
イロハは今も自宅のリビングで、空中にディスプレイを浮かべて楽しそうに笑っている。プライベート設定だから、何を見ているのかもわからない。僕から見えるのは、娘が設定したネコの〝壁紙〟だけだ。いや、最近は壁紙とか言わないらしいけど。
「あ、待って。パパいる」
背後から見ていたのに気づかれた。イヤな顔をされるかと思いきや、振り返ったイロハは笑顔のまま。
「キッチンいくの? 飲み物取ってきて欲しい」
「ああ、いいよ」
僕の答えを聞くと、イロハは再びディスプレイの方に視線をやって、何事か話し始めていた。
「誰かと通話してるのか。いや、少し違う感じだな」
ウォーターサーバーから自分用に水を汲みつつ、娘のために紅茶を用意する。これは嫌いじゃないはず。
「配信を見てる、っていうのが一番近いか。最近はなんて言うのか知らないが」
僕が思春期だった頃――つまり二〇一〇年代だ――だと、配信者が動画サイトを使って視聴者を集めていた。いわゆる投げ銭といって、配信者にお金を送る行為もあった。
「そういえば、イロハも似たようなこと言っていたな」
リビングに戻るまでの間、ふと思い出す光景があった。
数ヶ月前、娘が多めに小遣いをくれないかと申し出てきた。家の方針でバイト禁止だから、代わりにお金が必要な時は、充分な金額を渡すようにしている。
その際、何に使うかを聞いているのだが。
「ちょっとでいいの。明日ね、〝ポシブル〟でライブあるから、私から〝花〟出したくて」
その言葉を僕は勝手に解釈していた。
どこかに〝ポシブル〟という音楽バンドか、あるいはライブ会場があり、それに参加して花束でも贈るのだろう、と。そう思ったから、僕は何の気なしに一万円を渡した。
「ああ、それが配信か」
ライブというのはサイト上で開かれているもので、イロハはそれに〝課金〟するつもりだったのだ。それくらいなら、僕も中高生の時に経験がある。
「うん、昔とあんまり変わらないんだな」
一人で納得し、紅茶の入ったタンブラーを手に、僕はリビングへと戻っていく。
「イロハ、これ」
「ん」
見れば、イロハは既にディスプレイを閉じていた。ソファに寝転がって、スクロール端末で漫画を読んでいる。
ここで、僕は小さく決意した。
「なぁ、さっき見てたのって誰かの配信か?」
娘との共通の話題を探していた。僕の若い頃は……、なんてオヤジ臭いことは言いたくなかったが、配信文化なら馴染みがあるし、ちょっとは会話ができると思った。
しかし、僕の淡い期待は、簡単に消え去った。
「ん、違うよ。配信って会社とかがやるヤツでしょ?」
「そう、なのか?」
「〝ポシブル〟でライブしてただけ」
さも当然といった顔のイロハ。僕は意味もわからず首をひねるだけ。
「ライブは配信じゃないのか?」
「ライブはライブだよ? 友達と集まってお喋りするヤツ」
「チャットみたいな?」
「チャット?」
ついに娘も首をひねり始める。父娘二人、リビングで首をひねり合っている。
「まぁ、そこはいいが、今はライブやってないのか?」
「やってるよ? インしてないけど、今は〝ジェーミン〟が勝手に話してくれてると思う。漫画読みたかったから、向こうは放置中」
さらに首をひねる。全く意味がわからない。
「じゃあ、あれだ。あの〝花〟ってなんだ?」
会話の糸口を求めて、少しでも知っている単語を出してみる。
「ああ、ええと、ライブをしてる人に……、お金を払うんだけど」
どうも歯切れが悪いが、きっと僕のような親世代が「他人にお金を使う」ということに無理解だと思っているからだろう。
しかし、僕だって令和に青年時代を過ごした男だ。
「なるほどね、好きな相手を応援する気持ちでお金を渡すんだ」
「あ、そうそう! そんな感じ!」
予想通り、イロハは僕を理解者だと認めてくれて、途端に表情を明るくさせた。
