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無心

おはようございます。
いつもお読みいただきありがとうございます。

最近『弓と禅』という本を読みました。

この本は「武道」とは何かを考えさせられるものでした。
弓道を通じて「武道」の本質が描かれています。

「武道」の究極は戦うに非ず。安らぎ(禅)にある。


武道とは「動きのある禅」と言えるのではないでしょうか。


この本を読む前まで

「意識を集中させて、的の中心に向けて自力で弓を放つもの」

が弓道だと思っていました。


弓道の本質は以下のように記しています。

 的を狙うことでもなく、
 力むことでもなく、
 意思を持たないで弓が放たれるのを待つこと。

文章だけではよくわかりづらいかもしれませんが、

例えば、
アーチェリーは筋力(自力)で引くとすれば
弓道は「精神の力」で引くということ。

的を狙わず、
力まない、
意思を持たない、、、

つまりは、
自分の中にある想念や意識を一切なくし「執着」から離れる。

それこそが「無心になる」ということ。

無心になることで弓が放たれる。


さらに

的の中心を射抜くとは、自身を射抜くことである。

とあります。

身体(技)と心(精神)の合一が弓道(武道)と言えるでしょう。

●不動の中心

人の身体は中心が見事にわかるようなっているようです。
弓道は中心であり、中心を射抜くことにあります。
中心は1つしかありません。

人の力ではなく、
中心に合わせると最大パワーが出せる。

不動の中心にいて「無」になる。

自分自身が的になる。
自分と的が1つである状態、即ち「無=ゼロ」と同じ。

武道を極めると相手を読めるようになる聞きますが
これは、自分が相手と一体化しているからなんだと思います。

今日はちょっと深いテーマだったかもしれません。

「不動の中心」
「無」

自分自身とても興味深い領域です。

また違う機会でシェアしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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