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夜な夜な鳴く太刀 希代の名刀

いつも、ありがとうございます。皆様の作品を、楽しみにしております。

たくさん更新したいのですが、仕事の対応に追われてなかなか、難しかったです笑
その中で、皆様のお話を見ていると、いろいろ、頑張って行こうと思えます。
ありがとうございます。


今回は、平安時代に生み出され、今の時代まで、人間社会を見てきたであろう太刀のお話しをさせて頂きます。

お付き合い、よろしくお願い致します。



はじめに。

日本刀には、「刀」と「太刀」がある。

簡単にわけると、刀は、地に足をついて、両手で使用するもの。太刀は、馬上で片手で使用するもの。

刃の向きや、携え方、設えなどの、こまごました違いはあるが、概ね、上記のような違いである。また、太刀の方が出生が早く、刀は、後の世で生まれる。

この時代、太刀を帯び、活用していくのは、やはり、武官貴族の源氏である。


諸説、諸々であるが、源氏重大とされる太刀は、三刀、存在する。


髭切(ヒゲキリ)、膝丸(ヒザマル)、童子切丸(ドウジキリマル)である。

童子切丸については、長くなるので後日、触れたい。


余談だが、私がこれらを、調べていた頃には、ネット上に、ほとんど、情報は、なかった。

現代は、刀剣乱舞という刀を擬人化したゲームがあり、あまたの情報を得ることができる。

変わりに、怪異的、不思議的な逸話より、史実に関するものが多くなったようである。
(刀剣乱舞を気にするなら、怪異譚の方が良い気がします)

また、情報の多さにより、混乱を招いている部分と、ハッキリしてきた部分とが混在しいる。

これは、童子切丸と髭切、膝丸の所有者、名前の遍歴にある。

少しづつ、整理していきたいが、ここでは、髭切と膝丸の不思議に触れていきたい。

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髭切と膝丸


平安時代、怪異に対する戦闘集団として、源頼光を筆頭に、その四天王と、藤原保昌が、台頭する。

源頼光の父は、源満仲といい、平安京に、実質、武士集団を形成した人物である。

彼が、中国の「天下守護」思想を基に、唐人(日本在住)の刀匠に命じ打たせた太刀が、源氏重大の髭切と膝丸である。

髭切は、罪人の首を跳ねるおり、髭まで切り落としたことから、膝丸は、罪人を打ち首にしたおり、首ごと膝まで両断したことから、その名が付けられた。


双方は、兄弟刀として、天下守護のために、生まれた。


この二刀は、それぞれの時代に、時の権力者に所有されることになる。

満仲から、鬼殺し頼光に譲られ、その後、紆余曲折を経て、源頼朝、北条氏(足利氏を経て)、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと繋げられていく。

この所有者群は、源頼朝以降、諸説あるが、豊臣秀吉、徳川家康は、ほぼ、間違いがない。


現在も、それぞれ、名を変え、髭切は、北野天満宮に、膝丸は、箱根神社とも、大覚寺とも言われているが、現存している。

偽物という説は、もちろんある。何せ、1000年以上、昔の代物である。


また、膝丸の出自は、鎌倉時代とするものもあるが、不思議な逸話から追うと、平安期に、髭切と共に生まれていなければならない。


というのも、この二刀、惹かれあっている。


両者は、長い時の中で所有者を違えたことが、幾度となくあった。

源を代表する、頼朝、義経。
二刀は、頼朝が髭切、義経が膝丸を手に入れるまで、別々に保管されていた。

この源の兄弟が、兄弟太刀を、違う場所で所有するのも、なかなかの、不思議だ。


義経の死後、二刀は頼朝に回収され、揃うのだが、それまでに、不可解な出来事が起きている。

両刀、獅子ノ子(シシノコ)、吠丸(ホエマル)と名を変更された時代があるのだが、これは、この太刀が夜な夜な鳴き声をあげたとされるからだ。

伝承では、獅子のように鳴き、蛇の吠えたとされる。

稀にこの二刀が「妖刀」と言われる所以だ。

武士は、これを怪異に思うと同時に、誇らしくもあったようだ。それは、「獅子」「蛇」という表現からも伝わってくる。

戦闘を生業とし、強さを求める武士にとっては、「強者はこのくらいのことは畏れない」という想いと、力強さの象徴でもあったのであろう。

時の権力者がこの太刀を求めた理由の一環は、そこにもあるだろう。


しかし、私には、そのようには見えない。


二刀は、それぞれに呼びあい、泣いていたのではないだろうか。

鳴いたのではなく、泣いていたのだ。

もしも、吠えていたとしても、それは、引き離された「怒り」からではないだろうか。


このような逸話がある。

髭切は、膝丸を模倣して造られた「写し」を、切断したという。

膝丸は、熊野権現に奉納されている時期がある。そのおりに、一本になってしまった髭切ともう一度、対になるよう、写しの膝丸が造られている。

これを、二刀同時に立てかけていたおり、気がつくと勝手に両刀は倒れ、写しの膝丸は、短く切られていたという。

このことで、髭切は「友切トモキリ」と改名されている。

なぜ、切断したのであろうか。


太刀は、馬上から、人を斬るために生まれた。
殺人の道具である。

まして、髭切と膝丸の名は、罪人を斬ることで名付けられた。

しかし、生み出された用途は、「天下守護」なのである。


もちろん、太刀に、人格はない。
感情などあろう筈もない。

面白いことに、人間は、1000年以上の時を経て、これを擬人化する。

人気を博す「刀剣乱舞」だ。

何か不思議な感覚になる。


源頼朝と源義経。
この兄弟の悲劇は、なぜ、起こったのであろうか。

源氏の造った「天下守護」は、二人を守ったのだろうか。

兄弟という点で、関係がないようには、思われない。


天下守護のため、鬼をも斬った源氏の重大な太刀と、死屍累々の源氏自体、何かもの悲しい物語である。



終わりに

源氏は、平家を討つという大義を果たしました。

貴族の終わり、武士の始まりです。

時代の「天下守護」は成りました。
しかし、頼朝、義経は、兄弟としては、悲しいことに、失敗しています。

その後の、時の権力者も、王様に成りつつ、それぞれの悲劇があります。

この髭切と膝丸の、怪異な伝承は、これらの人達、武士の物語を、太刀にのせたものなのではないでしょうか。

武士は刀を持って、鬼も人も斬り、その時代の平和を築きます。

天下の守護です。

しかし、そこには、人を斬って成していく業があり、悲哀があります。


今も、この二刀は、ないているでしょうか。

それとも、1000年の時を経て、癒されたでありましょうか。


お付き合いありがとうございます。
皆様がお幸せでありますように。





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