「ライブしてる時に同級生に〝花〟あげてる」
「同級生って、なんかのアーティストなのか?」
「別に、普通の子だよ。あ、女の子だからね。そういうのじゃないから」
微妙に会話が通じていない気がする。
「普通の友達にお金払ってるのか?」
「そうだけど」
サァ、と血の気が引く。娘は友人を名乗る人物にお金を払っているのだ。友達料などと称し、お金を巻き上げられている。
「そういうのはやめなさい!」
「ええっ、なんでぇ!?」
危うく言い争いになる気配があった。しかし、これは両者ともに運が良かったのだろう。
「ただいまぁ」
玄関から声があった。買い物に出ていた妻が帰ってきたのだ。
しかも、お土産としてケーキもあるらしい。僕は甘いものが大好きだから、ここは一端、お金の使い方についての話は流しておこう。
大事なのはケーキの方だ。



その翌日、僕はイロハの言っていた〝ポシブル〟について調べていた。しかも通勤用の無人運転車の中で。
「なるほどね。わかってきたぞ」
車内に設置された3Dディスプレイを引き寄せ、僕は望んだ情報を手に入れた。
最近の若者たちに人気のコンテンツ。つまり〝ポシブル〟は音声、文章、画像、動画など様々なものを共有でき、参加者が互いに価値を生み出すことができるという。
ちなみに〝ポシブル〟の利用者数は全世界で十億人超。僕ら世代が使っているウェブフォーラムの利用者数が、世界で二十億人らしいから、決して大多数というわけではない。
ただし面白いことに、それらを利用する層は全く別らしい。二つとも利用している人間に絞ると、わずか数百万人まで減るという。
「ようは若者向けのSNSだな。それこそ僕の若い頃にもあった」
ただし、かつてのSNSとは違うところもあるようで。
「体験と感動の共有……。利用者は他人の人生を後追いで経験でき、その場にいなくても、いるように感じることができる……」
ディスプレイに表示されているのは〝ポシブル〟を解説する動画だ。そのコンセプトを伝えるように、外国人が友人の誕生日パーティーを祝っている画像が映っていた。参加できなかったイベントに、自分もいたかのように振る舞える、ということだろうか?
「〝ポシブル〟は〝あったかもしれない世界〟を作り出すサービスです……。使い方は自由。必要なのは想像力だけ……」
魅力的なキャッチコピーが並んでいるが、まだ頭がついていかない。しかし無情にも動画は続き、今度は〝ジェーミン〟なる存在を説明し始めた。
「利用者の分身である〝ジェーミン〟同士のコミュニケーションによって、あなたは人生に転がる無限の可能性を追体験できます、って。なんだこれ?」
これでも古のインターネット文化は詳しい方だ。
だから〝ジェーミン〟が、いわゆるデジタルアバターのことだというのは理解できる。様々な個人データをコピーしたAIを作り、ネットワーク空間で使う技術だ。
僕自身、仕事では人格を付与したコンシェルジュAIを使っている。AIは僕の代わりに交渉事やメッセージの返信など、日々の事務処理をしてくれる。おまけに昼食のメニューだって提案してくれるし、家計簿だってつけてくれる。さらに機能を拡張すれば、趣味嗜好に合わせてエンタメ関連のサジェストを行ってくれたりするだろう。
デジタルアバターは、まさしく便利な〝もう一人の自分〟だ。
「そこまでは理解できるが……」
考えているうちに解説動画は先へと進み、そのまま〝ポシブル〟に登録を促すページへと切り替わっていた。これ見よがしに表示される「ポシブルに参加する」の文言。
それを指で触れるだけで、僕も〝ポシブル〟の住人になれる。
「まぁ、登録するだけなら……」
僕はディスプレイに映る文言にタッチした。
