51.多文化共生
“黒人たちは白人の世界でどう生きれば良いのかを知っておかないといけない。
ゲイの人たちはストレートの世界で生きる術を知らなくてはならない。
女性たちは男性の世界でどう生きれば良いのかを知っていなければならない。
ただ、世界の頂点にいると思っている人たちが、マイノリティがその世界でどのようにして生きていかなければならないのかを一瞬でも考えてくれたら嬉しい。”
これはアメリカの俳優スターリング・K・ブラウンさんの発言です。
この発言が出たのは、奴隷制度が終結した19世紀中期ではありません。
公民権運動が激化していた20世紀中期でもありません。
残念なことに、2018年…遂最近…21世紀に飛び出した発言です。
…と言うことで、改めて多様性についてのお勉強です。
現代の日本は、外国人定住者が年々増加していて多国籍化しています。
日本人の人口が減少し続けて、これからの日本は外国人と日本人が共生しながら維持していくことになると考えられています。
しかし現段階では、外国人定住者に対して、コミュニケーション不足、地域での孤立など…まだまだお互いに理解が足りないことからたくさんの問題が発生するなど、定着しているとは言えない状況です。
多文化共生社会。
“国籍や民族などの異なる人々が互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら 地域社会の構成員として共に生きていくこと”
2006年の総務省による多文化共生推進プランには、そのように定義されています。
今求められているのは、すべての人が安心して安全に暮らせる社会であることです。
それは、外国人だけではなく、子ども、障がい者、高齢者、LGBTQなどすべての人のことであり、 ユニバーサルデザインの地域づくりが求められます。
それが真の多文化共生と考えられます。
要するに、誰もが人権を保障されている社会であり、 いろいろな選択肢がある社会でなければなりません。
多様な人が社会参画するには、みんなが様々な違いを理解して、寛容に受け止めなければなりません。
これまでの学校教育から、ずっと大人になっても続いた平均的な画一的な考え方や行動だけでは通用しなくなると考えられます。
それでは、外国から日本に来て生活をしようと考えてくれている人たちに焦点を当てて考えてみます。
まず、日本側の受け入れ態勢は整っているのか…ということです。
自分たちは変わる準備はできているのか…。
それとも、日本側は受け入れ側だから自分たちが変わる必要はないのでしょうか…。
多文化共生を考える時は、ゲスト(入ってくる人)とホスト(受け入れる人)の両者が変わる必要があるという考え方があります。
これは外国人だから…とかではなく、子どもの時だと“新学期から先生が変わります”、“転入生が来ます”といった場合に、大人になると“隣に引っ越してくる人がいます”とか“勤務先に新入職員が来ます”など…様々な時に考えられることです。
ただし、同じ国で生まれ育った人だと、お互いにある程度の理解はスムーズかもしれません。
やはり、国が違うとそうではない場合もあるのかもしれません。
日本人はよく“ホンネトタテマエ”や“オモテナシ”、“クウキヲヨム”など、独特な態度となって現れます…。
日本人のそういうスタイルにも良い面があるのはわかっていますが……良いものはそのまま持続又はより良くしてもらうとして、これから少し悪い面ばかりを取り上げてみます。
例えば…日本人はすごく空気を読むから、その場ではマイナスのことを言いません。
話を合わせるのが得意という特徴ですが、結構、日本以外の国で育った人にはキツいようです。
それも、陰で何を言っているかわからない恐怖もあります。
例えば、好きなことの話をすると“わかる!”と相槌を打つけど、実は、全然面白がっていないみたいな…目を見ればわかります。
実はこの冷ややかな体験は、我々日本人も子どもの頃に学校…子ども達の社会で経験します。
そして鍛えられてどんどん慣れていきます。
今度どこかに食事に行こう…という話になった時、その場ではすごく盛り上がって“行こう!”となります。
そこで“いつにする?”と話しを進めると、“ちょっと予定を確かめてまた連絡する”…と一気にクールダウンしてしまいます。
これもまた日本人は子どもの時点で、学校という社会でこの冷ややか体験は済ませています。
そして鍛えられて慣れます。
“何でも褒めてくれる”という特徴もあり、それは裏返せば、“間違っているところについて的確に指摘してくれない”ということです。
その結果、後々自分で気付いて正せれば良いですが、そうではなく、悪意ある人にバカにされて恥をかく…そんなこともあります。
そして“議論ができない日本人”ということが1番、今の日本人にはシックリくるかもしれません。
異論を唱えたり、意見を述べたりすると批判をされたと捉えられてしまう…。
その結果、しっかりとした議論になりません。
そして、最悪の場合には排除されます。
同調圧力、空気を読む……まさに今の日本社会です。
現在既に日本は多文化社会です。
まだ、残念ながら共生できているとは言えない状況ではないでしょうか…。
