見出し画像

語学の未来~AIによって語学を学ぶ意味使う意味が変わっていく。より人間的でクリエイティブな世界へ。

ともえ@ファスティング中です。
(→よかったら自己紹介を読んでね)

今日は自分の表の仕事(翻訳)の話。

実は私、翻訳に関する事業部の管理職として、定期的にAI翻訳の機能検証とかレポート化みたいなことをやっています。

それ以外にも出版翻訳もやったことあるし(体力勝負なのでもうやらないけど(笑))、割と翻訳の仕事やり始めて長い。

ここで毎日思うこと。それは、

✔ 就職のためとか仕事のために語学を学ぶ(ビジネス的な意味だけで使う英語や語学)っていう時代は終わっていく

ということです。

だって、本当にAI翻訳って日々長足の進歩を遂げてるんだもの。

そういう意味では、語学ができなくてもAIが翻訳してくれることだけで、ビジネス英語的なものは容易に事足りるだろうなと思う。法律とか会計とか、意味が一義的に決まるものはなおさら。

今でも、原文自体が間違っている場合だけ、人間がそれを見ながら直して、機械の出力結果を調整していく感じです。

よって、翻訳業って単価が下がっていくだろうなーと思う。

さらに言うと、部下は全員外国人orミックスという状況で、皆がトリリンガル以上という様子を見ていると、今から英語でなんとかしよう、というような気持ちは失せる。

だとしたら、英語とかその他言語を学ぶ意味ってどこにあるんだろう?

私は、地方の国立校から娘さんをハーバード大学に入れた廣津留真理さんのメソッドを参考にしているんですが、

やっぱり、文化芸術一般を深く学ぶための英語やその他の語学という立ち位置以外に、語学を学ぶ意味はなくなっていくかもしれない、と思う。

簡単な日常会話はAI通訳で十分。

じゃあ、それ以上のものを求めるなら? そうしたらそこはもう、微妙で繊細なニュアンスを表現するような世界しかない。

さらに言うと、一つの国にどっぷりとつかって〇〇語という世界を究めていくよりも、多言語を学ぶ中で、ある普遍的な言語感覚を身に着ける、みたいなことしかないかもなーと思っている。

私は今、溝江達英先生の秘密の多言語サロンに入っているんだけど、ドイツ語の話をしているのにラテン語やスペイン語に飛んだり、韓国語と中国語を一緒に勉強したり、そういう世界に触れていると、語学を学ぶって、能力開発の一環なのだなーって思う。

全員が、通訳翻訳をやるわけではないけど、語学を学ぶことで結果として、脳の使われていないところが開発されていって、才能が芽生えていく、というのを溝江先生は理想としている。

一言で言うと、語学は、より人間的でクリエイティブな世界に向かっているといえるかもしれない。

月がきれいですね、をI love you.と訳すみたいな感性? (笑)

いずれにせよ、人間にしかできないことに徹底的にフォーカスしていかないと、多分、どういう仕事でも、どういう業態でも、苦しくなっていくだろうなと思う。

ただこれは、翻訳の仕事している側から見たときのエゴなんだけどね。

だって、クライアントさんと話をしていると、機械翻訳のおかげでコストが下がって嬉しい、っていう話を聞くし、それほど重要ではない翻訳の場合は機械翻訳+用語の統一という安価な料金体系の仕事も求められることがあるから。

AIを敵視すると、そこにある恩恵が見えてこなくなるんだけど、AIは明らかに水瓶座の時代の象徴だと思う。徹底的に人間であることを突き詰めるからこその、技術革新と機械化。

ちなみに、大学時代の知人の子で、語学オタクがいたんだよね。色々な語学を浅く広く学んでいるディレッタントw(Y君といって都内にビル持ってるぼんぼんだったー)。

彼から聞いたのだけど、ギリシア語の通訳って、1か月に1回も仕事がないけど、1日当たりの単価は7万円なんだそうです。まあ、今は下がっているかもしれないけど・・・

マイナー言語をコストととらえるのか、それとも多様な豊かさととらえるのか。

おそらくAIのおかげで、マイナー言語に対してのコストも下がるだろうから、結果として語学の豊かさが文化として戻ってくる可能性は高いと思う。

すべて視点の違いで、AIを敵視しても意味はなく、その向こう側にある景色を見ていくことが必要かなと思う。

AIに恐怖心を持つのは自然なことではあるけれど、それは人間の可能性に対する視野狭窄に過ぎないと思う。


この記事が参加している募集

もし記事が気に入ったら、サポートしていただけましたらうれしいです🌟より良い記事を書くための今後の活動に使わせていただきます💕