それだけで指紋認証が行われ、これまで僕が使ってきたソーシャルアカウントが自動的に解析されていく。素行に問題がないと判断されれば、即座に〝ポシブル〟へと参加できるだろう。
「場違いな気もしてきたが……」
ピコン、と安っぽい音がした。これで僕も〝ポシブル〟の参加者となったらしい。
「で、さっそく〝ジェーミン〟を作りましょう、って言われてるな。いやいや、自分の情報とか入力するの恥ずかしいな」
急に、何をやっているんだ、という気持ちが溢れてくる。だが、ここで諦めて何になる。
全ては娘のことを理解するためだ。
「イロハの話しぶりだと、カツアゲとかじゃないみたいだが、でも変だろ。普通の友達にお金を払うなんて。いや、待て待て。それが変じゃないんだろ、この〝ポシブル〟だと」
僕はディスプレイに表示されたチュートリアルに従い、自分の分身を作っていく。大まかには、日常的に使っているソーシャルアカウントの情報を参照しているらしいが、細かい部分は自分で入力して調整できるようだった。
「アバターの体型とか、髪型とか、まるで昔のゲームみたいだな。この辺は〝オススメ〟でいいとして、あとは個人的な性格の入力か……」
チュートリアルでは性格診断のような質問が繰り返されている。それに答えていくと、相応しい性格のAIが自動的に生まれるらしい。ただ〝ジェーミン〟は〝なりたい自分〟を作ってもいいようで、いつもの自分では選ばない答えを選ぶよう〝オススメ〟してくる。
「まぁ、ちょっと確認するだけだし。どんなものか知ったら、すぐに削除すればいいだけだ」
そんな軽い気持ちで、僕は性格診断のテストを適当に答えた。むしろ全く別人の〝ジェーミン〟が生まれても楽しいかも、なんてことを考えている。まんまと〝ポシブル〟に乗せられたのだ。
「で、最後に趣味だけ本当のことを入れようかな。甘いものが好き、っと」
これで〝ジェーミン〟は、自動的に趣味に沿った情報を集めてくれる。似た趣味の〝ジェーミン〟とAIが勝手に交流することもあるらしいから、スイーツ系イベントへの参加枠なんかも融通してもらえるかもしれない。この辺は「使うからには利用しよう」という、僕の打算的な部分だ。
「ここまで来たら、楽しんだモン勝ちだよな」
ディスプレイには「終わり」の文言が浮かんでいる。これを押せばチュートリアルは完了し、僕の分身たる〝ジェーミン〟が誕生する。
「さてさて、もうひとりの僕はどんな感じになるのかな」
僕は何気ない調子でディスプレイに触れた。
画面の中に、モクモクと煙が溢れていく。やがて白い煙の中に人間の影が浮かび上がった。
ここで虹色の輝きが放たれ、派手な音と演出の後に煙が晴れていく。もう一人の僕たる〝ジェーミン〟が姿を表す。
「うん?」
その人物は若々しく、爽やかな笑みを浮かべていた。セットされた金髪に甘いマスク。洋服はスーツなどではなく、演劇に登場する王侯貴族が着るような華美な装い。
極めつけに、その手には一輪のバラがあった。
「はじめまして、僕はユウダイ。もう一人の君だよ」
自分とは全くかけ離れた〝ジェーミン〟の登場だった。何が起こったのかと思い、彼のプロフィールを小さく参照する。
「君の笑顔が僕の力さ。いつでもそばにいるから、一緒に夢を追いかけよう」
彼のプロフィールには「王子様系アイドル」と記されていた。
「なんで……?」
だから僕は首をひねる。



どうやら僕は〝ジェーミン〟のことを甘く見ていたようだ。
これまでも、自身のコンシェルジュAIが半自動的に働いているのは見てきた。僕が書くような文面でメッセージを作成し、実際に僕が対応するように取引先とやり取りをしていた。それらの作業は文章上のものだったし、最終的なチェックは僕がするから大きな問題もなかった。
しかし〝ジェーミン〟は僕とは全く違う存在だった。
「今日も君たちの声が聞けて、僕は幸せだよ」