多文化共生社会になりたいものです。
現状のままで日本人の人口が減少して、海外から労働者をどんどん受け入れていくと、これまでのアメリカの人種差別の歴史のようなことを繰り返してしまう可能性もあるかもしれません。
これを機に、日本人は日本人の特質、個性について見つめ直した方が良いのかもしれません。
自己覚知です。
逆に、海外の人から見た日本人のイメージはと言うと…、
凸凹がない平面的な顔
武士道
恥ずかしがり屋で奥手
作法や挨拶など礼儀正しい
外見を気にする
時間に正確でルールを守る
温厚で優しい
流行に流されやすい
仕事熱心で真面目
キレイ好きで清潔感がある
体毛や体臭に執着し過ぎている
謙虚で主張が苦手
ユーモアがない
周りと同調し過ぎて個性がない
集団行動が好き
社交辞令を言う
我慢強い
サムライ
…等です。
それに対して、日本人から見た日本人のイメージを比べてみるのもおもしろいし、これからの多国籍日本で生活するには必要なことかと思います。
既に、様々な文化背景を持った人が共に生活しています。
慣れ親しんでいるコミュニケーション方法が誰にでも通用するとは限らないということを、しっかりと自覚する必要があります。
ハリウッドの映画業界を中心に、Inclusion Rider(インクルージョン・ライダー)という言葉があります。
この言葉は冒頭のスターリング・K・ブラウンさんの発言の2カ月後、今や『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』、『ノマドランド』でアカデミー賞主演女優賞を3度も受賞している大女優のフランシス・マクドーマンドさんが2018年の2度目の受賞スピーチの時に発した言葉です。
受賞スピーチの最後に“私は今晩 2つの言葉を残したいと思います。インクルージョン・ライダー!”と締め括りました。
アメリカの有名な情報誌のワシントンポストによると、インクルージョン・ライダーは“映画に登場する人物の中に、女性、少数民族、LGBTQ、障害をもつ人など様々な人々がある程度の割合で入っていること”を条件とした要項のことだそうです。
現在のアメリカを舞台にしたドラマを制作する場合、出演者の50%は女性の役者、50%は白人以外の役者、20%は障害を持つ役者、5%はLGBTQの役者…というように、その土地の実態に即した割合でキャストの構成をしなければならないということです。
また、これは主要キャストに限らず、映画クルー…エキストラや制作スタッフに対しても同じことを求めています。
この言葉は、一般的な視聴者に向けられた言葉というよりは、その場に出席していた沢山の俳優や制作に関わる人々に対しての言葉と考えられています。
理由としては、riderは“その俳優が出演契約を結ぶ際の付帯条項”という意味であり、その際に職場のinclusion(包摂)も契約に含めることで、キャストだけではなく、制作スタッフにも多様性に富んだ環境を保障することができるからです。
世界的に注目が集まるようなアカデミー賞の授賞式で、フランシス・マクドーマンドさんのように声を高々にして多様性とインクルージョンを賞賛し、それに対して他の人も賛同したのを見ると、これからも映画…エンターテイメントという切り口で社会課題に大きなインパクトを与え続けてくれると期待が膨らみます。
実はここ100年近くを見ても、映画や音楽に携わる人たちが政治や福祉の人たちより先に、社会…国際問題に気付き、作品で表現したり、声を挙げるということが多々ありました。
インクルージョン・ライダーは、2007年に性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとして提唱され、2017年頃からは世界的に拡大した#MeToo運動と連動したり、2020年のアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが白人警官に殺された事件後の人種差別に抗議する運動Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)が世界中で起きた頃から、映画業界以外にも広がり始めています。
この多様で包摂的な思想は、性別、人種、障害の有無、年齢、宗教観など…すべてのことに適用されます。
“誰も置き去りにしない社会”の実現を目指すSDGsの考え方と一緒です。
“誰も置き去りにしない社会”なんていうのは、本来だったら、思想とか関係なく当たり前でないといけないことなのですが、そこは人間様……壮大な思想を掲げないと行動に移せません。
未熟です。
どんなに優秀な学歴があって世界の中心にいるような凄い人たちでも、その“当たり前”が難しい。
だからこそ、世界中にいる福祉の仕事をやっている人たち…特になかなか定着しない日本の福祉の人たちは、もっと誇りに思って良いのかなと思いました。
写真はいつの日か…広尾町のサンタランドで撮影したものです。
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