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20年近く過ごしたインコとの別れ。

19年の年月を共に過ごしたインコが朝、召された


小学5年生の冬、中学受験をするわたしは夏に文鳥を亡くしていてショックのあまり成績が伸び悩んでいた。
それを見かねた親がクリスマスプレゼントとして迎えてくれたのがオカメインコのりんごちゃんだった。
インコちゃんは、オカメインコのひなの箱の中で1番体格が大きく、消極的で奥の方で丸まっているビビリな子だった。
今季生まれた子ではなく1番年上でそろそろ成鳥のカゴに移そうとしているいわゆる「売れ残り」の子であった。

幼少時代から人より成長が早く同級よりも頭ひとつ身長が大きく、基本的に年上に見られ、学校に全く馴染めていなかったわたしはそのインコに自分を重ね、いてもたってもいられずその子を迎えることにした。

念願のインコちゃんは、とても穏やかで物腰が柔らかく、基本的にのんびりした性格をしていた。だから本当にどこに行くにも楽しそうに外を眺めているような子で、たくさん旅行や塾のお迎えなどに連れてきてもらっていた。何度か小鳥を飼ってきたわたしだったが、この子が後にも先にも1番ともに旅をしてきた相棒であった。 


小学生から夢を見つけて夢を追いかけてる間ずっと一緒に過ごしていた


うちの家庭は少し複雑で、幼少期こそ普通の家庭ではあったが、わたしが中学受験に成功したあたりから少しずつ機能不全家族となっていっていた。

ただ、それとは裏腹に受験合格した学校生活はとても充実していて、生きることに意義を見出せていなかったわたしはこの学校で生活をすることで人生の視野を広げ、やりたいことや学びたいこと、知っていきたいことを見つけていった。
ぼやぼやと毎日時間を潰すように過ごしていた小学生の頃のわたしを打ち消すかのように、高校を卒業する時には明確に何がやりたいのかしっかり発言できる意志の強い人間として成長することができた。


私の母親はむかしから過干渉で、友人との交際に口出ししてきたり、遊びに行くにも制限をつけてきたり、勉強中も監視が入ったりとにかく「過干渉」する人間であった。例えばそれがどんな弊害を生み出すのかというと、私は友達の家に宿泊したことが2度しか無かったり、友達の親に会う機会がなさすぎるため目上の大人への敬い方などが欠如したりしたが、その話はまた追々。
それに加えて兄弟姉妹がおらず、父親は滅多に家にいないので過干渉は余計にわたしに視線が集中する。

とにかくストレスが溜まりやすく、家にいることが窮屈で仕方なかったが、その気持ちを和らげてくれたのがインコちゃんだった。
インコちゃんがいれば、母親とインコの話をして家族っぽい会話ができるし、何より少し悪戯をするので空気を和ませることができた。
我が家ではインコちゃんは、アイドルだった。 

母親が学生時に他界し、父親は私に無関心で絶縁状態で一人っ子だったわたしには、このインコだけが本当の家族のようだった


父親は全く家にいない人で、出張やら営業やらで土日にたまに顔を合わせる程度の存在だった。

ただインコちゃんは父親にとても懐いていて、そこが少し悔しくもあった。たいしてお世話してないのになぜ??と。



経緯は省くが、大学生の時代にその過干渉の母を亡くし、そこから完全にわたしの家族は崩壊した。

わたしは一人暮らしをする準備がもともと済んでいたので、母親の死を機会に実家から自立する。

その間このインコちゃんともう一羽インコがいたのだが、父親が実家で世話をしていると勘違いしていたので一人暮らししている家に連れてはいなかったのだが、親戚の人から父は家に帰っていないという話を聞きその日にインコを自分の家に引き取りに行く。

3〜4日ほどだろうか。ずっと誰かが帰ってくるのを待っていたとおもう。この時期はお葬式の準備片付け、実家の家の引き渡しの準備などでインコちゃんのことまで頭が回らず寂しい思いをさせたように思う。今まで人のいた家に突然誰も帰って来なくなり、とても不安にさせたと思った。