****今、僕は一週間ぶりに〝ポシブル〟にログインし、出先の個室喫茶店で空間ディスプレイを眺めている。
場面はネット上に作られたコンサート会場だ。CGで再現された存在だというが、リアルな作り込みは現実世界と大差ない。この広大なステージの中央に、僕の分身たるユウダイがいた。
「次の曲で最後だけど、またすぐに会えるからね」
僕の分身からの言葉に、客席側から黄色い歓声が上がった。信じられないが、アイドルとしての僕には大勢のファンがいた。ただし、いずれも〝ジェーミン〟だから、どれだけ生身の人間がいるかは不明だ。
「どうしてこうなっちゃったかな」
僕は小さく呟き、テーブルのコーヒーを口につけた。
この一週間の間に、ユウダイは様々な変化を遂げていた。まずアイドルという特徴から、似た属性を持つ〝ジェーミン〟と接触し、勝手にアイドルグループを作っていた。ここまでは単なるサークル活動だ。
それが次に作曲家の〝ジェーミン〟と交流して楽曲を作ると、今度はプロモーターやイベンター系の〝ジェーミン〟と交渉して、これまた勝手にコンサートを開催するようになった。すると自動的にファンの〝ジェーミン〟が追っかけてくるようになる。
「別に人気があるとか、そういうんじゃないんだよな」
今もディスプレイの中では、ユウダイが仲間たちと共に歌って踊っている。客席は大いに盛り上がり、応援の証として無数の〝花〟が投げられている。
僕からすると不思議なことだけど、ファンの〝ジェーミン〟は飽くまでファンという役割を演じているだけなのだ。
もちろん中にはユウダイを好きになってくれた人もいるだろうけど、ほとんどは分身が勝手にコンサートを見ているだけであって、中の人――っていう表現も古いのかな――が興味を持ってくれなければ〝ポシブル〟で見ることもない。
「ようやくわかってきたな。つまり〝ポシブル〟自体が、演劇とか漫画みたいな架空の世界なんだ」
これは僕の理解だけど、たとえば『アイドル物の恋愛漫画に登場するファンになりたい』って思った人が、あえてファン役の〝ジェーミン〟を動かすのだろう。同じように作曲家をやってみたいとか、プロデューサーをやりたい、って人もいる。
そういう意味なら、僕は漫画に登場する王子様系アイドルを体験することができるわけだけど。
「アンコールありがとう、もっと一緒にいたいっていう気持ちは僕も一緒だよ」
ユウダイが勝手に喋るのを見ながら、僕は〝ポシブル〟に対応したVRグラスをかける。スピーカーマイク付きだから、これを装着するだけで僕自身がユウダイになれる。
「この感覚も……、二回目だな。一回だけ試したけど、怖くてすぐにやめちゃったから」
これまでディスプレイ上で見ていたユウダイの視界が、僕自身の視界と重なる。薄暗いコンサート会場、そのステージに立って客席を眺めれば、光を放つペンライトの奥にファンの顔が見える。
「ああ、ええと……」
何気なく僕が喋ると〝ポシブル〟上のユウダイも喋りだす。音声は向こうで補正がかかっているから、五十歳のおじさんのモノではない。
「困ったな、何を言うか忘れちゃった」
思わず出た素直な言葉に、どういうわけか客席から嬉しそうな悲鳴が上がった。視界の端にコメント欄が映っているが、そこに『ユウダイかわいい』などといった言葉が並ぶ。ファンの〝ジェーミン〟たちが送っているようだ。
「ユウダイ、素が出ちゃってるって」
ステージ上で声をかけられた。首を動かして見てみれば、同じグループに所属する俺様系アイドルのルキが笑っている。彼と話すのは初めてだけど、既に〝ジェーミン〟同士は親友になっている。
「おっと、失敬」
「コイツって素は天然だからな、楽屋なんかだと王子様どころか……」
「ルキ、何を言うんだ。僕はいつだって品行方正でね」
