見出し画像

日本人と疫病

いつも、ありがとうございます。
noteと皆様のおかげで、楽しい日々を過ごせます。
本当にありがとうございます。
今の日本にあって、皆様のなさっていることは、本当に意味のあることと思います。
ありがとうございます。


今回は、日本人と疫病についてお話しさせて頂きます。


日本の疫病

日本の疫病は、古事記に「えやみ、さはに起りて、おおみたから(人民)尽きなむとす」という記述がある。

「えやみ」というのは、「疫病」のことで、「疫病が流行って、人民がいなくなってしまうだろう」という意味である。



神代のころから、人類は「疫病」と戦ってきた。

もう少し、分かりやすい記述があるのは、万葉集である。

天平九年ころ(737年)の平城京、聖武天皇の御代で、「疫病」は「鬼病、キビョウ」と呼ばれ、流行している。

これは、新羅(朝鮮半島南東部)との文化交流のため、航海した「遣新羅使、けんしらぎし」を切っ掛けに起こる。

新羅で流行っていた疫病を、彼らが日本に持ち込んでしまう。

被害規模は、はっきりとわからないが、遣新羅使であった貴族から蔓延し、時の支配者、藤原氏、そして、農民までの多くの階層で死者を出した。

この疫病は「天然痘」であったとされている。

最初に、政治を執り行う中心貴族が死に、田畑を耕す、農民が減った。

管理者が不在なうえに、労働者もいない。

「大飢饉」が予想された。

飢饉が起これば、餓死者が溢れ、栄養失調を起こすものも増える。それは、更なる疫病の蔓延に繋がる。

この未曽有の危機を回避しようと尽力したのが、「聖武天皇」であり、「墾田永年私財法」は、この時、発令される。

国営農園を個人所有のものにし、それを耕した農民へ還元することを約束する。


彼らのモチベーションを上げ、生産性の向上に努めるためであった。


また、この時期に、奈良県、東大寺の廬舎那仏が建造されるが、これは、「仏頼み」ではなく、天皇陛下による社会改革を約束するためであった。

神の子である天皇陛下が、人民に協力を求め、かつてない規模で、他宗教のものである「大仏」を建造する。

目的は、改革の意志を示し、その象徴を目に見える形にすること、天王陛下、人民たちまでが、一丸となった証を造ること。


国民に「安心感」を与え、食糧危機を乗り越えるための政策である。


これらは、平城京の時代に行われた。


疫病とインフラ。

疫病は、文化の向上時、または、変化時に起こりやすい。

新しい文化は、他国、他地域との交流から生まれる。
そのため、道路整備や航海術、造船技術の向上、いわゆる、インフラ整備がなされる。

また、逆の場合もある。

インフラ整備がなされたために、他文化との交流が生まれるパターンもある。


どちらにせよ、これが、疫病の切っ掛けになることが多い。

そもそも、疫病は、地域と地域の行き来がなければ、広がらない。

交通手段がなければ、他地域に広がることはないのである。


しかし、文化交流は、新しい価値観、新しい時代を造るうえで、大切なものだ。

これを、止める状態は、あらゆる文化の進歩を妨げることになる。


実は、それらの矛盾を解決する手段を日本人は持っている。

画像1


疫病を抑止する日本の文化

日本にある「おしぼり文化」

これこそが、疫病抑止の日本人の考え方の結晶である。

近年、サービスためだけに、「おしぼり」文化があると勘違いされている。

おしぼりは、そもそも、疫病防止の観点から造られている。

明治維新前の日本で、疫病にかかれば、確実に死んでしまう。治療する医学も、薬も、医療も、まだ、ほとんど、存在していない。


そこで、大事になった観点が、「予防」なのである。


お客は、外から、お店の中に入る。この時に、おしぼりを渡す。お客は手を拭く。これにより、手指感染の予防をしたのである。


面白いことに、日本人は、昔から、「感染」は「手」と「指」から始まることが殆どであると知っていた。


時代劇の一場面で、宿場町の旅籠が、旅人に、足を洗う桶や手ぬぐいを、渡す場面を見たことがないだろうか。

お客である旅人は、「サービスいいね」と思っていた筈であるが、これは、手指感染を防ぐための旅籠側の防衛策でもあった。


勿論、ここに「お疲れ様です」という気持ちを込めることが出来たのが、日本人のすごいところである。

結局、疫病に感染する状況、場を作ってしまえば、お客も、お店側も死んでしまう。

快適な場など、夢のまた夢になってしまう。


そのための「おしぼり文化」であり、これを、「おもてなし」という。


手を清潔にするという文化は、実は、ずっと昔からの日本人の知恵であり、これらによって、日本人は、疫病をおこさぬよう努めていたのである。


そして、現在、それは、当たり前のことになり、私たちを守っている。


まとめ

疫病は、神代の昔から、日本にありました。

そして、日本人は、多くの犠牲を払いながら、「予防」という観点にたどり着きます。


私たちには、当たり前の「おしぼり」


ここに、清潔さを求める日本人の衛生観念の本質があるように思います。


また、新しい文化は、新しい疫病を運びます。
飛行機で、外国まで、ひっと飛びの時代です。


これ自体は、素晴らしい科学の進歩です。


だからこそ、新しい文化交流の中で、形だけではない各国の考え方、日本人の本質的な考え方の共有をしっかりとしなければならないのだと思います。

日本国だけが、平和であれば良い時代ではありません。

外国で起きていることが、人ごとの時代ではありません。


垣根を超えた共同作業が、新しい時代を造るのだと思います。

聖武天皇がされたことを世界規模で考える時なのだと思います。

個人個人の考え方が、簡単に発せられる世の中だからこそ、良い方向への発信と繋がりが大切であると思うのです。


最後まで、お読みくださった方々、本当に有難うございます。

皆様がお幸せでありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?