何度も謝りながらわたしの家に招き入れ、大量の餌と水とおやつを用意し、1ヶ月ほどはつきっきりで様子を見ながら私が住む家に馴染んでもらうように接した。

その間少しだけ(ほんの数日)離れていたもののずっと今の今までの人生、インコちゃんと共に同居をしていて、毎日帰ってくれば嬉しそうに出迎えてくれ、日があるうちに家に帰れば嬉しそうに脱走をし、夜中たまに起きて水を飲むための足音だったり、わたしの顔を見るためにゲージにへばりつく独特の足音がとてもわたしにとっては癒しの音であり、日常生活の当たり前の音だった。

いつでもゲージに顔を向ければ、嬉しそうに鳴き声を出し、放鳥すれば、飛び回りもせずわたしの肩で毛繕いしたり居眠りしたり。本当にわたしの家族だった。

出張でペットホテルに預けることもあった

海外出張に行くために出発の前日にペットホテルに預けることもあった。
その時は荷物を確認したり早朝の便に間に合わせるためにバタバタとしているのだが、ふと静まった部屋の音に違和感を感じた。

インコちゃんの羽音や足音、生活音が聞こえないことが違和感すぎて仕方ないのだ。
気になって眠れなくなるほどにわたしの体にその音は馴染んでいた。もうその時はインコちゃんを迎えて15年の月日が経っていたように思う。

そんな時ふと、オカメインコの平均寿命が気になって検索した。
15年だった。そろそろ覚悟しなくちゃいけないのだろうなと思った。ただ、その時はその静かすぎる部屋の音に、あまりにも耐えられず
にテレビを付けて誤魔化したりした。


人生の節目を何度迎えてもどこか成人として成り立ってない自分を感じていた

ふと、大人になりきれていない自分のことが気になった。成人しても、就職しても、車買っても学生の頃から心持ちが変わらない自分。
生活環境や時間、何もかもが変わっているのにどこかで小学生の頃の自分が心のどこかでまだ生きている感覚がいまだに残っている。

甘えなのかなあ、まだわたしには大人の覚悟が決まってない甘ったるい人間なのかなあと思う時もあった。

インコが亡くなって改めて自分の年齢を自覚する

改めて今日インコを亡くして、自分がインコを迎え入れた年数を計算した。

小学5年生の自分がインコちゃんに出会い、30歳でインコとの別れに涙する。

約20年間、このインコちゃんはわたしのことを見守り続けていてくれた。

19年間、決まった時間にゲージに布をかけていた癖が治らず、遺体を安置しているゲージを眺めては、死を実感していて心と胃がとても辛い。


インコの死は、わたしにとっての自立だったのかもしれない


今思えば、このインコちゃんがわたしのそばにいた時期はわたしの人生の中で1番苦労していて、自分でも解決しようのない環境を耐え忍んでいた時期にそっと寄り添ってくれていたインコちゃんだった。

受験を否定されながら、夢を否定されながら、親に生活を監視されながら、馬鹿にされながらも自立してきた自分を毎日家でじっと待っていてくれて、帰ってくれば遊んでくれとアピールをして、インコちゃんだけは常にわたしのことを家でずっとオープンマインドに待ち続けていてくれた。

いわばインコちゃんはわたしにとっての家族であり帰るべき家だった。

今はもうその苦労は解決し、快適な自宅環境と生活を共に過ごしていてやっと落ち着いた生活をインコちゃんに送らせてあげられたなと思った矢先の旅立ちだった。

欲を言えばもう少しこの穏やかな日々をもう少し一緒に過ごしていたかった。

きっと、そろそろわたしも大人として自立しなくちゃいけない時なのだろう。

インコちゃんに甘えるのはもうおしまいにしなさいよ、と神様に言われているようだった。

それはわたしの新しい試練なんだろう。

どうかまだ付き合ってくれるなら空からわたしのことを見守り続けていてほしい。


わたしの大好きな家族の1人、1羽なのだから。

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