僕らのやり取りを見て、客席もステージ上の他のアイドルも楽しそうにしている。もしかすると全員が〝ジェーミン〟で、どこにも生身の人間なんていないのかもしれないが、なんとなく『それでもいいや』っていう感覚になってくる。
「ほら、とにかく歌うよ。今度こそ最後の一曲だ」
奇妙ながらも、僕自身も楽しく思えてきた。
僕はユウダイと全く違う存在なのに、いざ同じ立場になると自然と彼のような言葉が出てきて、振る舞いだって王子様のようになってしまう。
さすがに自分で歌うのは恥ずかしかったから、そこから先はAIに任せたけど、コンサートが終わる瞬間まで、僕はユウダイとして『王子様系アイドルの人生』を追体験した。
VRグラスを外し、まず目頭を押さえた。感動したわけではなく、単純に目が疲れたから。
「でも、こういうのもあるんだな」
感動してない、とは言ったけど、気持ち的には高まっている。
「アイドルになって、大勢から応援されてみたい、って。確かに中高生の頃は、ちょっと思ったりもしたけどさ」
改めて考えてみると、ユウダイは僕の理想だったのかもしれない。自分ではなりたくても、なれないと諦めていた自分だった。それが〝ポシブル〟によって実現できたのだ。
「全然違うけど、やっぱり同じ人格なんだな」
ディスプレイを閉じる直前、僕はステージ裏で微笑むユウダイの晴れ晴れとした顔を見ていた。



どうやら〝ポシブル〟は、僕にとって過ごしやすい場所のようだった。
変な喩えだが、まるでテレビのザッピングか、ラジオの流し聞きのような感覚だ。つまり主体的だが、かといって疲れない程度の行為。
今の世の中は情報に溢れ過ぎていて、受け取る側も疲れてしまう。それはグルメ情報だったり、流行曲だったり、あるいはゲームとか趣味、または各種イベントの予定、ゲーム、旅行スポットの紹介などなど、あまりにも多種多様。
それが〝ポシブル〟だと、飽くまで〝ジェーミン〟という分身が経験したこと、という大前提がある。人気の曲を歌うのも、美味しい料理を食べるのも、遊園地に遊びに行くのも、まずは自分の分身が経験するのだ。自らの分身というフィルターによって、雑多な情報は濾過され、その全てを受け止める必要がなくなるのだ。
かといって、今までのAIのように、利用者の特性に合ったサジェストをするわけではない。〝ジェーミン〟たちは、とにかく「できることを全てやる」のだ。普段の自分ではやらないような経験だからこそ、かえって興味が湧く、ということだ。
テレビほど一方的でなく、ネットほど相互的でもない。そんな〝ポシブル〟の距離感がちょうどいい。
ところで〝ポシブル〟を象徴するキャッチコピーとして、こんなことが言われていたはずだ。
『〝あったかもしれない世界〟を作り出すサービスです』
これはつまり、様々な人生の物語が存在するという意味だ。
例えば僕の〝ジェーミン〟たるユウダイは、王子様系アイドルとして活躍する一方、登山家としてアルプスの山々を制覇したり、男子高校生となって馬鹿げた日常を過ごしたり、エージェントとなって国家の危機を救ったりもした。
どれも同時並行で行っている活動だが、時間の制限とは関係なく動けるのが〝ポシブル〟の強みだ。もし『この経験が気になるな』と思ったら、後からでもリプレイできる。
そして今はまた、僕ことユウダイはバーテンダーとなって、ただ一人の客のためにシェイカーを振っている。
つくづく〝ポシブル〟は気の利くヤツらしく、静かな場所で落ち着いて過ごしたいと思っていた矢先に、この場面をサジェストしてきた。
「どれも結構な冒険だったな」
カウンターの向こうから親しげに話してくるのは、あのアイドル仲間のルキだ。
「君とは意外と趣味が合うみたいだね」
「まだ王子様みたいな話し方しやがって。素でいいってば」
