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内定した会社のほとんどが、15年後には無くなっていた話

世間では、内定辞退予測データ販売など、いろいろと騒がれていますが、
私の就活である1987年の夏を改めて記しておきます。敢えて実名で書きます。

私の頃、会社訪問解禁は大学4年の8月でしたが、1987年、時代は空前のバブルでした。売り手主導の環境は今と似ています。

私の希望はご多分に漏れず、当時の人気業種、都市銀行、生命保険、不動産でした。

6月には不動産の内定を日榮住宅資材、藤和不動産の2社もらいました。

次に生命保険が動き出し、千代田生命、協栄生命、東邦生命の3社から内定をもらいました。

最後に都市銀行です。

ほぼ同時期にリクルーターが動き出し、埼玉銀行、第一勧業銀行、三和銀行の最終面接に残りました。

結局、銀行で最初に内定を出してくれた埼玉銀行に決めました。

別に内定の数を自慢しているわけではありません。
問題はここからです。

自分が内定をもらった会社はその後、バブル崩壊、金融危機を経て、 最初の日榮住宅資材以外、すべて破たん同様で再編されました。

ましてや自分が入行した埼玉銀行は合併を2回行った結果、国有化となりました。

どれも内定をもらってから、長くてもせいぜい15年後の話です。

結局はどこに行こうが、再編の波に飲み込まれていました。

理由はほとんどの会社が、業界の中位から下位だったことに尽きると思います。
生き残った日榮住宅資材だけが、業界1位だった。

そう言った意味では、自分が業界の上位の会社に入れなかったことに課題があったということなのでしょうが、今となってはどうでもいい話です。

「銀行に入れたので、これで人生勝ち組、一生安泰だ。」
と思ったのは、その通りです。

超安定志向だった自分が、まさか起業することになろうとは、夢にも考えなかった。

将来のことなど誰にもわからない。本当にわからないのです。 

今がピークの会社はこれ現状から必ず試練が来ます。

だから大事なのは、
就社でなく、就職であること。これは肝に銘じて欲しいと思います。

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