僕にとってルキは〝ポシブル〟でできた大事な友人だ。
最初は単に〝ジェーミン〟が選んだ友人だったけど、やはりというか、彼の好みと僕自身の〝なりたかった自分〟が近かったのか、様々な場面を一緒に過ごすようになった。
「まだまだ回ってないシナリオがあるからな。楽しみだな」
ルキの言うシナリオは〝ポシブル〟上で公開されているもので、クリエイターが作った壮大な物語のことだ。ただのSNS的な交流に飽きた人は、自分の〝ジェーミン〟をシナリオに投入する。それこそ漫画やアニメみたいな、普通の人間では経験できない冒険が用意されている。
「ああ、僕も楽しみに――」
コンコン、と現実世界の方で音が聞こえた。
VRグラスを外せば、そこは自宅の書斎だ。背後のドアが再びノックされる。
「パパ、私だけど」
ドアの向こうからイロハの声がする。僕は続きの会話をユウダイに任せて席を立つ。未だに娘には〝ポシブル〟をやっていることは秘密だった。
「どうした、こんな遅くに」
ドアを開けると、イロハは弱った表情で、申し訳無さそうに身を小さくしていた。
「あの、これ……」
そう言って、イロハは手にした一万円札を差し出してきた。
「なんだい、これ」
「ほら、前に〝花〟を贈りたいからって貰ったヤツ。お年玉から返そうと思って……」
「ああ、でも必要だったんだろ。別に返して貰わなくても」
本当に気にしなくて良いと思っていたけど、どうやらイロハには複雑な思いがあるらしい。眉を下げてうつむく顔を見れば、何かあったのだろうと推測できる。日々の些細なことは理解できずとも、彼女の親を十七年もやってきたのだ。
「何かあった?」
「喧嘩しちゃった」
「もしかして〝花〟を贈った子とかい?」
イロハが力なく頷く。
つまり、そういうことだ。友情の証として贈った〝花〟だったが、当の相手と喧嘩してしまい、もはや意味を無くしてしまった。彼女としては、使った金額をまるまる返済することで『最初から〝花〟など贈ってない』と、気持ちを入れ替えたかったのだろう。
「大事な友達だったんじゃないの」
「でも、喧嘩しちゃったし」
「仲直りとか、したいと思ってる?」
「もちろん、できるなら……」
僕としては、ここで何か人生のためになるような言葉でも言いたかった。
でも残念ながら、何が正解かがわからない。これまで説教臭くならないよう接してきたから、いざ言うべき時に言うべき言葉が見つからなかった。
「とりあえず一万円は預かるから、もう今日は寝なさい。また明日、ゆっくり考えるんだよ」
だから、曖昧な返事をしてしまった。
「うん」
とはいえ、イロハも予想以上に素直だった。というか明らかに眠そうだった。
だから父娘二人、一緒に問題を先延ばしにした。



翌日、僕はイロハの問題をルキに相談することにした。
ちょうど仕事が休みだったこともあり、近所の個室喫茶店で〝ポシブル〟に入った。履歴によれば最新のユウダイは田舎の小学生となって、ルキと一緒に魚釣りを楽しんでいた。
「少し、相談があるんだ」
それまで〝ジェーミン〟が勝手に行っていた会話を打ち切り、僕自身の言葉で話すことにした。目の前の小川は太陽を反射して輝いていた。
「おう、なんでも話していいよ」
「実は、知り合いの話なんだけど、友達と喧嘩したみたいなんだ」
わざわざ娘と言うのも変だったので、ここは知り合い程度に誤魔化しておく。
「僕は最近の友達関係……、みたいのがわからなくて、どうアドバイスすればいいか悩んでるんだ」
「なるほどなぁ。お、引いてる」
ルキが釣り竿を動かし、一匹の魚を釣り上げた。
「俺も友達関係みたいのはわからないけど、喧嘩したなら素直に謝ればいいんじゃないか?」
「僕もそう思うんだけど、この〝ポシブル〟で喧嘩した時って、どう謝れば解決できるんだろうね」
この問いかけに、ルキはやや悩んだ素振りをみせた。
ふと視線を前にやれば、緑豊かな山々と青空が見える。入道雲とセミの声に、僕は夏の空気を感じる。現実世界は冬だというのに。
「たとえば、最近の子がやってる方法なんだけど」
しばらくして、ルキが声をかけてきた。
「もし俺がユウダイと〝ポシブル〟の利用中に喧嘩したら、その喧嘩が起きた場面をやり直す」
「え、そんなことできるのか?」
シンプルに知らなかった。思わず驚きの声が出てしまう。
「そりゃな。だって〝ポシブル〟の経験は、何度でもリプレイできるようにできてるんだ。喧嘩した時の場面をやり直して、今度は喧嘩しないように、言葉を選んで、そこで謝る。本当はこう言いたかった、とか付け加えて」
「そういう、ものかな」
「らしい。最近の子って、こういうふうに喧嘩を解決してるんだと」
考えてみると面白い解決法だが、僕として欠点があるように思えた。
「でも、それって相手の〝ジェーミン〟に謝って、やり直すだけじゃないか? 現実世界では何も解決できてない」
「だよな。まぁ、俺もそう思うけど……」
「全部が悪いとは言わないけど、実際に起きてしまったことをやり直して、都合の良いように書き換えるのは、僕は少し苦手だ」
****もしかすると、これが〝ポシブル〟の悪い面なのかもしれない。
自由に人生を選択できるということは、都合の悪い過去を消してしまえるということだ。それは魅力的だし、僕だってやり直したい過去は多くある。
でも、と。
「大して偉いことを言えるわけじゃないけど、簡単に人生をやり直してしまうと、何か大事なものを落としてしまう気がする。気分の問題だろうけど」
僕がそう言うと、ルキは興味深そうに目を大きくした。
「もしかして、ユウダイって結構年上だったりする?」
****唐突に言い当てられたせいか、思わず「うっ」と声を出してしまった。
「いやぁ、別に気にしないけどさ、俺もこんなに若くないし。でも、ちょうど中間なんだよね。若い子の考え方も、ユウダイの言うことも、どっちも理解できる。だから、どっちかが正しい、とかも言えない」
「それでいいよ。僕だって、悪いこと、とまで言いたくない」
****それから少しの間、無言の時間が過ぎた。気まずさのない、心地よい時間だった。二人で川のせせらぎを聞きながら、釣り糸を垂らしている。
「でもさ」
と、不意にルキが口を開いた。
「すごく単純な話で、仲直りしたい相手に自分の気持ちを伝えるのは、現実でも〝ポシブル〟でも同じだ」
シュッ、とルキが釣り竿を川に向けて振った。どうやら話は続いていたらしい。
「喧嘩した場面をやり直して、喧嘩にならないよう相手に謝る。すると〝ポシブル〟で更新があったっていう通知が相手にも届く。どこが改変されたのか、相手が確認できるんだよ」
「それは、機能としてはそうだろうね」
「喧嘩した相手が通知に気づいてくれたら、それは〝ジェーミン〟とか関係なしに思いが伝わった、ってことになると思う」
ふむ、と現実世界の僕が息を吐いた。
僕としては〝ポシブル〟内での出来事は、全てが〝ジェーミン〟というAI同士の会話に過ぎないと思っていた。しかし、考えてみれば向こうにも同じように利用している人間がいるのだ。確認しようと思えば、いつでも確認できる。
「それなら、現実世界と変わらない、か」
いくらか納得できたところで、僕はルキに向かって頭を下げる。相談に乗ってくれたことへの感謝だ。おそらく彼の〝ジェーミン〟が、気を利かせてくれたのだと思っていた。
すると不意に、僕の頭上を一輪の〝花〟が飛んだ。大ぶりなヒマワリがゆったりと落ちてくる。
「ユウダイって、あんまり〝花〟を使わないよな」
「え、ああ。あまり意味がわからなくて」
僕の返答にルキが悪戯っぽく笑った。
「この〝花〟を贈れるのは、リアルタイムで〝ジェーミン〟に入ってるユーザーだけだぞ。さては俺のこと、ずっとAIが喋ってると思ってたな? 言っとくけど、俺は本心からの言葉でユウダイと話してたからな」
ああ、と思わず声が出た。
ルキが〝花〟を贈った理由を知ることで、ようやく娘が〝花〟を贈っていた理由もわかったからだ。
「そういうことか。友達に伝えるためなのか。自分は今ここにいます、って。〝花〟を贈るのは、真剣に相手の話を聞いている、その証拠なんだ」
****この〝ポシブル〟の世界では、いや、それ以上に様々な場面でも、今や人間とAIの区別はつかなくなっている。だからこそ、人間として自分を証明する手段が必要なのだ。
「じゃあ、アイドルをやってた時に〝花〟をもらったのも、もしかして結構なことだったのかな」
あの頃はなんとも思わなかったが、改めて考えると自分なんかのために〝花〟を贈ってくれた人がいたのだ。今になってありがたい気持ちが溢れてくる。
「だろうね。恩返しの気持ちで、来週のコンサートは気合いれないとな」
「うん、頑張ろう」
「で、これだけ真剣に話してくれたユウダイは、もちろんAIじゃないよな?」
歯を見せて笑うルキに対し、僕は〝ポシブル〟で簡単な操作を加える。昔とは違うお金の使い方に戸惑いもしたが、自分事として体験すると理解もできた。
「では、君の笑顔に」
手に現れた一輪のバラ。僕はそれをルキへと差し出した。



この数週間で、僕は〝ポシブル〟について多く理解できた。
自分の分身である〝ジェーミン〟は、ユーザー本人の知らないところで様々な人生を送り、物語のような経験をしている。そして現実を生きる僕らは、いつでも分身と入れ替わって、それらを自分の経験にすることができる。
別の人生だからこそできた友達、出会えた恋人、多種多様な人間関係。ただ、それは一瞬で通り過ぎてしまうような、刹那的で儚いものなのかもしれない。
だから〝ポシブル〟のユーザーは〝花〟を相手に贈る。自分がここにいるという証拠を出すのだ。
「イロハ、これ」
リビングのソファに寝転がるイロハに向けて、僕は彼女から預かった一万円札を差し出した。
「色々と人から聞いたけど、喧嘩して、まだ仲直りしたいと思う相手なら、やっぱり謝った方がいいと思う」
イロハは意外そうに目を瞬かせてから、ようやく意味に気づいたのか、勢いよくソファに座り直した。
「えーと、ありがとう、なんだけど」
「けど?」
「これで〝花〟を贈っても怒らない?」
不安そうに見上げるイロハに対し、僕は精一杯の笑みを送る。確かに、数週間前の僕だったら「友達と仲直りするのにお金を使うのか」と怒っていたかもしれない。
でも、今ならイロハの気持ちもわかる。
「怒らないよ。大事なことなんだろう」
「へへ、じゃあ」
おずおずとイロハが一万円札を受け取った。これを使って彼女は喧嘩した相手に〝花〟を贈るだろうか。仲直りしたい、それは自分の本心からの言葉だという意味を込めて。
「ちょうど〝ライブ〟やってるから、行ってくるね」
そう言って、イロハはリビングを飛び出していった。自室で〝ポシブル〟を起動するつもりなのだろう。
ところで、僕は今更になってイロハの言っていた〝ライブ〟の意味を理解した。それは「生演奏」という意味ではなく、英語での「生活する」とか「経験する」という意味なのだろう。分身であるAIに任せずに、自分自身で「生きている」ということを指して言う言葉だったのだ。
「君が笑顔でいてくれることが、僕の幸福さ」
つい口から出た言葉が、あまりにユウダイの言葉に似ていたので、僕は思わず吹き出してしまった。

〈了〉


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